閉じた目の上なら憧憬の
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馬岱はそれはそれは大きなため息をついた。 視線の先には明らかに馬超がいる。ついでに言えば、張飛もいた。しかもどうも揉めている。 一応張飛と馬超は仲は良い方だ。何かと言えば酒に誘われているし、手合わせというかやや決闘のような趣もなきにしもあらず、な手合わせもたびたびおこなっている。 が、ぶつかることもそこそこあった。 馬超はもともと育ちが良い。それが時に張飛の癪に障るようでもあった。理由を聞けば大概反応に困るような些細なことで取っ組み合いの喧嘩に発展していたりするから始末に負えない。 「…ちょい!何やってんのー!」 大きく深呼吸ひとつ、馬岱は腹に気合いを入れてその二人のもとに駆け寄った。 「………大丈夫か」 恐ろしく不機嫌な声で馬超がこちらを気遣う。馬岱はといえば、目の周りに出来た痣を水で冷やした手拭いを当てながら頷いた。 張飛と馬超の取っ組み合いの喧嘩に、止めに入った馬岱は、ものの見事に顔面に張飛の拳を食らったのだった。一応それで、その場はおさまったのだが手痛い代償である。 「あー、うん」 正直言えば痛いし、腫れてきていて視界が暗い。拳を食らったのは左目付近なのだが、とはいえここで正直に痛いと騒いでも馬超を心配させるだけで、それはそれであまり好ましくない。 「…すまなかったな」 「まったく若ってばすーぐ頭に血がのぼるんだからさぁ…」 「……そうだな」 相変わらず不機嫌を隠しもしないでいる馬超に、馬岱はやれやれとため息をついた。 何かあって取っ組み合いの喧嘩になったのだろうことはあの状態を見ればわかる。さてそれを、馬超の口から語ってもらうべきかどうか。 「………」 馬岱も黙れば、馬超は眉間に深い皺を刻んだままで腕組みをして俯いている。どうにも、話をするような雰囲気でもなくて、馬岱はもう一度小さくため息をつくと自分も黙った。 口を閉ざせば痛みが増す。鍛えている、とはいえ顔はそう簡単に鍛えられる場所でもないし、もう少しうまく避けられなかったもんかな、とぼんやり考えた。が、あの時はとにかく馬超の盾になるように動いてしまったのだ。ほとんど条件反射だった気もする。殴られる瞬間はひどくゆっくり、その拳が伸びてきたような気もした。吹っ飛ぶほどではなかったが数歩よろめいて、ああやっぱり痛かった!なんてわかりきった結論に達して、でもひとまず目的自体は達せた様子に、馬岱はわざとらしく「いてて」なんて呟いたりもして。 あの拳を馬超が受けなくてよかった、と思う。 馬超にはいつも威風堂々とした姿で、そこにいてほしいと思うから、たとえばこんな風に拳を食らっている姿は馬岱にとって錦、と呼ばれたその人の偶像を歪ませるようで。 「…馬岱」 「ん?」 「わざと、あの拳を受けただろう」 「…そんな器用なこと、出来るように見える?」 どうやらそれが不機嫌の原因か。そう思い至って馬岱は肩を竦めた。わざと、という言葉は正しいけれど正しくない。盾になろうとしたのは確かだけれど、別にあの拳を受けたくて受けたわけではない。飛び込んだら避けられなかったというだけで。実に言い訳がましい理論ではあるが。 「おまえは俺のこととなると無茶をする」 盛大なため息をつかれた。どころか、憤りを抑えるような声音だった。馬超は基本的に声にその感情が乗りやすい。聞けばわかる機嫌の良し悪しも、今はとかく最低だった。 「…はぁ、まぁそりゃ、若だし」 「なぜそんなことが出来る」 「ん?…だって若だし、じゃ答えになってないかな」 「なっていない!」 「えー。でもなぁ…。あのさ、若。俺、別に本当に殴られにいったわけじゃないからね」 「………」 「止めないとなぁと思ったからいっただけだよ。そしたらたまたま殴られたってだけ。これは俺の不注意かなぁ。予測できなかったわけじゃないし」 「………無茶をするな」 「それ若が言うの?」 馬岱が思わずおかしそうに笑う。が、馬超はしごく真面目な顔で馬岱をじっと見つめた。その視線に射られて、馬岱は笑うのをおさめた。一番、とかく無茶をする人にそう言われるなんて、と思うと神妙になるどころかいっそおかしい。だが、馬超は本当に真剣に思っているのだろう。 「おまえはいつだって冷静だ。…だからこそ、俺は言いたいのだ。無茶はするな」 「…なんか矛盾してない?それ」 「…矛盾しているな」 相変わらず視線をそらさず見つめてくるその眼差しに、馬岱はふと、その意味を知った。 冷静なくせに、無茶をする。そうすることでどうなるのか、わかっていて動く。それをやめろ、と言っているのだ。馬超は。 そういうところは見えてるんだな、と思う。だから笑い飛ばした。 「大体ねぇ、若はちょっと俺を過大評価しすぎなんだよ!」 「そんなことはない!」 「そんなことあるって…」 相手が馬超だから、身体を張っている。でもたぶんそれは別の誰かにだって出来ることだ。馬岱らしさを見せる為ならそんなことも、たぶん出来る。ただ、馬超相手にはそれが本当に自然に動けるだけだ。幼い頃からそうだったから、というのもある。それが自分のすべきことだと思っているところもある。 だけどそれ以上に、自分が満足するためにやっている、とも思う。 張飛に殴られて、今の自分みたいに顔に痣を作っているのを見たくなかった、とか。そんなことをぐるぐる考えていれば、馬超はどこか苦しそうに訴えかける。 「何か問題があったか?おまえの強さは俺と違って俺にはそれが眩しく思える」 「………」 「俺にはないものだ。それが俺には必要なものだ」 「………」 「本来俺に、その強さがあれば馬岱をこんなに苦労させることもないのだがな」 「何言ってんの、若は!もう!ちょっと、もしかして落ち込んでるの?」 「当たり前だろう」 「もー、これは俺の不注意だってば。別に逃げられたんだよ、だからいいの!」 「だが!」 「だがも何もないよ。これは俺の不注意!若が気にすることはないの!」 「気にさせろ!」 言い合いが加速する。途端、馬超は馬岱の肩を強く掴んだ。力の限り掴まれて、わずかに顔を顰める。 「うわっぷ…と、ちょ、ちょい若?」 「俺は気にしてはいけないのか。馬岱が怪我したことを」 泣きそうに聞こえる声だった。実際泣いたりはしないだろうが、それにしても慣れていない人間が聞けば、目を潤ませているのではないかと思うくらいにその声は震えていた。 「…俺の不注意、って言ってるでしょ?」 だから馬岱は、だからこそ冷静に答えた。いつものように、軽口をきいている時のような声と、口調で返す。 「…それはわかった。だが、俺はおまえの怪我を気にしているのだ。それも、駄目なのか。おまえを気にすることはそんなに悪いことなのか!?」 「………」 「おまえは…」 「待った!なんかちょっと変だよ、若」 「変なものか」 「えっと、ちょっととりあえず落ち着こうよ。怪我の心配してくれるのはすごく嬉しいよ。それは本当」 「………あぁ」 「だけど若が騒ぐほどこの怪我、重くないからね?」 「………本当か」 「本当だよ。顔だから痣とか腫れとかで酷く見えるだけだよ。ちゃんと手当てしてれば大丈夫だから」 だから元気出してよ、と続ければ、ふと馬超は何かを思い出したようだった。 「……そうだ、馬岱」 「んー?」 「おまえが前に言ったことを覚えているか?」 「ん?何?」 一体何のことかと首をかしげていれば、馬超がにじり寄ってきた。もともと肩を掴まれていたからその距離は腕一本分だ。一体何をする気だろう、とそのままでいれば、少しだけ自分より背の高い馬超の顔が近付いてきて。 「………」 手拭いの上から、腫れている瞼にそっと口づけられた。本当に軽く。おそらくは、怪我を気遣った上での、本当に軽いものだ。 何、と思った馬岱だったが、そういえば前に馬超が爪を割ってしまった時のことを思い出した。まじないだ、と言って馬岱がその手に口づけた。あれを、馬超は覚えていたのだろう。 「若」 よく覚えてたね、なんて言おうとしたが、それより早く馬超が口を開く。 「このまじない、効くのだろうな」 「うーん、どうかなぁ。どうだった?若」 「俺はおまえの言うことならば信じる」 「………そうかぁ」 「ああ、そうだ。おまえの言うことに、間違いなどないからな」 だから、と馬超が微笑む。 だから、馬岱のことはいつだって信頼している。いつだって自分を正しく導いてくれる。ただただ強いのではなくて、もっと別の強さで、それこそ、自分が望む本当に欲しい力だ、と。 そして、だからこそ大切で、今心配しているのだ、と。 懇々と言い聞かせてくる馬超に、馬岱は一つ一つ相槌を打ちながらうなずいた。 なんだかひどくくすぐったくて、嬉しくて、馬岱は思わず笑った。それこそ、腫れがひきつって痛い、と呟くくらいに。 そうするとまた馬超が大丈夫か、と問うてくる。それを大丈夫大丈夫、と制しながら。 手間がかかる人だなぁとか、面倒な人だなぁとか、不器用に生きてるなぁ、とか。 思うことならしょっちゅうあるし、それをいちいち止めたり宥めすかしたり、持ち上げたりして、ほんの少し疲れたり。 だけど、その苦労だって、なんだか報われるくらいかえってくる感情があることが嬉しくて。 この人が好きでよかったな、なんて思うのだ。 |
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