戦が終わり、徳川との戦いも蹴りがついた。家康の威信は各地にその影響力を残していたから、後の処理はそれは大変なものだった。が、もうほとんどそれも終わりに近づいている。
清正たちがようやく一息つく事が出来たのは、大阪の陣からかれこれもう一年が経過した頃だった。
戦につぐ戦だった事もあり、一息ついた今となってはだいぶ気も緩んだ。各地に散っていたそれぞれもようやく大阪に戻り、秀頼の一言から酒宴が催されることになった。
あの戦から一年。城の復旧は素早く、何よりも優先された。おかげで外から見える大阪城は、すっかりその威容を取り戻している。
城の復旧は何より大事であると説いたのは幸村だった。この城は秀吉が全国の諸将たちを平伏させる為に作ったものだ。大きく立派なそれは、どんなに遠くからでもその姿を見る事が出来ると噂だった。その姿にいつまでも傷がついていては威信を取り戻すのは難しい、と。それについては清正も正則も同意だった。二人にとってはこの城は多くの思い出を含んでいる。それが痛々しい姿のままでは、どうしても心が痛む。それを言いだしてくれたのが、豊臣子飼いだった清正でも正則でもなく、幸村だった事が、城の復旧をさらに早める結果となった。
清正と正則が城の修復の為に動いている間、幸村たちは各地で起こっている反乱を鎮めていた。宗茂や幸村の奮戦もあり、事態は予想していたより早く収拾出来た事になる。
清正のところに幸村が大阪についたという話がついた頃には、すでに周囲の反応からそれを知った後だった。
「清正殿」
「よう、久しぶりだな」
幸村が来ると周囲の女性がにわかに騒がしくなる。いや、どちらかというと静かになる。騒がしくなるのはもっぱら宗茂が来た時で、一斉に宗茂に熱い視線を送る。宗茂自身それに慣れているから、さっぱり気にする気配もなく、むしろその視線にさらされて当然だといわんばかりの態度なので、ある意味笑えてしまうのだが、幸村はちょっと違う。その空気がぴんと張り詰める。
「相変わらずだな」
「ええ、清正殿もお元気なようでなによりです」
幸村の場合、一部の女性の態度が変わる。全員ではない。しかも皆静かになる。視線も控えめで、気付かれないように見つめている、といった方がいいか。幸村を見つめる視線の大半の女性は、幸村を本当に好いていて、しかも立場をわきまえているような者が多かった。
くのいちしかり、甲斐姫しかり。
「そういえば、怪我はどうした」
言われて、幸村は一瞬怯んだように身をひいた。が、清正はそれを逃がさない。うまく隠していたつもりだったのだろう。清正は報告を受けていた右腕を思い切り掴んだ。
「…ッ」
息を呑む幸村に、清正はため息をついた。
「隠すな、馬鹿」
「…す、すいません」
右腕の怪我は報告によれば伊達の起こした小競り合いをおさえるものだった。伊達政宗との一騎打ちで負ったのだと。結果は両者とも傷を負い、互いに命をとるまでには至らなかった。
傷は浅くはないとの報告も受けていた。とくに幸村の場合利き腕だ。生活そのものにも支障をきたしているのではと思ったが、うまくやっているのかもしれない。ここで清正が暴くまで、幸村は顔色一つ変えずにいたのだから。
「大丈夫なのか」
「ええ、大丈夫です。治りも良好ですから」
「…ならいいが、無理はするなよ」
「ありがとうございます」
清正がようやく解放してやれば、幸村はどこかほっとした様子だった。
幸村は顔色からでは無理をしているのかどうかが全くわからない。無理をしていればすぐ顔に出るような奴ばかりを相手にしてきていたから、幸村のやせ我慢にはいっそ恐ろしい演技力も加わっていて気が抜けない。正直少し過保護過ぎるのではないかと思うところはあったが、そうでもしないと後悔しそうな事が多くて、ついつい清正はしょっちゅう幸村を心配していた。
自分でも、きちんと理解はしている。
心配する理由も、何もかも。
清正はため息をついた。隣で幸村が不思議そうに首を傾げる。それを見て清正が苦笑いを浮かべれば、まるで計ったような間合いで、宗茂が声をかけてきた。
「清正、幸村」
振り返った二人に、宗茂が笑顔で手をあげる。いつもの通り、いつもの様子の宗茂だ。こちらは、心配する必要があまりないから助かる。
「お久しぶりです」
「よぅ、遅かったな」
「あぁ、道中足止めをくらってな」
笑う宗茂のその様子だと、おそらくいつもの通りあちこちの女性の視線にこたえていたのだろう。そういうところで律儀な奴だ。結局のところ女たちの視線にさらされるのが好きなのだろう。全くもって理解しがたい。
「大変でしたね」
幸村は全く知らない素振りでそう返す。宗茂がにこにこ微笑んで頷く。なんだかな、と思うがどうこう言う気はなかった。二人は二人とも、女たちの視線を根こそぎ持っていく。にも関わらずこの差はなんなのだろう。考えると不思議だ。
「幸村も足止めをくらったりしなかったか?」
「…私ですか?私は特に何も…?」
何か足止めを食らうような理由がありましたか?とばかりの幸村の様子に、宗茂は肩を竦めた。暗に宗茂は幸村を慕う女性陣の事を言っていたのだが、幸村にはさっぱり伝わっていないようだ。
「そうか、苦労するな」
宗茂の言葉に、幸村は相変わらず首を傾げた。清正は無言で宗茂を睨む。間違いなく今のは自分に向けてきた科白だ。当の本人に伝わらなくて、こういう奴にばかり伝わっているのが腹立たしい。
清正の気持ちが幸村に傾いたのは、もういつの頃だったか。はっきりと記憶にはない。ただ気がつけば幸村ばかり見ていて、誰よりも幸村のことを心配するようになっていた。
果たして自分のこの感情が色恋に関するものなのか、清正にはわからない。まともな恋愛をした経験が薄いせいだが、幸村の言動に少なからず一喜一憂する自分のこの感情は、否定のしようがない、とも思う。過去好いた人に対しても同じように一喜一憂していた。あれと一緒だ。
相手は幸村である。とことん色恋沙汰に疎い男だ。どれだけ女性から本気の視線を向けられていたとしても、気付かない奴だ。清正の感情そのものに気付くとは到底思えない。別に気付いてもらう必要もない。今の関係で十分だろう、とも思う。
それに自分のこの感情は、何かあるたびに清正に過去の記憶も呼び覚まして、あまり面白くはない。
「…幸村」
「あ、はい」
「悪い、先にいってくれるか。正則を連れてくる」
「わかりました。では後ほど」
宗茂と連れ立っていく幸村の後ろ姿を眺めて、清正は改めてため息をついた。
面倒な奴を好きになったものだな、とつくづく思う。そもそもそういう感情を引き出されるとも思っていなかっただけに、何故だか酷く恥ずかしいような気持ちがあった。
特別なんて増えれば増えただけ面倒で、自分の心が自分の思う通りにならなくなる。
わかっていて、だけど止められなかったし、気付いてしまった。
清正は踵を返した。正則のいるところは大体わかっている。放っておけば騒ぎながら来るのだろうとも思うが、放っておけないのだから仕方ない。
放っておけない、というだけなら正則もそうだ。それを幸村だけ特別になったのはなんでだったか、と考えて、ふと足をとめた。
(…たぶん、あいつが…俺と同じだからだ)
同情とかそういう事ではないはずだ。だが、その感情が、間違いなく同じだ、と気づいた時から始まったということも、清正は知っていた。
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