秀吉に急かされていたこともあり、出立は早かった。 三成は秀吉から千の兵を預けられ、軍を率いての行軍となる。監視方として出る以上、必要のない軍勢とも言えるが、その千という数が、秀吉からの意志を明確に告げるものとなって家康のもとへ届けられる、ということだ。 その軍の中に、幸村もいた。形式上、なにかあった際には幸村がこの千の軍を使うことになる。 三成の後ろに控え、馬を走らせながら、幸村は昔を思い起こして苦い気持ちを味わう。 こうして馬を走らせたことがあった。戦ではなくて、あいた時間に。幸村から誘うこともあったし、三成が仏頂面のまま誘ってくれたこともあった。 (あの頃は…そうして共に過ごせることが嬉しかった) だけれども、今はどうだろう。嬉しいという気持ちよりも、苦しい気持ちの方が上回っている。三成から明かされた感情が本物で、父昌幸が処断された理由が真実であるならば、何故自分はまだここにいるのか。三成の後ろに従って、兵を率いているのか。 そもそも、秀吉はどこまですれば認めようというのか。 家康が構えた本陣の近くまで到着すると、三成は手早く指揮し兵たちを休ませた。ほとんど休みなく行軍してきたこともある。秀吉が急げと言ったからだろうが、行軍の手際も、到着後の指揮も手早かった。 幸村は自然その視線が三成を追いかけて、気がつけば振り返った三成と視線が交わった。 「…っ」 慌てて視線を逸らす。三成の感情を、わざわざその口にのぼらせてまで語らせたせいか。まともに見つめることが出来なかった。 かわってしまった。 同盟の頃とは違う関係。友だった頃とは違う感情が渦巻くこの身の内。 豊臣は、父昌幸の仇だ。 だけれども今はどうすることも出来ない。 どうすべきかの判断もつかない。どうしたいのかという結論も。 (あの頃は、いつだって決まっていた) あの頃は、父昌幸を助け、三成と志をともにして。 三成の危機には助けねばとも思ったし、また逆に、幸村たちの危機には三成たちが駆けつけてくれた。 この乱世の世で、それがいつまでも続くなどと世迷いごとなのだけれども。それを信じられる気がしていた。 (…私は、甘い) だから戦に負ける。友だからと戦う槍の、その切っ先の動きが鈍る。 それに比べてあの時の三成の、強さは鮮烈なものだった。 苦い思いで戦場で対峙した幸村に比べ、三成は口許に薄く笑みを浮かべるほどだった。握る鉄扇の動きに迷いはなかった。―――俺は、幸村が欲しかった。それだけだ。 そう言った三成は、嘘を言うような目ではなかったし、息を呑むほど、声に力がこもっていた。 本当の気持ちだからこそ、困る。どうすればいいかわからなくて、苦しい。 「幸村」 自然俯いていた自分を呼ぶ声に、幸村は慌てて顔を上げた。 「先ほど、伝令を出した。明日には家康からの返答もあるだろう。今日は、もう休め」 「…はい」 三成の言葉に頷きながら、視線を合わせられずに幸村は一度あげた視線をまた地面に戻した。 おかげで三成が今どんな表情をしているのかはわからない。わからないで済むのは、ありがたかった。 「幸村」 「…は、い」 「何故俯いている」 苛立ちを隠さない三成の声音に、幸村は自然と後ろめたさを感じて返答に窮する。 「…それは」 曖昧な返答で口ごもれば、三成の苛立ちは一層際立ったようだった。 「俺の顔は見られないか」 「……」 「別に、何もせん」 「………」 「…わかった。もういい」 ため息とともに、三成が踵を返す。そこに至って、ようやく幸村は顔を上げた。振り返りもしない三成の背。 咄嗟に口を開いて、名を呼びそうになって幸村は慌ててそれを押しとどめた。 (呼んでどうする) 三成に対してどう接すればいいのか、いまだに結論が出せないでいるというのに。
本陣がにわかに騒がしくなったのは、石田三成の軍が到着する直前からだった。先駆けの者が三成の到着を告げる。 秀吉は早急にこの戦に決着をつけろと言っている。その為に三成が派遣されてきたらしい。 慌しい本陣の様子に、信之はひそかに眉を寄せた。 まるで挟み撃ちにでもあったかのようだ。家康も僅かに慌てているようだ。それもそうだろう。家康は、素早い解決を望んでいないようでもあった。 「情けない」 どっしりとした腹に響く声に、信之が振り返れば、そこには本多忠勝がいた。特に何をするでもないのに、そこに忠勝がいるだけで感じる威圧感に、信之に緊張が走る。 「まるで挟み撃ちにでもあったようですね」 思った通りを口にすれば、忠勝も重く頷く。 「左様。同盟の我らを信ずるに値せずと声を大にしたも同じ」 なるほど忠勝は憤慨しているようだ。この圧倒的な圧迫感はその為か。しかし、憤る気持ちは信之にはよくわかる。秀吉に援軍の任を任せてほしいと申し立てた信之だが、戦を迅速に終わらせるだけの力はないと言われたも同然である。 「…秀吉殿は、早く終わらせたい様子…。時をかければ、なめられるとでも思っているのでしょう」 「伊達の子せがれなど恐るるに値せず!豊臣の器の大きさが測れようというもの…信之殿、稲が世話になっている」 唐突な話題の転換についていけず、信之はしばしきょとんとし、瞬きをした後に、本多忠勝という人が稲姫の父であることを思い出した。 「は、いえ。稲殿には感謝しております」 気落ちしている時の稲からの文は、信之をずいぶん励ましてくれた。戦場で数回見えた程度。そのうち一度は結果的に捕虜として、真田の勝利した戦だ。だというのに、あの時のことを恩だという稲に、信之はただただ自分のしたことを恥ずべき事だと思っていた。 「怪我の経過は、良いと聞く」 「はい」 「稲がよく、話す」 「…は、はぁ」 「…今後とも、よろしくお願いする」 「! い、いえ。こちらこそ」 忠勝ほどの武人からそのように言われて、信之は慌てた。 そのままその場を離れる忠勝に、信之は改めてため息をこぼす。 何か勘ぐりをいれられたりするのか、と一瞬身構えてしまった自分がやや恥ずかしい。忠勝は常に家康と共にあり、その横で揺るぎない武を体現している。 あの人に、認められるようになりたい、と。 稲もそう文にしたためていた。 その気持ちがよくわかる。あれほどの人に認められたいというのは、信之の中にもひそかにある。 精進せねば、と気がつけば前向きになっている己に苦笑した。
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