好きの居場所





 全く悪気のない無邪気と無邪気が重なると、最悪の展開になったりすることは、あり得る事だ。
 とはいえ、それをこうも強く実感する日が来るとは夢にも思っていなくて、まったくもって、不覚をとった、としか言いようがない。

「ねぇ」

 人の強さに惹かれたとか何とか言ってやってきたのはナタという仙界の者だった。髪の色も肌の色も、ついでに身体全体がかなり人離れしていて、からくりめいている。
 どうやら話してみると、案外子供っぽくて可愛いんだよ、と言っていたのは女性陣だったろうか。その場に巻き込まれて女の子たちが楽しそうに話をしているのを聞いていたことがある馬岱は、特に何の気構えもなく振り返った。
 ところが、だ。
「ねぇ、アンタ強いんでしょ? 僕とたたかってよ!」
 は?という間もない。物凄い速さで空を斬るような音がした。慌てて防戦したが、防いだ際の振動で指先が震えた。
 ビリビリと感じる殺気にも似た反応に、馬岱はそれこそ震えあがった。
「ち、ちょい、待った! 俺強くない! 強くないよ!?」
 この際とにかくナタから逃げられればいい。体裁も気にせず馬岱はそう訴えた。が、聞く耳はない様子で、猛攻が仕掛けられる。これはまずい、と馬岱は危機感を覚えた。
「あ、あのさ!? 俺ほんとそんな強くないんだって! 誰から聞いたの!?」
「何言ってんの。何人かに聞いたらあんたの名前出てきたんだから、間違いないでしょ!」
「誰なのよそれぇぇぇぇぇ!」
 悲鳴に近い声をあげた馬岱が、その後どうにかこうにか逃げ出した頃には、すっかりボロボロのこてんぱん状態だった。

「い…っ…て…」
 あの場にかぐやが通りかかってくれなかったら本当に危なかった気がする。本気出してよとか何度言われたか。本気とかそういう問題じゃないのだが、とにかく、仙人たちいわくナタは子供みたいなものだ、と言っていて、一つ何か言い出したらきかないのだ、と。
 言っていたのは女カだったか。伏犠だったか。
 とにかくさっさと戻ろう。戻って口のかたそうな人にちょっと怪我の様子を看てもらおう…と人目を避けるようにしてよろよろ歩いていると、その行く手にうまいこと通りかかったのは趙雲だった。
「あ、趙雲殿」
「ば、馬岱殿? ずいぶんお疲れのようですが…」
「あはは。ちょっといろいろあってね…。ここで会ったのも何かの縁、てことでちょっとお願い出来ないかなぁ」
「私でよければ」
 趙雲はいつものように誠実な笑みを浮かべた。元の世界にいた頃、なんだかんだと諸葛亮に信頼されていた同士でもある。
 役割はどちらかというと正反対だったが、とにかく仕事をよく一緒にしていた事もあって、多少気安かった。少なくとも、この状態を馬超に見られるよりは。

「…なるほど」

 打撲のようになっているのを趙雲に確認してもらって、うまいこと理由をつけてねねからいろいろと、治療に利きそうなものをもらってきた趙雲が、包帯を巻いてくれたあたりで、ようやく一連の話は終わった。
 趙雲は困ったな、という顔でいる。
「…いや、もうほんと参った…」
 結局ナタ本人からは、誰からの証言だったのかを聞きだすことは出来なかった。彼が言うには複数の人からの証言だという話だが。
「…馬岱殿」
「んー?」
「あまり怒らないでやってくれませんか」
「は? ん? 誰を?」
「その、馬岱殿を強い、と推した方がたを、です」
「え、知ってるの?」
「ええ、まぁ、その…私もその場にいたので」
「えっ何それ」
「…その、なんというか、成り行き上仕方なかったのですが…」
 もごもごと言いずらそうにしている趙雲に、馬岱はさてどうしたものか、と考える。
 聞き出して、今後そういうことのないようにしてもらわねば、というより訂正をしてもらわねば困るのだ。困るのだが、さて、こうも言いずらいとはどういうことか。彼がそうも言い淀む相手、といったら数人しかいない気がする。
「…ええっと」
「成り行きからお話したいのですが」
 そう言って、趙雲はその成り行き、というのを語り出した。
ナタはとにかく強い人間と戦いたい、といつも誰かを探している。そのナタが最近目をつけたのが、朝の早い時間に、いつもの通りに鍛錬に励んでいる面々だ。
 その日は幸村、馬超、そして趙雲が揃っていた。
 戦おうよ、と言われてあっさり了承した三人はそれぞれ一人ずつ挑んだ。相手は仙人で、その上強さを得る為に身体を改造している、という人物である。
 一撃は重いし速いしで、結局良いところまではいったが勝つところまでには至らなかった。さすが、あの妲己を追い詰めただけはある。
「もう終わり?」
 不貞腐れたような顔でいたナタだったが、ふと何か良いことを思いついたらしい。
「ねぇ、強い人教えてよ」
 強い人、と言われてひとまず全員が名をあげたのは呂布と本多忠勝。それと関羽である。他にも強い人物はまだまだいるのだが、いわゆる人の世界で伝説に近い語られ方をする人々の名をあげた。が、その面々とはもう戦ってる、とつまらなさそうにした彼に、最初に。
「…馬岱殿はいかがでしょうか」
 そう言ったのは、幸村だった。
「あの変幻自在の技は見たことがない。私はまだお手合わせ願えていないのですが」
 趙雲は馬岱とは元の世界でよく一緒に戦ったことがある。強さ、と言えばそうなのだが、ナタが求める強さとは違う気がして戸惑っていた。馬超に助けを求めようとしたところ、その表情が何やらすごく嬉しそうに輝いていて。
「そうだな、馬岱は強い!」
 それはそれは、嬉しそうに。
 考えてみれば、馬超は馬岱が評価されるのが嬉しいとよく言っていた気がする。
 とはいえ、馬岱の強さについての評価は人によってまちまちだ。どこを評価するか、という問題があって、その一点で評価が変わるのだ。だから、純粋に武を求める性格の人にはすぐ逃げると言われるし、馬岱もそれを否定しない。
 戦の中に、強さ以外を求める人には、その強さを評価されやすい。軍師が求める動きが出来る人物、ということだ。たとえば敵の誘いを受けてひたすら戦い続けるのではなくて、じっとそこで伏せていられる、というような。
「ふうん…」
 馬超と幸村の二人が馬岱のことで盛り上がっている間に、ナタはふいと姿を消した。趙雲が気づいた時にはその場からいなくなっていた。まぁ馬岱のことだ。きっとうまく逃げてくれる…なんて思っていたのだが。
「そ、そうかぁ…」
 馬岱は、趙雲の話を全て聞き終わるとなんとも言えない表情になった。
「…若も幸村殿もちょっと勘違いしてるよねぇ」
 やってらんないよ、と肩を竦める馬岱に、趙雲は苦く笑う。ナタから不意打ちを受けてその程度の傷なら上出来だというべきだろうか。とはいえ、今後もつけ狙われたりしたら万が一がないとも限らない。打撲程度とはいえ今がその「万が一」な気もするし。
「私から伝えておきましょうか」
「えー、まぁ、いいよ。大丈夫。あ、でも俺が怪我したってのは内緒ね」
「え?」
「あの二人に俺のせいだ私のせいだって言われてごらんよ?身体が休まらないったら!」
 言われて、趙雲はその様子を想像する。妖蛇討伐軍に加わったのが遅かった趙雲だが、再会した時には幸村はずいぶん馬岱を慕っていた。驚いたりもしたのだが、どうも兄のように感じているようで。
 馬岱いわく、「刷りこみみたいなもんだよね」との事だったし、それを馬超に聞いてもいまいちはっきりした答えがかえってこないしで、状況はさっぱり呑みこめていないのだが。
「いいんですか?」
「いいよ、大丈夫」
「…わかりました」
趙雲は悩んだ末に頷いた。
 馬岱がこうなったのはその時その場にいた自分が止めなかったせいでもある、と考えてしまっている部分もある。

 さて、何も知らない馬超はいつものように馬岱を探して、陣地内をうろうろしていた。
 その姿を見つけた馬超が、遠くから声をかけようとして、いつもとどこか違う様子に首を傾げる。
「…馬岱?」
「あ、若。もしかしてまた鍛錬してたの?」
「あぁ…おまえ、少し具合が悪いのか」
「えー? そんなことないよ?」
「…そう、か?」
「そうよー」
 否定したにも関わらず、馬超は相変わらず不審げに馬岱を見つめている。一応打撲部分は包帯を巻いてもらっていて、普通にしていればさほどでもないはずなのだが。
 本当にこういう時の馬超の勘は恐ろしい。普段はとても鈍い人なのだが、本当に、こういう時。いつもと何かが違う時の勘は。
「あ、馬岱の兄貴ィ!」
 唐突に、二人の頭上から声がかかった。は、と二人で顔を上げれば、木の枝に器用にぶら下がった状態のくのいちがいた。
「あっれー、どうしたの」
「ちょいとお買いものでっすー。それよりどしたんですー?」
「ん?何が?」
「はにゃ? 顔色悪いかなって」
「! そう思うか!?」
「ぎゃっ、そ、そっすね! ちょっとなんか、えっと!?」
「ええ…ちょっと君まで」
 やめてよ、と苦笑いしようとしたところで、馬岱の視界に幸村が見えて、あ、やばい、と戦慄する。この面子でさらに幸村が追加されたら本当に逃げ場がない。
 が、そもそも本当にそれどころではなかった。
「馬岱、本当に何ともないのか?」
「気のせいだってば!」
「見せてみろ!」
「何を!?」
「おまえは何かあってもすぐ隠そうとする!」
「ち、ちょっと待った若。彼女がいる前で俺、裸になるの?」
「あ、アタシ別に気にしませんしぃ」
「気にしようよ!」
「えー、だってアタシ忍びですぜぃ?」
「関係ないでしょ!?」
 なんでこの場に趙雲がいないのだ、と馬岱が唯一事情を知る人のことを考えていれば、完全に四面楚歌の状態で幸村が来てしまった。
「くのいち?」
「あっ、幸村さま」
 迎えられた幸村は、ふと馬岱を見て、表情を曇らせる。やばい、と思った時には遅かった。
「…馬岱殿、どうかされたのですか? あまり調子がよろしくないのでは」
「えー…」
 そんな、会う人会う人にそんな風に言われるほど顔色が悪いとか、そういう状況とはとても思えないのだが。だが、今のところ馬超、くのいち、幸村と全員に変に気にされてしまっている。趙雲の時は手当てもしていない状態だったから、まだわかる。だが、あれから趙雲になんとかしてもらった後で。
「俺、別に普通よ?」
「嘘をつくな、馬岱」
「………も、もー! なんなのさぁ…」
 いつもならくのいちは馬岱の味方をしてくれるのだが、今はどうもそうはならないようだった。
 困った、とは思ったがとにかくしらを切るしかない。
 そう思っていた時だった。

「あ、いた!」

 その少し舌ったらずに聞こえる声。ナタだった。
「!」
 どうやらかぐやをまいてきたらしい。彼からしたら、戦ってる最中に邪魔が入って決着がついていないという状況なわけだから、引き続き馬岱を探していたとしても何ら不思議ではないのだが、今は困る。最悪の状況だ。
「あ、あのさ、俺ちょっ…」
 なんとか言い訳して逃げ出そうとしたが囲まれていたせいで逃げ出すことが出来ず、馬岱か身構えた。
――が。
「ナタ殿」
 ナタが飛び込んでくるのを、幸村が手にしていた槍で牽制した。
「…何?」
 明らかに不機嫌な様子のナタだったが、幸村は怯まない。
「何かご用事ですか?」
「あんたにはないよ。そっちの奴!」
「馬岱殿?」
「だってあんたたちがこいつが強いって言ったんだよ」
「………」
 それだけで、幸村も馬超も、いろいろなことを悟ったらしい。本当に最悪の時に出てきてくれたものだ。馬岱はどうするかなと遠い目をしていたが。
「ナタ」
 馬超が強い眼差しでナタを睨む。
「馬岱の強さはおまえにわかるものではない」
「何それ。あんたたちが言ったのに、意味わかんない」
 本当に子供のような反応を示すナタに、馬超はため息をついた。相変わらず幸村の槍で牽制されているナタは、それ以上無理に突っ込んでこようとはしていない様子だった。
 ふと気付けば、くのいちが馬岱の腕を掴んでいる。怖い、とかそういう風にではない。その腕を引っ張って、いつでも逃げ出せるように、だ。
(あ、これ。俺…)
 気がつけば、幸村の背を見て、馬超の背が見えていて。
 ほんの少しではあってもくのいちの背も見えている状態で。いつの間にか、守られている。
「………」
 困ったな、と苦笑する。苦笑しながら、なんだか嬉しくて、変に眉間に皺が寄った。







 ナタは、意味がわかんない!と言い残してその場を後にしていた。振り返れば、どうやらナタを探していたらしいかぐやの姿。
「あ、ナタ様…!」
「ねぇ、人間てよくわかんないよ!」
 苛立ちをそのままかぐやにぶつけるように言えば、かぐやはやはり困ったように微笑んだ。
「…でも、よかった…」
「何も良くないよ!」
「ナタ様がお怪我されなくて、よかったです…」
「怪我? あ、故障のこと?」
「……はい」
 ナタは身体のほとんどが人のものではなくなっている。宝具と呼ばれるもので強化され続けていて、今となってはほとんどもとの身体にあったものなどないくらいのはずだった。
 だから彼はいつでも自分のことを壊れる、故障する、という。
 かぐやは昔からそれがあまり好きではなかったのだが、最近人とこうして長いこと一緒にいるようになって、つくづく思うようになった。
「第一、 かぐやは気にしすぎだよ!」
「えっ…」
「僕、前に言ったよ? かぐやは僕が壊れたら悲しむんでしょ? だったら、壊れないって」
 その言葉に、かぐやは酷く驚いた様子でナタを見つめた。
 ほとんど思いつきで言われた言葉のように感じたそれは、ナタにとってはきちんとした約束だったらしい。かぐやはそれを、人がするように喜んだ。
「…はい、そうでした…」
 はにかむように笑って、ナタを見つめれば、それでもまだナタの苛立ちはおさまっていない様子で、ふいと視線を逸らされてしまった。
「もう、よくわかんない! わかんないのって嫌だな」
 言いながら、ナタはかぐやを置いてどこかへ行ってしまった。あの調子ならば、おそらく別の仙人のところへ行くのだろう。それを見送ったかぐやは、ふと視線を感じて振り返る。
 そこには、すっかり親しくなった甲斐姫がいた。
「…あ」
「んもー、もっとおしてかなきゃ駄目だって言ってるでしょー!」
「そ、そんな…」
「だってかぐちん、あいつのこと好きなんでしょ!?」
「…好き、といいますか…」
「体裁整えなくていいのよ!」
 甲斐姫の勢いに押され気味のかぐやは、困ったように笑うばかりだった。人と仙人の感じる時の長さは違う。人の数千倍、下手をしたらもっともっと長く生きる仙人にとって、人の子のように他人に恋したりはしない。
 ただ、人の目から見たら、かぐやがナタを気にするその様こそ、恋だ、という事になるのだろう。不思議だけれど。
「……今度」
「ん? なぁに?」
「頑張ってみますので…」
「よしっ! あたしが応援してやるわよぉ!」
 そして他人のことなのに、まるで自分のことのように喜ぶ甲斐姫に、かぐやは嬉しそうに微笑むのだった。






 さてそれとは別の日。
 宗茂は島津のところにいた。
 その彼の足元にはまだ生まれたばかりの子猫がか細い鳴き声をあげながら、知らぬ温もりを求めてじゃれついていた。
 その子猫の中心にいる宗茂は、どの子がいいかを真剣に吟味していた。ァ千代のご機嫌伺いに使うのだという話だった。
 子猫の里親を探していたので断る必要もないが、島津はやれやれとため息をつく。
「早く決めんか、餓鬼」
「相性、というのがあるだろう?」
 どうやらァ千代の心を射止めるに足る子猫を見極めているようだ。どの猫も子猫らしい可愛らしさではあるが、その中でも特に模様などの何もかもが美しい子猫がいる。が、見た目の美しさばかりでは駄目らしい。とにかく宗茂にじゃれついてくる子猫からも選別しているようだった。
 さて、そんな二人のところへ通りかかったのはまた別の集団で。
「おや、これはこれは…」
 郭嘉だった。
 また似たようなのが来たな、と島津は内心思ったが、それについては言わずにおく。一応、基本の部分が違うのだ。宗茂は曲がりなりにもァ千代一筋。そうは見えないのが実に残念な男である。
 対して郭嘉は、これという相手はおらず、めぼしい美しい女性には大概声をかけているらしい。過去、ァ千代にも声をかけていて、実のところ宗茂とは折り合いが悪い。
「ァ千代殿の為に子猫を?」
 郭嘉はそう問いながら、島津の横に腰を落ち着かせた。人懐こい子猫が郭嘉のところへやってきて、その足元にじゃれつく。
「ふん。餓鬼ゆえに、ものでしか相手の気をひけんのよ」
「ですが、相手の好きなものを、というのは絶大な効果をもたらしますよ。今も昔もね」
「道理」
 島津と郭嘉が互いに笑いあう。
「それで、あなたは誰から逃げてきたのかな?」
 そんな郭嘉へ、宗茂が僅かに敵対心めいた感情を見せながら問う。郭嘉は肩を竦めた。
「ふふ。逃げてきたのではないですよ」
 さてそう言い終わるかどうか、というあたりで女の声が近づいてきた。
「郭嘉様!」
 現れたのは、稲姫である。稲姫は宗茂にもそこそこ縁のある女性だ。ァ千代を間に挟んで、だが。
「やぁ」
「おや、ここにはァ千代はいないが、今日は郭嘉殿を探しに来たのかな」
「あまり大きな声を出さんことだ。猫が怯える」
 にこにこ笑って迎える郭嘉。相変わらず子猫を吟味しながらいつもの通り絶妙に意味がありそうな笑顔を浮かべる宗茂。そして怯える猫たちを見てやや不機嫌な島津。
 どうにも接点があるようでないような、そんな面子に稲姫は少し面喰っていたようだった。
「あ、ご、ごめんなさい」
 正気を取り戻した稲姫はすぐに島津に頭を下げた。島津にしても稲姫のことはよく知っている。本多忠勝の娘、というのもあるし、宗茂同様ァ千代を介して、というのもある。
「か、郭嘉様! それよりも…!」
「まぁまぁ、そんな恐い顔しないで。ほら」
 何か言おうとした稲姫をさらりとかわすと、郭嘉は自身の足元にいた子猫を拾い上げて稲姫に渡す。
 子猫は稲姫の手の中で慌ててじたばたと暴れた。それに慌てた稲姫だったが、見かねた島津が子猫の向きを少し変えてやった。それだけで、稲姫の腕の中で、あっさりと子猫は大人しくなる。
「すごい…さすがですね…」
「ふん」
 島津は鼻で笑うとやれやれと稲姫のもとを離れた。郭嘉とすれ違いぎわ、小さな声で言う。
「もっとうまい逃げ方はなかったか?」
「戦略的撤退ですよ」
 ふふ、と郭嘉が笑う。
 まぁ理由はともかくとして、郭嘉は稲姫に追及されると面倒なことがあって逃げてきたのだろう。それで、ここの子猫を見かけて話の矛先を変えてやろうとしたのだろう。
「島津はやるなら威風堂々とな。小手先であれこれやるのは好かぬ」
「それで被害を多く出しても軍師としては負け、ですよ」
 さて、稲姫はどうやら郭嘉に渡された子猫にすっかり骨抜きのようだった。
 島津と郭嘉がやや物騒な話をしている中で、相変わらず子猫を物色していた宗茂が不意に立ち上がる。
「稲」
「は…はい」
 宗茂は腕に二匹の子猫を抱いていた。
「どちらがいいか、わかるかな」
 稲姫はそう問われて、宗茂の腕の中で大人しくしている子猫を見つめる。片方は真っ白な毛並みの、それはそれは美しい子猫だった。目も大きくて、変な模様もなくて、見惚れるほど美しい。
 もう一匹は、宗茂の腕の中で小さく身体を動かしていた。どうやら少しばかりやんちゃな子猫のようだ。そちらは、三毛だ。
「…こちらの、三毛の方が」
「何故だ?」
「…ァ千代様が飼われるのでしょう?」
「……」
「飽きない子の方が、良いと…稲は思います」
「ふむ。そうか」
 宗茂はそう頷くと、その白い子猫は島津へ返した。
「こちら、もらっていく」
「ふ、貸しじゃ。坊っちゃん」
「ほざけ、島津」
 宗茂は肩を竦めるとその場を後にした。稲姫がふとその腕に抱かれた子猫へ手を伸ばす。子猫もそれに反応した。するりと宗茂の腕から離れて、稲姫のところへ飛び込む。が、そこを安住とせず、すぐに今度は郭嘉の背へ飛び込んだ。
「…っ、ごほっ…」
 その振動はさしたるものでもなかったはずだったが、それがきっかけになったらしい。咳き込む郭嘉に稲姫が弾かれたように駆け寄る。
「郭嘉様! やっぱり…!」
「…いや、たまたまだよ」
「でも!」
 どうやら、郭嘉は身体の具合が良くないらしい。それを感づいた稲姫にずっと追われていた、と。そういう筋書きのようだった。さすがにこの雰囲気で、島津も宗茂もそれを理解する。
 だが、郭嘉は相変わらずである。
「困ったね。私はいたって普通なのだけれど…島津殿、助けてはもらえないかな?」
「助けてやらんでもないぞ」
 何かを含むような言葉に、郭嘉が微笑む。
「何か条件が?」
「一つ目は、その猫は返してもらおうか」
「ああ、どうぞ。奥方には優しく、ね。宗茂殿」
「言われずとも」
「二つ目だがな。ひとまず看てもらってくることだ」
 宗茂の提示した一つ目の次。島津が口を開いて言ったのはそんなことだった。
「おやおや…」
「ふ、その娘は古今独歩の士の娘。そう簡単に捲けぬでな。ならば、ひとまず負けを認めることじゃ」
「…ふふ。それも一理、かな…」
困ったなぁ、と相変わらず郭嘉は笑っている。笑いながら、その腕にいた子猫を宗茂に引き渡した。
「具合が良うなったら、いい酒がある」
「それは楽しみだな…」
「本当は坊っちゃんとあけようかと思ったがな。しばらくは、その子猫ともう一匹でかい猫に夢中でな」
「………」
「郭嘉様! おねね様のところへいきましょう! あの方ならばいろいろなんとかしてくださいます!」
 稲姫に無理やり引っ張られていく。子猫はその過程で稲姫の腕から逃げた。
 その子猫を島津が拾い上げると、その彼の横でじっと見送っている宗茂を見遣る。
「さっさと行け、坊っちゃん」
「その酒、俺にもとっておいてくれないか?」
「ほう?」
「ァ千代もつれてくる」
 言うと、宗茂も踵を返した。
 島津はやれやれと肩を竦める。すると、子猫たちが島津に集まって、たちまち子猫まみれになる。なんだかその状況と、彼らにかまっていた時間が同じに思えて、島津は肩を震わせて笑った。





 さてねねのところへ無理やり連行された郭嘉だったが、そこには先客がいた。
「おや、馬岱殿」
「あれー、郭嘉殿」
「お互い、珍しいところで会いましたね」
 怪我をしたらねねのところに行け、というのはこの討伐軍内の暗黙の了解だ。ねねは誰相手でも献身的に看てくれる。とはいえ、大したことがなくとも叱られたり心配されたりするので、敬遠されることもある。
「俺なんてもう手当てしてもらってるっていうのにさぁ…」
 これ以上どうしろって話だよ、とため息をつく馬岱に、郭嘉はだいたいのことを想像して口を開いた。
「馬超殿が?」
「うーんまぁ、他にもいるんだけど…」
「そう。お互い大変だ」
「ほんと困ったもんだよねぇ」
 などと言っていたところに、ねねが姿を見せた。もう、身体を大事にしなきゃ駄目じゃないか、なんて言いながら。
 郭嘉が馬岱に耳打ちする。
「出来れば逃げ出したいのだけれど」
「案外往生際が悪いねぇ、郭嘉殿」
「私はね、薬が嫌いでして」
「…そういうの、聞きなれてるけど。嫌いで飲まないってのも困ったもんだよ? 心配してる身としてはさ」
「さすが、馬超殿の世話役の馬岱殿の言葉は重いね」
「郭嘉殿だってさぁ、心配してくれる人はいるでしょ」
「…そうですね」
「心配、かけないでさ。笑ってくれてる方がいいよね」
「心配されているというのも、場合によっては悪くないのだけれどね。…まぁ、異論はないかな」
 どうやら馬岱も助けてはくれない様子で、仕方なく郭嘉はすでに手渡された薬を飲み干した。この、飲み下す瞬間の違和感が本当に嫌いだ。辛い思いして長く生きるよりはさっと人生終わらせたいと思うのだが、わかってくれそうな人はこの場にいない。
 そんな郭嘉の様子を眺めていた馬岱が、ぼそりと呟く。
「俺はもうちょっとしばらく心配とかされたくないかな…」
「おや、何かあった?」
「まぁ、なんていうか。うん」
 そう言っていた矢先。陣幕の向こうで声がした。幸村と稲姫だ。そういえばあの二人は義理の姉と弟だ。
「そういえば、馬岱殿は幸村殿に言い寄られているとか…」
「いかがわしい言い方しないでよね…。手合わせしろって言われてるだけだって…」
「馬岱殿の筆、興味深いですからね」
「そうね…」
 ため息をつく。どうやら後ろには馬超たちもいるようだった。
 そしてさらに騒がしくなった外に、郭嘉と馬岱は顔を見合わせる。そろりと外へ顔を出してみれば。
「あ」
 ナタだった。
 馬岱を追いかけてきた、というわけではない様子だ。
 とはいえ、外にいる馬超たちの警戒ぶりときたら。
「大切にされてるね、馬岱殿。羨ましい」
「はぁ…それ言ったらあなたも、ほら」
 馬岱が陣幕をめくって指差す先には、郭淮と星彩もいた。それと、たぶん曹操に言われてやってきたのだろう賈クもいる。
 ナタの襲来になんだなんだ、と状況がつかめていない様子だ。
 そして、当のナタはというと。

「ねえ! たたかってよ!」

 そう言った相手は、あろうことか、ねねで。

「…ナタ。あんたって子は…! おしおきだよ!!」
 なんだかねねの背後に稲光が走った気がしたが、きっと見間違いの類だろう。それくらい、なんだか凄かったのだけれど。

 さて、当のナタがその後かぐやに泣かれた上、甲斐姫に殴られて気絶したとかなんとか、そんな話があった。




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三十六計 参でちょっとだけ配ったペーパー小話でした。
自分の萌え突っ込んだ!(笑)