腕と首なら欲望の
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戦が終わった後、ときどきひどく馬超は昂ぶってどうしようもなくなる事がある。 そしてそういう時、馬超は一人で率いていた軍から離れて身を隠す。何とか自分でその熱をやりすごそうとしていなくなるのだが、長い間戻ってこない事もあって、そういう時は馬岱が探す。 そしてそうなったら、ほとんど通過儀礼のようになっている事があった。 「若ー」 どこにいる、というのを示し合わせたことはほとんどない。 だが、大概馬岱が探す先に馬超はいて、馬岱の姿を見つけると手繰り寄せるような勢いで物陰に引きずり込まれる。 「っと」 その日もいつもと同じように引き込まれて、そのまま強く抱きしめられた。 おかしな話だが、そうやって馬岱を抱き寄せると落ち着くのだという。落ち着いて、少し深く深呼吸する。本当に強く抱きしめられているせいで、腕を後ろに回すことも出来ない状態で、馬岱はしばらくそれをほとんど棒立ちの状態で受け止める。 さすがに最初は驚いて息を詰めるが、何度もこうしていれば次第に慣れていくものだ。 「若、みんな心配してるよ」 「…あぁ、すまん」 だが、馬岱の言葉にもどこか心ここにあらずで頷くだけだ。腕の力を緩めることはない。むしろそれが合図になったようにさらに強く抱きしめられる。 「若、痛い痛い」 たびたび思うが、こういう時は本当に、女の一人でもあてがうべきなのだと思う。だが馬超はとにかく真面目で固い性格だ。自分に寄ってくる女は嫌だと言うし、身体を売るような女性はさらに嫌悪する。 それにどんな酔狂か、とにかく馬岱がいいと言うのだ。 落ち着きたいなら下世話な話、一度抜いたりした方が話は早い。 だが、馬超がそうしない以上どうしようもない。 ちなみに一度だけ、手伝おうか、と言ってみた事もある。だがそれは言ったことを後悔するくらいに嫌がられた。ふざけるな、おまえはそんな事を二度と言うな、と。 女をあてがうのも駄目、抜くのを手伝うのも駄目、かといって自分一人でどうにかするでもない、だが馬超は馬岱が来るのを待っている。こうなると、とにかく馬超の望むように馬岱が馬超を探しに出て、こうして馬超が思うようにさせている以外に方法がない。 人の体温が恋しいとか、それで落ち着く、というのはわからないでもない。だから甘んじて受け入れている。だが、最近少しずつだがそのやりとりも変化があった。 今まではただただきつく抱きしめられているだけだったのだが、ここのところ噛みつかれる事があるのだ。 その日もそうだった。ほんの少し腕の力が抜けた、と思うと次に馬超の顔が、馬岱の首筋に近づく。口から洩れる吐息に背筋がぞわりと粟立つ。そして次の瞬間には噛みつかれた。 「…っ、」 その瞬間の感覚はいつも何とも言えない。首筋に歯を立てられて妙な快感を感じる部分もあるし、痛い、と思う部分もある。そのせいでいつも身体に力が入ってしまう。 はじめてそうされた時は何がおこったかわからず変な声をあげてしまったが、すでにこういう事が数回続いている状況で、そんなヘマはしない。ぐっと歯を食いしばって何とか堪えていれば、馬超がぽつりと呟いた。 「…抵抗しないのだな」 「え?」 「…いや。俺が、こんな事をしても」 「……そりゃしないよ」 首筋に息がかかる位置で口を開かれるのもくすぐったい。とはいえ相変わらず抱きしめられているから動けないし、その行為自体に嫌悪があるわけではない。馬超は心底わからないという顔をしているが、そもそもこの程度で嫌がるならまず抜くの手伝おうか?なんて口が裂けても言わない。 こういうのは仕方のない事だと思う。生理現象だからそれをどうこう言う気はさらさらない。それに昂ぶりがおさまらないなんてのは、馬超だけの話ではないわけだから。 特に戦に出れば女はほとんどいない。そうなったら当然、たまったりするわけだ。 馬超の場合、それを一人でどうにかしようとするわけでなく、女を呼ぶというわけでもなく、何故だか馬岱を抱きしめてどうにかしようとしているわけで。 「……こんな、風にされているのに、か」 「重く考えすぎだよ、若は」 「………おまえは軽く考えすぎだ」 「えー、そうかなぁ?」 「そうだ」 「…じゃあそういうことにしとく?」 「……」 黙り込んでしまった馬超はどこか不機嫌そうで、馬岱はついつい笑ってしまう。感情が駄々漏れだ。昔からそうだったけれど、こうしている時の馬超は特に酷い。そしてそれが妙に憎めなくて、痛いくらい強く抱きしめられているにも関わらず、肩を震わせて笑ってしまう。さらに馬超は不機嫌そうに唇を噛んだ。 「若が何考えてるか、当ててみようか?」 「む…」 「俺が何考えてるかわからない、でしょ?」 「………」 「あたり?」 「………ああ」 不承不承、といった様子で頷いた馬超に馬岱は一つわざとらしいため息をついた。 「若。俺さ、一応本当に嫌ならちゃんとそう言うからね?」 ようやくそこで、馬超の腕の力が緩んだ。馬岱の言葉に驚いたのがきっかけで、他に意識がいかなくなったかのような反応だった。ほんの小さく息を吐いてやれやれと肩の力を抜けば、逆に馬超の表情は酷くかたくなっている。 「……それは」 「だからさ、若にこうされるの嫌じゃないよって意味。だからそんな俺に引け目とか感じなくていいんだよ?」 「馬岱…」 困惑気味の表情。自分でこうなるように、一人でいなくなって馬岱が迎えに来るまで戻ってこないくせに、虚を突かれたような顔をするから、おかしい。 だがそういう表情を浮かべるのも、全ては相手の為なのだろうことも知っている。 「若は真面目だからなぁ。女の子をって言うと嫌がるのも、相手のこと考えちゃうからでしょ」 「………」 「女の子のことはね、そう考える若は格好いいなって思うよ。でも俺は別にそういうんじゃないしさ。俺のことまでそんな難しく考えることないよ」 「………違う」 「え?」 「違う。俺は…俺は、おまえの感情が俺のもとにないのに、関係だけを強要するのは…と」 「………」 「おまえがどう思っているか、俺にはわからん。わからん以上は、それを望むのは」 ぽつりぽつりと、それまで一度も語ったことのない馬超の内心を聞かされて、馬岱は驚くばかりだった。 「俺ってそんなにわかんない?」 だから、そうやって迷う馬超につい口を滑らす。こちらからは、言う気のなかった言葉だ。 「………」 「俺、若のこと好きに見えない?」 「………わからん」 「そっか」 言う気がなかったし、その言葉や自分の感情で縛るのだけは嫌だったから、馬超に抱きしめられるのも、少しずつ少しずつ触れられることが増えていくのも、ただひたすらに受け止めるだけに徹していた。そのせいで馬超がこんなに悩んでいたなどと思いもしなかった。 「わかるわけがない…!俺はおまえを特別に思っていて、おまえがこうしていても決して嫌がらないのを見て、もしかしたらと期待する反面、それは俺の願望だと思うのだ。…おまえは、俺に甘いから」 「ああ…そっか。若ってそう思ってたんだね」 好きにしていい、と思っていた。 馬超がそうしたいなら受け入れるし、そうでないならそれも受け入れる。嫌なことを言われればもちろん断るつもりではいたが、馬岱にとって馬超から示される望みに、今まであまり嫌悪を抱いたことはない。だから今まで特に何も言わずに受け止めていたが、それが逆に馬超を不安にさせていたのだというなら、これほど滑稽なこともない。 「………今だとて、そうだ。もしかして俺のこの感情を、この思いに気付いた上で、おまえが…同情しての事ではないかと」 「同情って」 「…わからんのだ!」 「…若」 「………」 だから今まで、こうして触れてくるくせに苦しそうで、何か言いたい事があるのだろうに言葉を詰まらせてばかりいたのか、と。ようやく理解した。 「えっと。うん、ごめん、若」 「………」 「若が俺のこといろいろ考えてくれてたのは、よくわかったよ。ありがと、若」 「……礼など言うな」 どこか悔しそうな声音。そんな風に礼を言われる筋合いはないと思っているのだろう。馬超にとっては、自分の好きなように馬岱に触れようとしていて、それをほのめかしているのに嫌がりもしないのを訝しんで、不安と自分の感情に苦しんで。 「はは、言わせてよ」 「………」 「あのね。俺は若が好きだよ」 「………馬岱」 「俺のことそうやって考えてくれてたんだなと思ったら嬉しかったよ。すごく」 だけどそれはとりこし苦労というやつだ。とはいえ、きっと口でどれだけ言っても伝わらないのだろう。自制心が強くて、まっすぐすぎる馬超には、こういう言葉だけではもう伝わりきらない気がする。 「なんか俺にとってはそれが当たり前すぎて、もうとっくに伝わってるんだろうなって思ってたんだよね。でもこういうのは言わないと伝わらないよね、ちゃんと」 「…あ…あぁ」 「俺、若のこと」 「…っ、ま、待て!」 ちゃんと伝えよう、と居住まいを正して口を開く。と、唐突に馬超が馬岱の口をおさえこんだ。 「うわっぷ?!何!?」 「い…いや…っ。こ、これは夢ではない…のか」 慌ててその手から逃れて、真っ赤になっている馬超を見てため息をつく。そこまで信じてもらえないのも悲しい話だ。だが、そこまで自分を追い込んで自制していたのかと思えば、それもまた仕方ないかと思う。 「夢じゃないよ!もう」 だから、先ほど馬岱の口をふさいでいた手がまだ行き場を失っているのを見て、馬岱はとっさにその腕をとった。何をされるのかわからないのだろう馬超はされるがままだ。と、途端に馬岱はその腕に歯を立てた。それこそ今まで馬超が馬岱の首筋にそうしていたのと同じくらいの強さで。 「っ!?」 「痛い?」 「い、痛いな…」 「じゃあ夢じゃないってわかった?」 「……あ、あぁ」 頷きながらもまだ理解出来ていないような表情で、馬超はうろたえている。理解が出来るまで待つべきだろうか、とも思ったが、それだといつまでもこのままな気がした。 「うん。じゃあちゃんと言うね」 「いや、ま、待て!」 「もー、今度は何よ」 ため息まじりに問えば、馬超が相変わらず顔を真っ赤にしたままで叫ぶ。 「お、俺が言う!」 「えー?」 だが馬岱の不満をよそに、馬超ががっしりと馬岱の肩を掴む。もうこちらの気持ちも知っているはずなのに、緊張が伝わってきた。肩を掴む掌にのる力の大きさが、それを物語っている。 「おまえを特別好きだと思ったのがいつかはわからん。わからんが、俺は」 「………」 「おまえが特別だ!特別、好きだ。だから、その」 「うん」 「…もっと、触れたい」 その真剣な様子に耐えきれなくて、馬岱は思わず笑い出した。ひとしきり笑って、それから笑い過ぎて息切れを起こしながら口を開く。 「若も物好きだよねぇ」 「な、何っ!?」 「俺みたいな奴のどこがいいんだろ?」 それは純粋な問いだ。小さい頃ならいざ知らず、今はもう十分な体躯だし、触れたいと思う方がおかしいくらいなはずだ。異性に抱くような感情を自分に感じるのも不思議な話。案の定どういえばいいかわからなかったのだろう。馬超は答えに窮してしどろもどろに応える。 「そ、それならその…馬岱だって、そうだろう?」 「俺は、わかってもらえると思うんだけどなぁ」 「どういう意味だ」 「だって若、かっこいいし、綺麗だもん」 さらりと答えれば、前から赤かった顔は本当に驚くほど真っ赤で、憤死するんじゃないか、と思わず不安になるくらいだった。それでもたぶん、こうして告げられるのを嫌な思いで聞いているのではないはずだ。それくらい、嬉しいのか、と。妙に冷静にそう思う。 ならば自分はどうなのだろうか。自分自身ではわからない。出来る限り普段通りにしているつもりだが。 「………」 「別に顔だけってわけじゃないけど」 「ならば俺だとてそうだ」 「………」 「おまえの笑顔にどれだけ救われてきたかわからん。おまえの存在にどれだけ安堵したかわからん。おまえはもういるのが当たり前すぎて」 一生懸命だ。馬超は、それこそ必死に言葉を紡いでいる。言葉数が少ないわけではないが、馬超がこうして、誰かに対して自分の言葉を、その意味を必死で伝えようとする。そんなところを見たのははじめてではないだろうか。 「…ははは」 「な、何故笑う」 「嬉しいからかな?」 「………」 「一生懸命で嬉しいなぁってさ」 「……おまえだけだからな」 「うん」 「…嫌だと言ってももう遅いぞ」 「言わないよ」 「………馬岱」 「言えるわけないじゃない。若が気付くよりずっと前からそうだよ、俺は」 こんな風に嬉しいならもっと早くに伝えておけばよかったのか。そう思っていると、ふと馬超の視線と真正面からぶつかった。熱のこもった眼差しだ。それまで何ともなかったのに、お互いきちんと思いを伝えて向かい合えば、その目がこちらの熱を欲していると知れた。 ああ、と息を飲む。 きちんと思いを伝えて、お互い通じ合っていたなら、あと残るのは。 まっすぐにこちらを射抜いてくる、欲望だけだ。 それに気付いて、ようやく馬岱も自分が緊張しているのに気がついた。全身熱くて、それこそ馬超の熱にあてられたような気がした。 |
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さてその他は皆狂気の沙汰 |