花に嵐 14




 翌日。
 家康の使いとして三成たち監視方の陣へ到着したのは、直江兼続だった。
「兼続殿!」
 驚いた様子の幸村に、兼続は満面の笑みを浮かべて諸手を広げる。
「幸村!三成の共をしていたのか」
「は、はい」
 元気か、といった他愛のない遣り取りをしていると、ここが戦場であることを忘れてしまいそうだ。
 しかしそんな雰囲気は、すぐに元通りとなった。
「おまえが家康からの使いか?兼続。いいように使われているではないか」
 三成の、冷たい声音。あからさまに苛立ちを含んだそれに、幸村は自然と緊張した。しかし兼続はそんなものどこ吹く風、といった様子だ。
「よく考えろ、三成。家康は今戦の真っ最中。たとえ陣を構えて腰が重かろうと、本人が来ることは出来んし、家康直属の家臣たちは皆伊達との戦いを今か今かと待ち構えているのだ。おまえの顔など見ている閑もなかろう」
「ふん。やる気のない主に誰も何も言わんのか、徳川は」
「機を見ている」
 その言葉に、三成は頑としてひく気配のないまま言い放った。
「七日だ」
「ほう?」
「今から七日のうちに、伊達を降伏させろ」
 その言葉に、兼続についてきた共の者たちの空気が凍った。無理を言っている、というのは幸村にもわかる。いくらなんでも、そう簡単に戦の勝敗が決するとは思えない。
「秀吉殿お得意の、はりぼての城でもつくって見せるか」
「ただ何もせず陣を構えているだけにせよ、兵糧は大切にするべきだろう。秀吉様の言うことに、別に何の問題もないはずだ」
「それは尤もだ。大切な民のつくった作物を、無意味に消費するほどではない」
「兼続はそのつもりであってもな」
「何、今からその策とやらをおまえと考えようと言うだけだろう?」
「…高くつくぞ」
「勝利に手段は選ばぬよ」
 三成と兼続は、そう言うとすぐに陣の奥へと連れ立っていった。幸村はといえば、会話についていくこともできず、成り行きを見守るばかりだ。
 兼続ほど弁がたてば、三成に対して視線を逸らすこともなく、話すことが出来るだろうか。そんなことを思って幸村は小さくため息をついた。




「幸村は元気なようだな」
「―――そうだな」
 陣の奥、図面の広げられたそこについた途端、兼続が口を開く。
 とはいえその話題は出来れば今は避けたかった。無論、兼続がわざとその話題を取り上げているのは三成にもわかっている。真田が豊臣に敗れ、帰る郷を無くしてから一度も顔をあわせていなかったのだ。
「手酷い傷を負わせたと聞いたぞ」
「…本気で戦う気もないくせに、ずいぶん抵抗されたのだ」
「なるほど。幸村はさぞ辛い葛藤の中にいたのだろうな?」
 含んだような物言いに、三成の表情に苛立ちが浮かぶ。
「言いたいことがあるなら言え」
「―――これ以上、不義な行いを続ければ、上杉が敵となろう」
 その言葉に、三成は一瞬黙った。
 それは、少しでも考えたことがないわけではない。上杉は謙信の時代から、不義を討つ、と私闘は決してしてこなかった。景勝の時代になっても、それは基本的に変わっていない。圧倒的な強さはないが、景勝は堅実な戦いをする。それに兼続の知恵が加わって、負けらしい負け戦を、まだしていない。
 それだけに、兼続の言葉は一瞬なりとも三成の肝を冷やした。
「…謙信のいない今、さほどの力が上杉に残っているとは思えんがな」
「謙信公がおらずとも、不義を許さぬ戦いは続いているのだよ。景勝様も、そう言っている」
「そうか」
「そうだ」
 が、ここで負けるわけにはいかない。兼続は今、徳川の使いという立場である。
「しかし、それがどうした?今、兵を挙げて何の意味がある。伊達との挟み撃ちを受けるぞ」
「そうだな。だから、今徳川殿に手を貸している」
「…兼続」
 本気か、と問う三成に兼続は肩を竦めた。
 兼続は秀吉や家康が舌を巻くほどの知恵者だ。だからこそ敵には回したくない。親友であるという部分を除いても、戦いたくない相手である。
「これ以上のことが起これば、さ。可能性はないとは言えん。おまえが、真田家を滅ぼしたように」
 冷えた空気が、周囲を覆った。
「なるほど」
 兼続は、言葉にせず怒っているのだろう。
「おまえが、幸村を好いているのは知っている。道ならぬ恋に、暴走した結果がこれか、と思うと少し哀しいな。どちらとも友だから」
 しばしの沈黙があった。互いに何も語らず、口を閉ざす。が、三成がどれほど経った頃か、ぽつりと呟いた。
「…焦っていた」
「だろうな」
「わかっている。…幸村が、俺を見て笑わん。視線を逸らして、口ごもって…それが、こうも辛いとはな…」
 その言葉に、声に、焦燥を感じて兼続は苦笑した。
 それが、戦の前にわかっていれば。
「なんだ、弱っているな」
「しかしもう後にはひけん」
「………」
「悪かった、などと俺は言わん。幸村への気持ちは本物だし、秀吉様に戦を申し立てたのも俺だ」
 後悔しているのだろう。それは先ほどの言葉の端々から伝わってきた。だが、そこで三成は立ち止まらない、と。
 その覚悟に、兼続は小さくため息をついた。
「そうか」
「不義だと言うなら討てばいい。俺はただでは倒れん」
「はは、わかった。おまえの覚悟、よくこの胸に刻んでおこう。おまえも、私の覚悟をよく胸に刻め。幸村のこともだ」
「…わかっている」
 そうやって腹を割って話してみれば。
 三成が幸村をどう思っているのか。そして秀吉への忠心も知れる。そしてその覚悟もわかる。だからこそ、こんな結果になってしまったことが兼続は哀しい。
 幸村が笑わないのも、迷っている気配を滲ませているのも、全て。
 この男の―――三成一人のせいか、と思うと、何とも。
(時勢というものか…)
 そう思い、兼続はさて、と話題をかえた。ここへは伊達との戦の早期決着の為に来たのである。
 いつだったか、幸村が言っていた。
―――三成殿は純粋ですね、と。
 そんなことを言うのは幸村くらいのものだと笑ってやれば、幸村はそんなことはない、とかぶりを振った。そうだ。とても純粋なのだろう。
 だからこんなに、哀しいことになる。



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戦が始まらない(笑)