花に嵐 12



「これは、真田の!」
 やけに耳に通りのいい声で呼び止められて、信之ははたと足を止めた。
 眩しいばかりの笑顔で彼を呼び止めたのは、上杉家の直江兼続だ。
「先の戦での怪我は、もう?」
 ええ、と頷いて信之は会話を続けた。兼続と幸村とは仲が良いが、兼続と信之に関してはさほどの接点はない。こうして真正面からきちんと話すのも、今がはじめてに近かった。
 徳川が伊達と戦を構えた際、豊臣への援軍要請のほかに、上杉軍へも要請していたようだった。ここに兼続がいるということは、上杉がその要請にこたえたということだ。
 包囲網は成ったわけだ。
「それはよかった」
 この状態ならば、力押しで出てしまえば伊達などそう大した脅威でもないだろう。
 そう、たとえば豊臣にとっての真田がそうだったように。
「あまり顔色が優れぬようですな。気休め程度に、この札をさしあげよう」
 兼続は、口数の多くない信之に半ば強引に数枚の御札を押し付けてくる。信之はそのような、と断ろうとしたが、兼続は頑としてひかない。
「肌身離さず持っていてくださればよい。お守りだとでも思っていただければ」
 そうやって押し問答している時だった。
「おやこれは、お若い二人が何の話かな」
 ひょっこりと顔を出した家康が、戦中に似合わぬ笑顔を浮かべて二人に歩み寄ってくる。その一瞬、兼続は油断のならない視線を向けたが、すぐに先ほどと変わらぬ笑顔を浮かべる。鮮やかなものだった。
「常に健やかであることは武士のたしなみであるという話を、少々」
「ほう、それはそれは。興味深い」
「家康公は常に肌の色も良い。一度その顔色、かえてみたいものですな」
「直江殿が本気でこられれば、いつでも見れよう」
 兼続は家康を相手にしても、全く怖気づく様子がない。それどころかむしろ堂々としているように見えた。
 兼続は今は徳川の客将という扱いである。上杉に援軍を要請し、それに応じて兼続が来るというのは、上杉からすれば伊達征伐は願ってもないところだからだろうか。特に兼続は、伊達政宗を嫌っているともいう。
「こたびの戦、どう見られます。家康公」
「手段を選べば、長くもなろう」
「奥州の伊達は一筋縄ではいかぬ男ですからな」
「しかし、上杉の直江兼続に比べれば」
 ははは、と談笑している二人を前にして、信之は気分が優れぬと言ってその場を後にした。あれこそ狐と狸の化かしあいのような場面だった、と思う。
 そして、つくづく自分はそういった裏の裏を読みあうような場に強くはない、とため息をついた。
 北ではまだ野心のある者たちがいくらでもいる。
 豊臣の天下は見えはじめているものの、いまだにそれが成されたわけではない。その証拠に、上杉や伊達家にはまだ豊臣の手が及んでいない。
 上杉家は謙信の時代より、野心による勢力の拡大を好んでいない。戦は常に、誰かに望まれて起こすものだった。
 伊達家はそれとは逆に、野心に溢れているものの、周囲が大人しくそうさせるわけもなく。
 長く、上杉とにらみ合い、近隣の諸国を平定して間もない。
 伊達家は政宗が当主になってからまだ敗北らしい敗北を喫していない。その勢いは、目を瞠るものがあった。
 だから、家康が慎重なのかもしれない。今の伊達家には明らかな勢いがある。
 ふと兼続にもらった御札のことを思い出す。どうするかとも思ったが、捨てるほどの理由もない。信之は取り出した御札をまたしまって、長くなりそうな戦にため息をついた。




 徳川と伊達の両軍はいまだにらみ合いを続けているという。
 その話は素早く三成の元にももたらされた。
 豊臣からは、真田信之を援軍に送った。さらに家康の呼びかけで、上杉家が徳川方についたらしい。
 数の差は圧倒的。家康らしい戦い方だと内心思いながら、その報告に相槌をうって続きを促す。
 こうまで徹底的な抗戦の構えを見せるということは、伊達家はどうやら豊臣に従う気はないらしい。
 若い当主は大胆な行動と溢れる野心と、そしてそれらを支える家臣を持っている。彼らはそれだけの数を前にして屈服する気配は微塵も見せていないというのだから、やはり本気で戦う気なのだろうか。
(今回は睨みあうだけにせよ、その姿勢を崩さずにいればなびく者も現れるかもしれん)
 秀吉の天下獲りは恐ろしいほどとんとん拍子に進んでいる。
 人心の掌握もうまいものだ。だがその困難の少なそうに見える状況に、反発するような輩もいる。
 そして屈服しない伊達の姿勢になびく者がいないとも限らない。
(上杉はない。そもそも兼続が伊達政宗を毛嫌いしている)
 何度酒の席でその話になったか知れない。放って置いても噛み付くくらいの毛嫌いぶりだ。
 だからこそ今回、上杉が徳川方についたのだろう。
「双方にらみ合いのままか」
 そう問えば、情報収集につかっていた草の者が頷く。慎重な家康とはいえ、この戦での数の差は圧倒的なものだ。力の差を見せ付けてしまえばそれで終わる戦のはず。にも関わらずそうしないのは、家康には何か策があるのか。
 解せない。そう思っていると、唐突にねねの声が聞こえた。
 騒がしいその様子に、もういい、と草の者を下がらせると、三成はやれやれと重い腰をあげた。
「三成!」
「そんなに大きな声で呼ばなくても、聞こえていますよ」
 ため息まじりに言えば、ねねはじっと三成を見つめた。大きな瞳に真っ直ぐに見つめられて、思わず視線を逸らす。昔から、この瞳がどことなく苦手で三成はいつも真っ直ぐに見つめ返すことが出来ない。
―――いや、たぶん誰の視線であってもあまり真っ直ぐ見つめられたことはない気もするのだけれども。
「…うちの人が呼んでるんだよ。ねぇ三成、あの人、少し具合が良くないみたいだから、三成からも言ってやってね」
「…わかりました」
 どことなく焦燥気味のねねの言葉に頷くと、三成はその足で秀吉のもとへ向かった。いつもの広間に秀吉はいる。どことなく緊張気味の様子に、三成は首を傾げた。
「秀吉様、お呼びですか」
「おお、三成か。こっちゃ来い」
 言われるがまま、三成はやはりいつものように秀吉の傍へ歩を進める。
 いつもと同じような距離で腰を落ち着ければ、秀吉はもっと近くへ来い、という風に手招きする。何か秘密裏な話でもあるのか。三成はさらに疑問を深めて言われるまま数歩近寄った。
「…どうしました」
「戦はどうじゃ」
 ひそめられた声。しかし内容は、さしてひそめる必要もないようなものだ。三成は拍子抜けしたまま、それにあわせて声をひそめて、小声で話す。
「にらみ合いが続いています。上杉が徳川の援軍に参上しているとも聞いております」
「…何故終わらん」
「家康は慎重な男です。…石橋を叩いて渡ろうとしているのでしょう」
「…豊臣からの援軍も寄越したっちゅうのにか?…真田では勝てる戦と思えんのか」
 それは他の将がいる時にも、三成がはっきりと言ったことだ。徳川と伊達はおそらくにらみ合いになるだろうことも。だからこそ、豊臣からの援軍が到着した際には、素早く事が決する必要がある。でなければ、豊臣の力が弱体しているとも受け取られかねない。
「…いかんなぁ。三成、ちぃと行ってきてくれんか」
「…は」
 三成はそう言った秀吉の顔色をうかがった。ねねが心配するように、どことなく顔色がよくないようだ。病を患っているわけではないだろうが、妙に急いているのが感じられる。
「…秀吉様」
「なんじゃあ、三成」
「…いえ。最近、きちんと寝ていらっしゃいますか」
「安心して眠りたいから、戦を終わらせたいんさ」
「―――わかりました」
 三成は一礼してその場を辞した。広間に残された秀吉をちらりと見遣れば、彼は特にどこを見るでもなく呆けているように見えた。
 一抹の不安が胸をよぎる。
 しかしその不安を追いやるように首を振って、三成は荒々しく廊下を突っ切る。三成の不機嫌そのものといった様子の足取りに、通りすがった者たちは皆驚いたように逃げ腰に道をあけていく。
「殿」
 そんな状況で声をかける人間などたかが知れている。三成は、知った声に不機嫌を隠しもせずに振り返った。
「なんだ、左近」
「殿、徳川殿はどうですかな」
「相変わらずにらみ合っている。俺に聞かずとも知っているだろう」
 面倒くさげに言い捨てる三成に左近は肩を竦めて頷く。
「しかしまぁ、案外閑そうですが」
「…狸でも出たか?」
「ええ、まぁ。柳や枯れ尾花って話じゃないはずですがね」
 いるはずのない者がここにいる。
 左近は遠まわしにそう言っている。三成は視線だけを動かして周囲を見回した。徳川は今は全軍をもって対伊達に兵力を注いでいる。他事に首を突っ込んでいる場合ではない。時間がかかれば当然、秀吉が気にかけてくるのだ。
 兵力を分散するなどとありえない。そもそも、何の必要があってこちらを気にかけようというのか。
「そちらは左近に任せる。どうとでもしろ」
「承知しましたよ。殿は戦ですか」
「俺は戦には出ん。監視方だ」
 徳川の軍の後ろに控えて、逐一報告を入れさせる。場合によっては戦にも口を出す。秀吉はとにかく早い解決を望んでいる。それを家康によくわからせるためのものだ。戦に口出しをされたくなければ、さっさと片付けろ、と。
 三成の身ひとつでそう語ろうということだ。
「なるほど。ならば幸村も連れていったらどうです」
 左近は納得した、と頷いて意味ありげに幸村の名を出した。
「…何?」
「幸村の槍は役に立ちますよ。それに、家康殿の策じゃあどれだけでも時間が足りないってもんです。長く監視する可能性もありうる」
 長く戦場にいれば、それだけ不便も多い。
「…妙な気遣いだな左近」
「妙ですかな。ま、いい機会でしょう。どうせですから、殿の想いでも遂げられたらどうです」
「いい加減にしろ」
 低く冷静な声だったが、明らかに怒りと嫌悪を含んだ声音だった。幸村を、そういうことに使え、という左近に嫌悪しているようだった。
 そんな風だから、幸村に「純粋だ」と言われて喜んでしまうのだ、とは想うが左近はそれについては口にしない。
「殿、大丈夫ですか?何かあった時、本当にあいつを手にかけられますか」
「当然だ」
「そうですか。しかし左近には殿がどうしたいのかがよくわからんのですがね」
「…どうしたい、だと?」
「どうしたくて、大殿に進言して真田を滅ぼしたんですか。うまいこと言って兄弟を生き残らせて、どうしたかったんです」
「………」
「今の殿は、当初の目的も果たせずににっちもさっちもいかなくなっちまってますな」
 では次の策はどうします、と左近は肩を竦めてそう問えば、不機嫌極まりない三成が鋭い視線を左近の背後に向ける。
「…左近」
「は」
「柳を切るのに邪魔になる者は連れていく。それでいいな」
「ええ、そうしていたただけると助かりますね。なんせお気に入りの柳らしいですから」
 伝えておけ、とそれだけ言うと、三成は足早にその場を去った。左近はその背を見つめてため息をつきながら頷く。
 そして、そのまま周囲に視線をめぐらせた。





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また幸村出てなくてすいません。