よく晴れた日のことだった。
濃い青の空は澄んでいて、普段よりも高く遠くを見渡せるような心地になる。
しかしその空の下では、今まさに合戦が繰り広げられていた。
兼続は不機嫌だった。理由は単純だ。真田が援軍に来る事になっているが、少しばかり追い詰められて、背後はすっかり行き止まり。切り立った崖になっており、上から駆け下りるといった事は到底出来そうもない。その上、前方は敵にあさがれていて、前進が出来ない。
(義経の鵯越でも無理だな)
さて困った。ほとんど直角の崖は人にも馬にも越えることは難しい。さてどうやってこの急場を切り抜けようか。
そう思っていた時のことだ。
兼続の耳に、馬の駆けてくる音が聞こえた気がした。振り返れば、その切り立った崖の上。逆光に遮られてよくわからなかったが、それが馬と、人と、そして槍を持っていることに気付く。
「…幸村!」
幸村の六文銭をあしらった鎧が見えた。幸村は、馬と共に崖を飛び越える。とんでもない身のこなしで、幸村は馬から飛び降りると手綱を遣って猛進していく馬を軸代わりにして滑るように地面を駆ける。その軌道にいる敵兵を片手で槍を遣い、見事に薙ぎ倒していった。
敵方も、あらぬ方向から単騎で現れた幸村に困惑し、度肝を抜かれ、錯乱していた。が、すぐに我にかえった敵は、幸村めがけて矢を放った。
それも幸村は身体を反転させ身をひねりながら避ける。手綱から手を離し、近場の敵を屠った幸村へ、再び矢が放たれた。
兼続は咄嗟に手にしていた札を気を込めて放った。呪のしたためられた札が、まるで生き物のように不自然に風に乗り、幸村めがけて放たれた矢を、束ねるようにからめ取る。途端に矢は失速し、地に落ちた。
幸村がそれに気付いた。視線が交錯した。
「兼続殿!」
小競り合いは、一応の決着を見た。ようやく敵が撤退を始めた頃、忙しく陣頭指揮をとっていた兼続は名を呼ばれた。幸村だ。今回はこちらもなかなかの被害だった。撤退する敵を追いかける余裕はない。こちらも撤退の準備をはじめていた時で、幸村は人垣を抜けだしてきた。
「先ほどはありがとうございました!」
戦の余韻がまだ残っているようだ。火照った頬がその証拠だ。無論この勝ちは幸村が来てくれたからだが、それにしても言ってやらねばならない事がある。兼続は無邪気に駆け寄ってくる幸村に対して、腰に手を当てて不機嫌を露わにした。
「幸村」
こちらの様子に気がついたが、幸村が駆け寄ってくる足を止める。
「は、はい」
「先ほどは見事な援軍だった。おかげで助かった。だが、少しばかり無謀に過ぎるぞ」
「…はい」
「あのような崖から飛び降りて、何かあったらどうするつもりだ!おかげで集中攻撃を受けていたではないか」
振り返ってみても、おおよそ普通の人間が飛び越えるような崖ではない。正直今思い返してみても、ありえない光景だった。この事を三成や左近に話して、信じてもらえるだろうか。
とにかく幸村は目立った。日々の鍛練の結果といえばそうかもしれないが、それにしても単騎でとは。
「私が間に合ったからよかったものの」
無理をされては困る、と言えば、幸村は少し困ったような苦笑を浮かべた。
「兼続殿が」
「ん?」
「いたので、安堵していたのかもしれません」
言われて、兼続はじわりと胸に奇妙な感覚を覚えた。なんだろうか。嬉しいというより、むず痒いような。照れくさいような…。
「…ずいぶん信用されたな、私も」
「申し訳ありません。今後気をつけます」
「いいさ。勿論私が助けられる時は、いつだって助ける。だが無理は禁物だ。先ほどは心底肝が冷えた」
「はい」
「こういうのは、本来三成の役目なのだがなぁ」
「なんですか?」
「…いや、幸村を大切に思う者はたくさんいるのだぞという話だ」
兼続は苦笑すると、幸村の背に腕をまわした。肩を組むようにすると、幸村が何だか頬を赤らめて嬉しそうに笑った。
なんだかんだいって、結局のところ兼続も、三成も過保護なのかもしれない。
人のことが言えないなと気がついて、兼続は声をあげて笑った。
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