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兼続はとある村で足止めを食らっていた。 村の者たちが、人を探しているという兼続に対して、向こうは駄目だと言ってきかないからだ。その上、十分なもてなしを受けてしまい、なかなか抜け出すことも難しい。 どうやらその村の近くでは遠呂智軍の者が多く出没するらしい。 怖いならば村を出れば良いとは思ったが、そこから出られない者も多いだろう。特に、昔からそこで暮らし、年を重ねていったという者こそが出ていきたがらない。大人しくしていれば、目立った被害はないという話だった。当初は、遠呂智軍が大挙して村へ押しかけ、食糧などを奪っていったりしたものだったが、ある時からそれがなくなった。 (…ある時、というのはおそらく伊達軍が遠呂智の傘下に入ったあたりからだな) 兼続は、もらった饅頭を頬張りながら考えた。村の者から聞く話に、独眼の若武者がよく出てくる。大軍をひきつれてやってきたという彼らは、この近くの城に住み着いているという話だった。目と鼻の先だ。無理に夜中にでも抜け出して、馬を走らせればさほどかからず城にたどり着けそうだ。 しかし、驚いた。 この村の者に、政宗はずいぶんと慕われている。どうやら彼らも、政宗が来てから村が襲われることがなくなったと気付いているらしい。 おかげで、その政宗に危害を加える者かどうか、ここで吟味されているのだった。今も見張りがついていて、ここから抜け出すのは実に難しい。 この村の者は、遠呂智に与しているのかと言えばそうではない。ただ、恩を返しているだけなのだ。そのつもりで、兼続を監視している。人を探している、と言った時に伊達軍の話を多少したのが悪かったかもしれない。 (ずいぶんと、周到な話だ) 一日二日でこんな風に、村の者を懐柔する事など出来るはずがない。日々の積み重ねの中で、政宗を慕う者たちが増えた。それが、今兼続の行く手を阻むというわけだ。偶然だろうが、それにしても腹が立った。 饅頭は、今蒸したばかりの出来たてだった。頬張りながら、熱さに多少驚いていれば、ふと外が騒がしくなった。 「…何かあったのか?」 兼続のいる場所からでは騒ぎの中心を肉眼で確認することは出来ない。僅かに腰を浮かせれば、何の躊躇いもなく兼続の借りている小屋の戸が開いた。 「ここにいたか、兼続」 「…三成!」 思わず立ち上がった。予想外な人物の来訪だったのだ。 頬張っていた饅頭を無理やり飲みこんだ兼続は、この村に三成が現れたことで改めて実感した。三成が遠呂智軍にいること。 「……本当に、遠呂智に与しているのだな」 「ああ」 「本当に不義に屈したのか?それとも何か理由があると言うのか?」 「説明はなしだ」 三成はどことなく他人行儀だった。久しぶりの再会だというのに、それを喜ぶ気配もない。勿論、兼続としても共に義を誓った友が遠呂智軍にいるという事実に、とてもではないが喜びあう気分ではないが。 「何をしに来た?」 「信玄公に請われて、幸村を探してここまで来た。慶次が何か知っているのではないかと思ってな」 「そうか」 三成は、兼続の向かいに腰をおろした。つられて兼続も腰をおろす。普段から、三成は何かあった時は視線を逸らす癖がある。今も視線を逸らす姿に、兼続は何かあると気がついた。 「慶次はどうしている?」 「別に何も変わらん。遠呂智とも対等に語らっている」 「相変わらずか。あのいたずら者め」 兼続は思わずため息まじりに苦笑した。慶次に関しては、何故だか遠呂智軍にいたとしてもさほどの違和感を感じなかった。慶次は枠におさまらない男だ。興味の湧いたものへの行動力があって、時に驚かされる。 今回はその興味が、遠呂智という悪へ向かった。ならば好きなだけ知ればいい。 「我らと戦う時も、悪びれもなかった。やりずらい事この上ない」 遠呂智という未知の存在に、多くの勢力が巻き込まれ、叩きのめされ、散り散りになっていく。それを見かねた信玄から謙信へ、同盟の申し入れがあり、謙信はこれを受けた。そして包囲網を敷いた上で戦ったが、その時に慶次と兼続は短く言葉を交わした。見届けたい奴がいると言った慶次。好きにすればいいとは思うが、兼続の策のことは見破れる程度には共に戦ってきた相手だ。幸村も同じくしてやりずらそうにしていた。 「三成」 「……」 「慶次は、わかる。あれはどんな状況でどんな立場でも、興味をひかれたものへの接近を好む。だが三成は違うな。私の知る三成は、不義に落ちて遠呂智軍の先駆として戦うような男ではない」 三成は腕組みをしたまま、応えない。相変わらず視線は逸れたままだ。ある種の予感がして、問うた。 「三成。何故遠呂智軍にいる。幸村の為か?」 幸村の名を出した途端、三成の視線が兼続と正面をぶつかるように合わさった。その双眸には動揺の色があった。無表情に徹すれば恐ろしく血の通っていない人形のように見える男だが、今この瞬間はずいぶんと人間くさかった。 「…そんなわけあるまい」 「本当か?すでに幸村は遠呂智軍に捕えられていて、それを取り返す為に遠呂智軍にいるのではないのか?」 兼続の言葉に、三成は肩を竦めた。兼続の言う通りだとすれば、それは随分健気な話だったが、実際現実はそんな甘いものではない。 「兼続は俺を買いかぶりすぎだな」 「義を共に誓った仲だ。買いかぶって何が悪い。私の知る石田三成という男は、理不尽を嫌い、数の力で解決する事に疑問を持つ男だった。そして言葉が足らず、不器用な奴でもあったな。幸村への感情など、当にわかっているぞ、私には」 兼続はここぞとばかりに訴えかけた。本当のところは、兼続の思っていた通りの展開であってほしいと、そういう望みがあったからかもしれない。が、そんな兼続の望みをよそに、三成は少しも動揺しない。 「…そうだな。俺の気持ちは兼続、おまえには知られていただろう。だが、遠呂智軍にいるのはそんな理由ではない」 「…ならば、幸村は遠呂智軍に捕らえられているわけではないのだな」 だが、確かめるように問うた兼続の言葉に、三成は答えなかった。答えられなかったのだ。 「三成、答えてくれぬか。大切なことなのだ」 兼続もそれに気がついた。何かある。自然と、身を乗り出すようにしていた。 三成は、一度は合った視線がまた逸らされている。本当に嘘のつけない男 だ。こういうところを見ると、やはり何かあって遠呂智の軍にいるのだと思う。そうでなければ、三成が遠呂智などという「悪」に与するわけがないのだ。どんな理由があるにせよ、三成はこれはと遣えた相手には生涯通して忠義を誓う。そういう男だ。それが、秀吉のもとにいないだけでも十分不自然だったけれども。 「…三成!」 身を乗り出し、今にも胸倉を掴みそうな勢いで兼続は辛抱強く三成の名を呼んだ。話してくれと。 どれほど互いの間に不自然な沈黙が落ちたことか。 「…だから、俺では駄目だと言ったのだ…」 ため息と共に、三成がもらした。 「何?」 観念したように、三成がぽつぽつと話し始める。 「…幸村は、いる」 「捕まっているのとは違うのか」 三成は苦虫を噛み潰したような表情だった。茜色の髪をかきあげて、ぐちゃぐちゃと掻き毟る。 「捕らえられているわけではない。…回復を待っている」 「怪我をしているのか?」 「だいぶ回復はしている。が、目を覚まさん」 「三成!」 思わず兼続は机を強く叩いていた。幸村が目を醒まさない?だとしたら何故そんなに平静でいられるのか。どちらにせよ三成は遠呂智軍のもとにおり、目を醒まさないのだとしたら、もっと切羽詰ってもいいはずだ。 だがそんな兼続に、三成は言った。 「…幸村は、伊達軍がその身を預かっている。妲己も、遠呂智も、この事は知らん」 三成の口から意外な名が出たことに驚いて、だが兼続は己の眉間の皺が深くなるのを感じた。 「伊達だと?山犬が一体何故」 「知らん。あの男の考えることなど、俺には理解が出来ん」 三成も吐いて捨てるように言った。こういう時の三成に、嘘はない。本当に、理解が出来ないのだろう。 「…前田慶次の話では、幸村は一人でここまで来た。だいぶ憔悴していたが、一度だけ刃を向けてきた。だが結局そこで倒れて、今に至る。その際に、伊達政宗は妲己にも遠呂智にも報せずに己の軍が身を寄せている城に匿った。…そういう話だ」 武田軍は、多くの人間があの戦で散り散りになってしまった。上杉よりもその被害は大きく、まだしばらく武田が動ける気配はない。せめて幸村が信玄のもとに戻れるよう、手を尽くしたいものだ。おそらく幸村は、あの戦で負けたことをずいぶん気に病んでいるだろうから。その上、幸村にとっては命の恩人である慶次が遠呂智軍にいたとあっては思いつめるかもしれない。 兼続と違って、幸村はそういう形で割り切るのは難しいのだろうから。 「…幸村を、引き渡してもらいたい」 「……俺だとて、そうしたい」 「ならば、手伝ってくれぬか」 聞くところによれば、政宗は遠呂智の力に心酔しているという。唯一、軍を丸ごと率いて遠呂智軍に加えろと言ったという。 そんな相手のもとに幸村を置いておくのは危険だ。どんな理由で幸村を匿ったのか、理由はわからない。が、過去の因縁を思うとどうにも心が逸った。 「……兼続、ならば俺の策に従え」 そう言ってきた三成の表情は真剣だった。先程までとはうってかわって、真っ直ぐ正面から見つめられる。 策の内容を聞く前に、兼続は頷いた。 「ああ、話してくれ」 策を語り合いながら、気になった。 何故、政宗は幸村を匿ったのか。 あの二人に、特別な接点はあまりない。互いの印象については良くも悪くもないだろう。だが、兼続と三成は政宗をあまりよくは思っていなかった。そのせいで、幸村もあまり伊達と接点がないはず。 だというのに。 知りたい、と思った。 遠呂智軍に加わり、戦うような男が、何故幸村を匿ったのか。遠呂智のいなかった頃から、ずっと兼続は政宗とは徹底的に不仲だった。互いの意志は交わらないし、ずっと平行線を辿るばかり。だから知りたいと思ったのは、それが始めてのことだった。 |
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