ずる、と身体を動かした。泥にまみれた手足。血は大地に吸われていく。意識は遠くなっていく。指先は冷えて、身体はまともに動かない。そもそも、今こうして動いているのも、一体何の為か。
 迎える結末は変わらない。
 ただ。
 ただ、その瞬間に、きっと同じように地に伏せ倒れているその男が、どんな顔をしているのか。
 それを、見たかった。


 秀頼の呼びかけに応じた牢人あるいは武将たちの中には、長く蟄居を言い渡されていた真田幸村の名があった。幸村は三成とも親しく、清正が三成と道を違える前――秀吉存命の頃には多少なりとも交流があった相手だった。
「よぅ」
 声をかけるのに緊張した。
 しかしその緊張が馬鹿らしくなるほど、幸村は昔のままだった。
 少なくとも、清正が知る程度には。
「清正殿、お久しぶりです」
 徳川と一戦交える。その戦が避けられない事態となったのは時を少しさかのぼる。清正は徳川と豊臣と、その間に立って奔走した。どうにかならないものかと手を尽くし、何度も会談の場を作った。だが結局、事態は清正の思ったようには動かなかった。
「少し、お疲れのようですね」
 久しぶりに会った相手に、幸村はそう言った。奔走していた事を知っているような口ぶりだった。
「幸村は、痩せたか」
 蟄居中の生活は楽ではなかったと言う。
 清正には想像がつかない。だが、幸村はただ笑うだけだった。否定しないところを見れば、清正の言葉も的が外れているわけではないようだ。
 関ヶ原で三成が家康と戦った、あの合戦はもう遠い。結局三成は処刑され、三成と親しかった直江兼続は上杉の家の為に徳川方についた。おそらくこの戦にも徳川方で参戦するだろう。
「…良かったのか」
 こちらについて。
 幸村の兄は本多忠勝の娘の稲姫を妻にしている。少ながらず東軍に縁がある人間だ。その気になれば、いくらでも東軍につくことは出来たはずだ。もしかしたら今からでも、迎え入れられるかもしれない。
 幸村が蟄居していたのも、本多忠勝と真田信之の働きかけが大きかったとも聞く。
 だが幸村は、何の迷いもない表情で頷いた。
「はい」
 後悔など微塵もない、とばかりに頷く幸村は、清正にはいっそ眩しいくらいだった。
 それにひきかえ自分はどうだ、と苦く思う。三成と袂を分かち、結果的に豊臣はその威信を保つことが出来なくなった。そもそもが秀吉の死去で出来なくなっていたからこそ、考え抜いた末に清正は徳川家康の側についた。何にでもただ立ち向かっていては決定的な敗北を喫した時に、立ち直れない。それどころか、餌食にすらされる。そう思っていた。
 だがどうだろう。結果的に家康は豊臣を守る気など欠片もなかった。結局のところ自分はうまく立ちまわれないまま、今に至る。
「…そうか。わかった」
 短く頷くと、清正は逃げるようにその場を去った。
 家康は今や抗いがたく大きな存在になっている。巧みに生き残り、今の座を手に入れた。
 清正の中で、確信があるのだ。誰にも言えない、確信が。
(きっとこの戦は…)
 正則にすら言えない。
 何が正しかったのすらもうわからない。
 ただ、今この大阪城に集まっている牢人や、関ヶ原の時から西軍に与した者たちが、ひしめきあうここを見ていて思うのだ。
 みんな馬鹿だ、と。
 そしてそれは自分も同じく。
 きっと清正以外の皆がそう思っているに違いない。それぞれあらゆる理由があってここにいるのだろう。今更東軍に降ることの出来ない者たち。牢人たちにまで声をかけていったのはあまりにも戦力に差があったからだ。だがそれでも足りない。
 すでに城の周囲は東軍が固めている。篭城するにしても、援軍など来ないとわかっている戦に、一体いつまでその士気が保てるのか。
 考えれば考えるほど、勝算を見出すことは出来なかった。
 清正はじっと拳を握る。
(…守れないのか)
 そして今度は徹底的に、何もかも失うのか。
 豊臣の家を守りたい。秀吉が、ねねが大切にしてきたここを。この場所を。そしてそれらを平和に導くために必要なのが、結局のところ豊臣の天下なのも。
 気がつけば、この手にその一切がずしりとのしかかっている。
 どれだけの人間が死ぬだろうか。この戦に負ければ豊臣はどうなるだろうか。秀頼は。自分たちは。
息をするのすら難しい。
 眉間に寄った皺はとれないくらいに深く刻まれたきりだった。
 目の前に浮かぶ光景は、どれもこれも。
 まるで世界の終わりを見るようで。
 助けは来ない。世界を一変させるような援軍は来ない。今更そんな奴は、もう生きていない。
 立ちつくして、清正はその双眸を閉じた。昔の記憶に閉じこもるように、皆が生きていた頃に思いを馳せて明るい世界を思い出す。
 だがいつまでもそうしていられるわけもなく。
「清正殿、よろしいか」
 声をかけられ、清正は顔を上げた。ああ、と短く頷き呼ばれた方へ足早に駆けていく。いいから、もっと仕事を持ってこい。やらねばならない事を探し出せ。少しでも、ぼんやりしている余裕などないのだから。
 そしてそうすれば、何も考えなくて済むのだから。



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