魏で一番の軍師にだって





 郭嘉はため息をついた。目の前にいるのは徐庶だ。
「ねぇ、酷い話だろう?」
「…い、いや。至極普通の反応じゃないかな…?」
 話題は、ここにはいないひとのこと。そう、賈クについてだ。
 どうもうすうす感じていたのだが、郭嘉には想い人がいて、それが賈クなのではないか、と。下種の勘繰りもどうかと思って、何も言わずにいたのだが、よりにもよって郭嘉からそれを暴露してきた。酒に誘われて、いいよと頷いて、気がついたらこうだから、まったくもって意味がわからない。
「こんなに想っているのに」
「あんまりそれを言いふらすから悪いんじゃないかな…?」
「うーん。でも言いたくなってしまうんだよね。あれは私のだから、誰も手を出さないでって」
「手を出す人、いるかい?」
「いないとでも?」
「…癖のある人だしね」
「でも徐庶殿、最近彼と仲良くしているよね?」
「もしかしてこの呑み、俺への牽制が目的なのかな…」
「ふふ、どうかな?」
「…あるいは反応を見るため?」
「ふふ」
 性質が悪い! と叫びそうになるのを、徐庶はぐっと抑えた。魏に来てからこちら、軍師として忙しく生きている。きちんと自分の成すべきこと、そして成せることを知っていれば、この魏という国は、自分の居場所を用意してくれるところだった。居心地は、決して悪くない。友人たちのことを思えば、苦く感じるところもあったけれど、これも人生だろうと思うのだ。
 そんな覚悟のもと、新しい地で生きていくと決意した徐庶なのだが、さてもこんな形で面倒に直面しようとは。早くも挫けそうだ。
「私はね、意外に独占欲が強くて」
「………」
「でもね、それを誇示するのに、力は使ってはいけないなと思うんだ。だから、せめて言葉でね」
「言葉だって暴力になるものだよ…」
「ふふ、そうかもね」
「確信犯だ。君は、賈ク殿に泣きついてほしいのかい?」
「それはそれでそそるけれどね」
「でもあの人、屈しないだろうね」
「…そうかもしれないな。うん、だから好きなのだけれどね」
「二律背信だね」
「どうすればいいかね、わからないんだ」
「え?」
「私は今まで誰かに本気になったことがないから。これがはじめてで、正直ね…。自分が怖いんだ。ねぇ、君ならそういう経験、あるんじゃないかな?」
「……俺にそんな経験、あるわけがない」
「そう? じゃ、そういうことにしておこうか。でも、もし知っているならね。どうしたらいいか、教えてもらえると助かるね」
「自分で、出せる解があるんじゃないかな。それは」
「意地悪だな」
「牽制してる相手に助言を求めてどうするんだい?」
「はは、ごもっともだね」
 郭嘉は、大きな声で笑った。何だか痛々しくも思える。ああ、そうか、と徐庶も笑った。
「天才でも、色恋沙汰には太刀打ちできないんだね」
 徐庶の言葉に、郭嘉は少し面食らったようだった。だが、さもありなんとばかりにうなずく。
「こればかりは、策がいつだって上滑りだからね」
 そうして話していた時だった。
「相変わらず悪趣味だな、あんたら」
 ふってわいたような声に、その主に、二人は二人とも驚いた。そこには、賈クが立っていて、当然のように徐庶の隣へ陣取る。
「賈ク…」
「あんたもあんただな。相当見当違いもいいところじゃないか」
「………」
「徐庶殿、あんた大丈夫かい」
「ちょっと困ったけどね」
「だろうなぁ。全く」
「賈ク」
「驚くほど駄目男じゃないか、全く魏軍一の軍師の座も危ういな。どうだい徐庶殿。俺とあんたとで、どっちがこの座を奪えるか、賭けてみないかい?」
「賭けの概要は?」
「負けたら相手の言うことを聞く、だ」
「ちょっ…それ、私にも噛ませてくれないかな!?」
「あんたもか? 今の郭嘉殿じゃ負けると思うがなぁ」
「賈クを好きに出来るんだろう? なら私が頑張らない手はないよ」
「そうかそうか。まぁせいぜい頑張ってくれ。徐庶殿、どうする?」
「…この流れで、賭けを白紙には戻せないじゃないか…参加するよ」
 わかっているのだけれど。
 これが、賈クなりのやり方で、郭嘉を黙らせる方法だとも、あるいは色恋にうつつを抜かしている場合ではないと自覚させる方法だとも。
 だからこそ、今は乗ってやるしかなかった。戦う前から負け戦に思えるが、まぁ、今はいいか、と徐庶は笑った。
 負けるときは、賈クと一緒だろうしそれならそれで。郭嘉が夢中になった相手とはこういう人か、と思うと、徐庶は少し楽しくなった。天才だとて、恋もする。不器用にもなる。そう考えると、楽しくなった。脳裏に少しだけ、友人であり同じ師にならった同胞が浮かんだ。

 君たちは、どうだったんだろう?

 そんな風に考えながら、この国の天才たちと肩を並べて、酒瓶をあけていくのだった。






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交地19小話無配ペーパーより。魏軍師三人。