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幸村は相変わらず眠り続けている。呼吸は安定しているし、寝息にも乱れはない。だが目は醒まさない。数日ならばそれほど憔悴していたのかとも思えたが、そろそろおかしいと感じてはいた。 部屋へ入れば、くのいちが近くの壁に手裏剣を投げつけた。重い音とともに、壁に突き刺さったそれは、ちょうど政宗の顔近くを狙って投げつけられたものだ。剣呑な眼差しを向ければ、くのいちはわざとらしい演技で驚いたような素振りを見せる。 「あっれ〜。もう起きてきたんですかァ」 「ふん、今更幸村の忍びらしいところを見せられても何の感慨もないわ」 壁に突き刺さった手裏剣を抜くと、政宗は手荒くくのいちにそれを投げた。適当に受け取ったくのいちの表情は不満を露わにしていたが、特に何も言う気はない様子だ。 「言い返さないのか?」 後から入ってきた兼続の言葉に、くのいちは肩を竦めた。 「べっつにぃ。教えてやる必要ないですし〜」 「幸村を探すのにあちこち潜入していたというのにな」 信玄から幸村を探してきてほしいという要請を受けた時に、すでにくのいちは動いていた。くのいちが便りも寄こさず、帰ってこない事を受けて、兼続に白羽の矢が立ったわけだが、その間もくのいちは懸命に幸村を探していたのだ。結局、慶次や三成を頼ることを決めた兼続とほぼ同じくらいの時に居場所を知ったのだが。 「変な術でもかけられてる様子かい?」 慶次に言われて、兼続は改めて幸村の前に立った。遠呂智軍を包囲する策で共に戦って時以来だ。そう経っていないようにも思うが、ずいぶん久しぶりな気もしている。それは、世界が変わりすぎてしまったからだろうか。 眠っている幸村は、相変わらず静かな寝息で、兼続が気を張り巡らせても術にかかっているようには思えなかった。そういう作意が、幸村の周辺から感じ取れない。 「いや、それはなさそうだな。ただ、眠っている、としか」 「……疲れてたってことかねぇ」 慶次が首を傾げ、兼続はため息をついた。 「疲れていない人間がいるのか?」 「ん?」 「世界は大きく変わってしまった。史書の中で見た人々を目の当たりにし、気味の悪い軍団が跋扈している。あちこちに妙な吹き溜まりのようなものが剥き出しの土地がある中で。その変化に皆、困惑しているよ」 「ならあんたも疲れてるのかい?」 そんな風には見えないねと慶次が笑う。が、兼続はそんな慶次を笑い飛ばした。 「当然だな。だが私には謙信公がおられる。謙信公がいれば義の世もそう遠くはない」 「…フン、結局は戦、戦か…」 「何?」 政宗の表情が一瞬暗いものに見えて、兼続がそれを敏感にとらえたが、すぐに話題は変わってしまった。そもそも、この部屋に来たのも幸村の様子を確認する為だったのだ。 「しかしこの様子では連れていくことも出来んじゃろう。残念じゃな、兼続。無駄足じゃ」 「無駄足ではないぞ。幸村の居場所はつかめたのだからな」 しかし実際のところ、ここから幸村を連れ出すのは正直難しい。とにかく政宗の許可がなければ、そっと連れ出そうにも伊達の家臣たちに止められてしまうだろう。くのいちの幻術もそうそう万能ではないし、兼続にはそもそもそういった力はない。眠っている人間を連れ出すのは簡単なことではないし。 「仕方がないな。しばらく厄介になるとするか」 「牢に戻るならば考えてやらん事もない」 兼続の言葉にすぐさま政宗が返す。お互いにぴりぴりした空気が伝わってくるようだった。が、その場にいたのは慶次とくのいちで、その二人の空気や温度差などものともしない二人だ。 くのいちは音もなく慶次へ近寄る。背の高さから、近くに寄られると顔を上げてもらわない限り慶次からは頭を真上から見るような格好になる。くのいちは不自然でない程度の欠伸をもらして、両手を天井にのばして背伸びした。瞬間、互いの目が合う。 「アタシ、もう行きますねん?」 「へぇ、どうしたんだい」 「気付けの薬、調合したいんで」 「あぁ、そりゃいいな」 くのいちの言葉に慶次は深く頷いた。兼続の言う通り、くのいちはいつだって幸村の為に動いている。遠呂智軍として戦ったあの戦にくのいちはいなかったが、それだとて恐らくは別の任務についていたところだったのかもしれない。 「あの二人には言わないでいいんで!そんじゃよろしく〜」 わざとらしくドロン、と声に出して言うとくのいちは素早く天井に上り、姿を消した。政宗と兼続はそれに気付いているのかいないのか。相変わらずのやり取りを繰り広げている。 それにしたって不自然なのは幸村だ。眠っているだけならばこれだけ周囲が騒がしいのだから起きてもいいはずだ。だが兼続が探った限りでは幸村に術がかけられている様子はないのだと言う。 政宗と共に幸村をここまで連れてきて、手当てもしたが致命傷になりそうな傷はなかった。 だとすれば後は、精神的に疲弊していたというのが一番可能性として高いのかもしれない。だが幸村はそうそう弱い男ではない。弱音を吐いたとしても相変わらずの強さだし、そもそもこの世界には信玄がいるのだ。 慶次は、言い争っている二人をよそに部屋を出た。気になったのだ。 こういう時、誰に聞くのが一番いいのだろうか。そう考えて、結局はこの世界を創ったのだろう本人に聞くしかない。 (遠呂智…アンタの創った世界は、業が深いぜ) 先ほど兼続も言っていた。 ―――この世界には謙信公がいる。 慶次が知る上杉は、すでに景勝に代替わりした後だった。そして慶次が知る限り、世継ぎの問題で長く争い、その間に上杉の天下は遠くなった。信長、そして秀吉の天下に上杉は戦を仕掛けることはしなかった。だが、今の上杉はどうだ。もしここに遠呂智がいなければ、上杉は再び謙信という急進力を得た事になる。 それは、例えば今のこの遠呂智の起こした騒動がひと段落つけば再び世が荒れるだろう事を示している。 それは遠呂智の望む世界で、そして政宗の望む世界ではない。 そして兼続にとっては―――おそらく、政宗と同じだったはずなのだ。 だからこそ業が深い、と思う。遠呂智は自分のことはほとんど語らない。だがわかる。 この世界が例えば彼にとっては理想の世界なのだということも。 (…切ないねぇ) ぽつりと内心そう呟いて、慶次は廊下を一人歩いていった。 |
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