日々のうた




 おまえはちょっと口を慎め、とあろうことか三成に言われて、兼続はぽかんと口を開けてしばらく三成を凝視した。
「…なんだその態度は!」
「や、すまんすまん。まさか三成に言われるとは思わずに我を忘れた」
 ああびっくりした、と兼続が一つ息を吐き出した。おいそんなに驚くことか、みんな思ってることだぞ、とは三成は言わなかった。これ以上固まられても鬱陶しい。というか腹立たしい。
「しかしそんなに不快だったか?」
「…おまえは、歯が浮くようなことを簡単に言うではないか。それのことだ」
「まぁ…多少あけすけだと言われたこともあるにはあるな。そういえば」
 兼続は簡単に口にする。たとえば「愛」という言葉も、「義」という言葉も。三成にしてみれば、愛も義もとかく不確かなもので形にならない。人がそれを形にした文字が「愛」と「義」であろうが、そうやって形にしたところで己の胸の内にある気持ちまでもがその形に当てはまるものだろうか。よくわからないから、違うような気がしている。
「私はそんなに難しく考えないようにしている」
「…人とは考える生き物だ。考えないと衰えるぞ」
「考えすぎても衰える。よく考えろ。例えば…そうだな。義という言葉を使って幸村や、慶次や、左近を前線に立たせる。帰ってこないかもしれない。あれだけ強い男たちに対して、そう思うのは失礼な話ではあるが、完全な勝ち戦というのも存在しない。だから最悪を考える。そうやって難しく難しく、最悪の時の策を考え続ける。そうやっていると、手足が重くなり、気持ちが重くなり、動けなくなる」
 策を練るときは常に最悪を考える。それは三成も兼続も同じだ。
 提案した策が、うまく動かなかった時はどうするか。裏切りが出た時はどうするのか。たしかに兼続の言う通りだ。
「だからな、私はそういう気持ちを払拭するために言うのだ。世界に私は一人しかいないが、私の周りには大勢の人間がいる。三成と話したこの策が、うまくいかないはずがない。左近が三成の策を万全にするために働いている。幸村が前線に立って鬼神のような働きぶりだ。慶次が、私の言う言葉に笑っている。うまくいかないはずがない」
 饒舌なほど、兼続は語る。もともと兼続は口数の多い男だ。特に酒を与えて放っておけばいくらでも語り続ける。よくそこまで喋ることがあるな、と思うが三成は案外この語りを聞くのが嫌いではなかった。
 何故か慶次の行く先々についてきているあの傾気者もおそらく同じだろう。
「そういえば前田の…あれをどうするつもりだ?」
「ん?慶次か?上杉を気に入ってくれているらしいな」
 いや上杉じゃなくて厳密に言えば直江兼続だろう。
 と、言おうとしてやめた。
「あいつの生き方は清々しい。幸村も妙に一目置いているところがあるしな。私としては嬉しいよ」
「…幸村が?」
「どうも織田の時代に戦場でな。まぁよくは知らん。幸村も語らんしな」
「…そうか」
 突然声音が低くなった三成は、不機嫌そうな顔をさらに怒りを滲ませて酒を煽る。わかりやすい奴だな、と兼続は笑った。いつもこうだ。幸村の話が出ると途端に雰囲気が変わるのだ。不機嫌になったり上機嫌になったり、忙しいことだ。
「どうした」
「なんでもない」
 なんでもない、とはとても思えない顔つきでぶっきらぼうに言う。
 兼続はやれやれと肩を竦める。この不器用な性格はどうにかならないものだろうか。叩いて治るとか、毘沙門天の加護で治るならなんとかしてみたいものだ。
「幸村がどんな風に生きてきたか知りたいというのはおかしいことではないぞ三成」
「何もそんなことは言っていない」
「我々は友ではないか」
「そういう話ではない!」
「ではどういう話だ!」
「どういうもこういうもない。元々はとにかくおまえは少し口を慎めという話だ!」
「このご時世だ。言わぬうちに終わって後悔など、私は御免だよ三成」
「……おまえには、忍ぶ恋というやつは一生難しいだろうな」
「そうだな。命短しだよ三成。本当に、私は幸村や、慶次を見ているとそう思う」
「…何故だ」
「さぁ、何故かな。私に出来ない生き方をしているからかな」
「おまえに出来ない?」
「そうだ。何にも縛られない生き方だの、自分の命を投げ出すように戦うだのと」
「…いい迷惑だ」
「そうさ、二人ともいい迷惑だ。しかしだからこそ、惹かれる。慶次の豪快な笑う姿には胸がすくし、幸村が生きて帰ってくると、安心して嬉しく思う。ああやっぱりこいつは強い!とな」
「………」
「だから、言おうではないか。言わずに終わるより、言って玉砕する方が清々しいというものだ」
「何をだ」
「言いたいことを、言えと言っている」
「…また話がずれてきているぞ兼続」
「ずれてなどいるものか。以上、したがって口を慎むことは不可能!おまえが素直でない分、私が素直に生きるとしよう!」
「俺は関係ないだろう!」
「ある!おまえは素直でないから敵が多いのだ!したがって酒で素直にしたいと思う!異議はあるか!」
「俺のことは放っておけ。兼続、貴様酒を…」

「お、いいかんじに出来上がってるねぇ」
「か、兼続殿…」

 三成が言おうとした言葉をふさぐように、慶次と幸村がやってきた。
 手にはそれぞれ酒を用意している。ちょっと待てどういうことだ、と兼続を見遣ると、人の悪い笑みを浮かべた兼続が言い放つ。
「良いだろう。幸村が心配しているのだぞ」
「…幸村が?」
「あ、いえ。すいません私などが」
「幸村には優しいからなぁアンタ。それ他の奴にも出来たら信望者も増えるんじゃないかい?」
「そんなものはいらん」
 明らかに不機嫌に三成は言い切った。わざとかどうかは知らないが、今の言い方では「幸村以外はどうでもいい」と言っているように聞こえるから恐ろしい。しかも無自覚だ。相手が聡い者だったらどうするのだ。幸村だから気づかれていないのだ。
「少数精鋭ってのもいいがねぇ。戦じゃそうはいかんぜ」
「なんだ前田、貴様随分と弱腰だな」
「お、挑発するかい?」
「三成殿、慶次殿には通用しませんよ」
 慶次を擁護するような物言いに、さらに三成の不機嫌度が増した。恐ろしいことだ。さて慶次が気に入らないのか、幸村が慶次を庇うのが気に入らないのか。
「うるさい。そもそも俺は前からこのでかい男が気に入らんのだ」
「ほう、どこがだい?」
「どこもかしこもだ!」
「そうか、どうするかな」
 肩を竦めてこちらに尋ねる慶次に、兼続も同じくして返した。
「別にどうもしなくていい。なんせ私も口を慎めと言われたほどだからな。幸村、助けてくれ」
「え、私ですか」
 突然話を振られて、幸村は酷く困惑した様子だ。そう、ここは幸村だ。
「おまえにしか頼めんのだ」
 左近がいても、幸村に頼む。こういうことは。
「三成殿、お心お鎮めください」
「幸村、おまえはこいつらの味方か!?」
「い、いえ私は別にどちらの、というわけでは」
「はっきりさせろ!」
「えっ、は、はっきり、ですか」

「殿、それはちょっと横暴じゃあないですか?」

 今度は酒持参で左近がやってきた。明らかに酒が今回の主賓であるかのように、大量に、だ。
 とにかくその左近の登場で、救われたような顔をしたのは幸村で、慶次は酒に機嫌を良くした。もちろん三成の不機嫌は絶頂を極めている。
「さ、左近殿」
「左近貴様は黙っていろ」
「そりゃあないでしょう」
「俺は幸村に聞いているのだ!」
 怒鳴る三成に対しても屁でもないという様子で左近はその場に座り込んだ。ちょうど幸村の隣、そして逆の隣に慶次がいる。呑む相手は慶次と決めているらしい。
「聞いているっていうか恐喝でしょうそれは。殿、不義ですよ」
「いえている!幸村を脅すなど不義だ!」
 左近から不義という言葉が出たことが面白くて、つい普段やらないような野次を飛ばしてみる。途端に三成の般若のような顔がこちらを睨んだ。
「なっ…!お、俺は別に脅してなど」
「その勢いじゃあ脅しているようにしか思えんぞ」
「そ、そんなことは…」
 三成の勢いが削がれてきた頃、そんな三成を不憫に思ったのか幸村が助け舟を出した。
「三成殿、落ち着いてください。私は三成殿のお味方です」
「ゆ、幸村…!」
 途端に勢いを取り戻す三成。だから本当に自覚がないのか、それで?ともはや呆れる域だ。本当に面倒な奴だ。慶次が「厄介な御仁」と言っていたのもわかる。
「あーあー、鼻の下のびてますよ殿」
「綺麗な顔が台無しだな!」
「だから貴様らは何の話をしている!」
「アンタは案外わかりやすいって話さ。なぁ兼続」
「そうだ」
「俺にはわかるぞ、百歩譲って兼続が何か思っていたことがあってこの場を仕組んだとしても、前田と左近はどう見ても酒が目当てだろう」
「そんなことはありません。殿、左近はいつでも真剣に殿の良いように進むよう考えておりますぞ。まぁたまには息抜きも必要というわけですが」
「俺ァまぁ、酒だがね。幸村の頼みとあっちゃ俺も断れんのさ」
「ゆ。幸村がおまえに頼みごとだと」
「あんたのことだから落ち着けって。なぁ兼続」
「そう、おまえの為だ三成!」
「どこも俺の為ではなかろうが!そもそもそんな嘘、」

「嘘ではございません。三成殿の気持ちが和らげばいいと」

「…それは、まことか」
「はい」
「…俺はそんなに頼りないか?」
「そのような。ただ、他のたくさんの方に知っていただきたいだけです。三成殿のよいところを」
「……」
「兼続殿にご相談しましたら、今回の場を設けてくださいました」
「…お、俺は…」

「なぁ三成」
「なんだ!」
 邪魔するな、とばかりに声を上げた三成に兼続は酔った顔色のまま笑いかけた。

「楽しいな?」

 いつ終わるかわからない戦ばかりの世だからこそ、声を張り上げる。
 仲間と笑いながら酒を呑む。
 愛だの義だのと確かに曖昧なことを大声張り上げるけれど、それでついてきてくれる者がいるのだから、この世は捨てたもんじゃない、と思うのだ。
 みんな、そういう形のないものが好きなのだ。
 形がないから憧れるのだ。
 友情だの愛情だの、義だのなんだと、それら全てに形はなく、それ自体には縋れるものではない。
 だからどうせなら、大声張り上げて、この日この時を謳歌しよう。




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台詞ががーって続くのはテンポがいいってことです。と、説明(爆)