あなたが好きです 2



 互いの思いが通じあったのがかれこれ十日は数えるほど前の話。
 お互いはっきりと言葉にしたわけではなかったが、それで十分伝わった…はずなのだけれど、実際あれ以降、何か変わったわけではなく、普段通りに会話をし、仕事をこなし、息抜きして、馬の手入れをし…という日々を過ごしている。
 そこそこ忙しい日々で、十日も経つ頃には、あの時のあのやりとりは果たして実際あった話だろうか…なんて不安感を帯びてくる。
 とはいえそんな話を誰かに聞いてもらうわけにもいかない。迂闊に誰かに相談すれば、相手が誰かという話になるし、それをうまく回避しきれる気もしない。となれば、秘しておくべきだ、というのが馬岱が得た結論である。
 だがそれは結局誰にも相談できない悪循環でもあるもので。秘密にしたければ誰にも話すべきではないとわかっていても、もやもやは解消されず、誰かに相談したくとも、内容が内容だけに語る相手すら悩ましい。
 そんなことを考えて、無意識にため息をもらした。
「最近ため息が多いのではないですか?」
「…えっ、そうかな!?」
 言ってきたのがあの諸葛亮だったものだから、馬岱は内心おおいに慌てた。ただでさえ何でもお見通しみたいな人である。その人の目に止まってしまうほど自分はため息をついていただろうか。
 幸いなことに、他に人のいない状態だった。この会話を他の誰かに聞かれていたら、あれこれと心配される可能性だってあったはずである。諸葛亮もそこらへんの気をつかってくれたのか。
「ええ。何か悩みでもあるのですか?」
「そうだねぇ、仕事多いなぁとか…」
「それは失礼いたしました。あなたなら出来るだろうという量だと思ったのですが」
「おっ、さりげないおだて作戦」
「本心ですよ」
 馬岱はそこからわざとらしく話をそらした。実際、仕事の話ならば山ほどすべき会話もある。諸葛亮も察してくれたのだろう。その場は馬岱の言葉に乗って、際限なく話題は切り替えられていった。
 諸葛亮の仕事の手伝いは多岐に渡る。それこそ半端のない量だし、それを手伝うのは馬岱には向いている仕事だった。表立って言えないような内容についても同様だ。
 だからその日もだいぶ陽が暮れた頃合いに、ようやく諸葛亮のもとから帰ることが出来た。諸葛亮のところにはひっきりなしに人も来て、それこそ彼の手はしょっちゅう止められる。結局、あの人自体の仕事はほとんど進んでいないのが現状にも思えた。
「明日も大変だね、こりゃ…」
 やれやれ、とため息をついて背伸びをしながら歩く。夜道である。帰ったら食事にでもしよう、と考えながら歩いていれば、唐突に声をかけられた。

「馬岱!」

「あれっ、若!」
振り返れば、馬超が数人連れていた。
「今帰るのか?」
「ああ、うん。若は?」
「俺も少し前に終わってな。これから酒でも呑むかという話になったのだ。馬岱、おまえも来い」
「おっ、いいねいいね! 俺も酒飲みたかったんだよねー!」
酒という話が出たということは張飛もいるのだろう。大勢のところでの酒は馬岱も好きだ。ほいほい了承して、そのまま馬超とともに、待たせていた馬超の軍の者たちと合流した。その頃には、ひとまずため息をついていたこともその原因も忘れていた。
そんなこんなでその日も、張飛が浴びるように酒を呑み、劉備が止めに来て結局一緒に酒を呑んでしまい、さらに星彩が張飛の首根っこを掴んで帰っていき、それを劉備があまり叱らないでやってくれとか言い募る――という、いつもの光景を見てからのお開きになった。
お互い、しこたま酒を呑んだあとである。覚束ない足取り二人でよくわからないことを叫びながら、何とか部屋に戻って、そのまま寝てしまったようだった。
それは、馬超と馬岱の二人を昔から知っている人が見たら、珍しい光景だった。二人とも完全な酔っ払い状態になっているのは、実に珍しいのだ。

 さて。
気がついたら朝である。
起き上がり、周囲を見渡して、そこが普段と明らかに違う様子であることに一瞬にして意識が覚醒した。が、次の瞬間には状況を思い出す。とはいえ、完璧に思い出せたわけではないが。
「………あ、そうか」
馬超の部屋、馬超の寝台、そこで二人で裸になって寝転がっていた。季節は冬である。蜀という地も冬は決して暖かいとは言えない。寝台に裸で、どうもほとんどお互いの肌で暖をとっていたようなのだけれど。
「…………」
裸になった記憶がない馬岱にしてみれば、なんでこんなことになっているのかもよくわからない。が、いつまでもそうしていられないので、ひとまず寝台を出てみた。身体が重いのは、おそらく酒が抜けていないからだと思う。
床に捨てるように落ちている服を手にとって、さっさと着込み、もうひとつの違和感に気付いて馬岱はため息をついた。
「うーん、風邪ひいたかな…」
声に出してみて実感する、自分の身体の不調。特に咽喉には違和感が貼りついているようだった。裸で寝ていたのだとしたらそうなりもするか、と思うのだけれど、それにしたって。
「…わかー、起きて」
馬岱が寝台を抜け出してもまだ眠っているらしい馬超を起こすべく声をかければ、しばらくもぞもぞと寝台の上でひとしきり動いたあとに、ようやく馬超が身体を起こした。当然裸である。素肌に掌をぺたぺたとあわせて、ふむ、と事実確認すると、馬超は首を傾げた。
「……何故裸なのだ、俺は」
寝ぼけてはいるものの、疑問は疑問なのだろう。ぼんやりとした表情で眉間に皺を寄せている。そんな馬超に、落ちていた服をひとまず手渡す。すぐにそれを羽織るかと思いきや、馬超は受け取ったまましばらく動かない。
「いやぁ、俺もわかんないなぁそれ」
「いや、待て…たしかもうここでいいかとおまえもこの寝台に寝転がっただろう?」
「……そうだったかなぁ…」
どうやら馬超は馬岱よりはもう少し昨夜のことを覚えているようである。だが、そうだったとしても馬岱の方には記憶がないのだけれど。
「それでどうして裸なのだ?」
「いや、だから俺も覚えてないのよ」
「ば、馬岱にもわからないことがあるのか」
「あるよ、俺別になんでも知ってるわけじゃないよ?」
俺を何だと思ってるのよ、なんてぼやきながら、ひとまず服を着るようもう一度促す。そこでようやく寒いことに気がついたのか、もぞもぞと馬超が着替えを始めた。
「若は身体大丈夫?」
それを眺めながら、自分の不調のことも考えて問う。着替えの手を止めて、馬超は不思議そうに頷いた。
「ああ、特に何ともないが」
「うーんそっかぁ」
「なんだ? そういえば少し声がおかしいな、馬岱」
「あーわかる? ちょっと咽喉が痛いし身体が重いんだよね…」
他人からも声の変化がわかるほどなのか、と馬岱が少し眉間に皺を寄せる。あまり他人に気付かれたくなかったのだが、今日は出来るだけ静かにしているべきかもしれない。とはいえ、馬岱は軍議やその他の仕事などでもどちらかといえばよく喋る方だ。一日完全に黙っている、というわけにもいかないだろう。
「おまえがそんな風になるのは珍しいな」
「だよねぇ。羽目を外しすぎちゃったかなー」
「今日は寝ていたらどうだ。軍師殿には俺が適当に言っておく」
「いやいや、そこまででもないから」
「本当か?」
思わずおかしくなってしまった。確かに馬岱が体調を崩すのは珍しい。普段から体調管理はしっかりしている馬岱だから、余計今回のことが珍しく、そして大変なことと捉えてしまうのか、馬超の言葉は明らかに過保護に思えた。女子供でねあるまいし。
「俺、そういう管理ちゃんと出来るよ。無理だったらちゃんと帰ってくるつもりだし」
「…そうか。ならばいいが」
いい、と言いながら不服そうな馬超に、馬岱はついに笑い出す。機嫌を損ねてしまうかと思ったが馬超は別段何とも思っていない様子だった。
「まぁでも、若まで体調崩してなくてよかったよ」
「あとで何か身体に良いものを持っていくからな」
「はは、ありがと」
と、そんなやりとりをしていた時だった。ふと、馬超が何かを見つけたらしい。馬岱の首のあたりをじっと見つめる。
「馬岱」
「え、何? なんかついてる?」
その視線に気づいて、馬岱が首のあたりに手をやってさすってみる。が、特に何かついているような手触りはなかった。そうしているうちに馬超が寝台から立ち上がり、馬岱の首筋――ちょうど服に隠れるかどうかといったあたりを確認する。
「…なんかある?」
「……虫…か?」
「え?」
「いや、ここに」
「虫がついてんの?」
「いや、そうではなく…腫れているなと思ってな…」
馬超の表情がみるみるうちに苦々しく歪む。その表情に、その腫れがどんなものか、詳しく聞かずともわかる気がした。だがあえて、確認する。
「うん? 虫さされ? この時期に?」
「………馬岱」
かえってきた声は酷く不機嫌そうだった。
「う、うん?」
「俺は先ほど裸だったが、おまえはどうだったのだ」
「そりゃ俺も裸だったけど」
「…な、ならばこれはその」
言いづらそうに、馬超は視線をそらす。その頬が少し赤く染まっていた。
「あー…そうなのかな?」
「し、知らん! 覚えていないぞ!」
「俺も覚えてないなぁ!?」
「な、何故覚えておらんのだ!!」
「それ若にそっくりそのままお返ししてもいい言葉なんじゃないの?!」
先ほどから繰り返していることをもう一度繰り返す。お互い全く覚えていないのである。二人揃って忘れるなんてことがあるだろうか、と思わないでもないが、だがしかし二人は二人とも、昨日は珍しく泥酔だった。普段ならどちらかが酔いが冷めていることも多いのに、昨日に限って二人とも酷い有様だった。馬岱に至ってはこの部屋に辿りついたことも記憶にない。
どうやら馬超はこの部屋に来て、馬岱が戻るのが面倒だと言ったことまでは覚えているようだったが。とはいえそんなもの五十歩百歩である。
「な…何故だ…!」
思わず頭を抱えてしまった馬超に、馬岱はひとまず冷静に声をかけた。
「いや、ちょっと待って。落ち着こう」
「……覚えていないぞ」
「虫の可能性もあるし」
「虫だと思うのか?!」
「どう答えてほしいのよそれ」
「………ど…どうすべきなのだ」
相変わらず頭を抱えている馬超である。一体何をそんなに苦しむことがあるのか、正直馬岱にはよくわからない。確かに気になるという点では、頭を抱えたくもなる。もし身体を繋げていたのだとしたら、覚えていないことが何とも言えない気分ではある。だが決めつけるには状況証拠が少なすぎた。たとえばこの咽喉の痛みと身体の重さは、裸で寝てしまったことや、酒が残っているから、というだけではない可能性だってある。
馬超がそれに気付いているかはともかくとして。それにしたって馬超の落ち込み具合は想像以上だ。
「…えーっと、気付かなかったことにするってのは?」
「む、無理を言うな!」
「若が気にしちゃうと俺も気になっちゃうじゃないよ」
「俺のせいだと言いたいのか!?」
「いやだからそれはわかんないけどさぁ、実際これ話してたって結論出ないよ」
馬超はぐっと言葉を詰まらせた。昨夜のことは酒のおかげで全く覚えていない。これが二人の結論である。だが馬超はそれでも諦めない。ぎろりと鋭い視線をこちらに向けたかと思うと、低い声で言い放った。
「身体を見せてみろ」
展開として納得出来ないわけでもないが、心情的になんとなく受け入れられず、馬岱は思わず頭を掻いた。
「身体検査したってさぁ」
「身体中に、その」
「痕がついてたら自分がなんかしたって?」
「そ、そうだ!」
「だけどそれ自体は覚えてないわけだよね? 俺も覚えてないし、もう今回は何もなかったって結論でもいいんじゃないの?」
「よくないぞ!」
「若ぁ…」
どうしてそんなに頑ななのよ、と思わずぼやく。これでは堂々巡りだ。明確な答えがない以上、あれこれ言ったって始まらない。だが馬超は相変わらずこの一点に酷くこだわる。こだわりすぎて、やや馬岱が不安を抱え始めるほどだ。
「おまえはそれでいいのか!?」
「いや、だから」
「俺は嫌だぞ」
「……だけど」
馬岱が何か言うより先に、馬超が矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。そんな風に馬超が訴えてくることは珍しかった。いつもはどちらかといえば、そうやって訴える側は馬岱なのだ。それを馬超が言葉少なに返す。それがいつものやり取りだったが、今回のことがよほど嫌だと言うのか。
「俺は嫌だと言っているのだ。おまえとの事をそんな簡単になかったことにしたくないのだ! そ…そういうことになったというなら、きちんと、その」
言いにくそうにしている馬超に、馬岱は肩を竦めた。その一点についてのこだわりは相当なものだ。堂々巡りも確定だ。ならばもう話を発展させるしかない。
「………あー…じゃあさぁ」
少し考えながら、口を開く。多少、その言葉を紡ぐのに度胸がいった。
「な、なんだ」
「これ、結論出ないからさ」
「………」
「そんなにそれが駄目だって言うなら今そういう事実を作ればいいんじゃないの?」
言った途端、馬超が目を丸くした。こちらとしては対面上はさらりと言ってみたつもりだったのだが、その言葉に対する馬超の反応はそれこそ初陣の頃の若者のようですらあった。
今や馬超は顔を真っ赤にしていて、完全な動揺がうかがえる。
「…お、おまえは何を」
「だってそれしかないじゃない?」
「それでいいのか!?」
「むしろ若がそれでいいのかって話だよ!」
「違う! 俺はその」
「んー?」
「……おまえがきちんとわかって言っているのか、と」
「………わかってないと思ってたの?」
「…………」
馬超が黙り込む。何だか馬超にあてられて、馬岱も身体が熱かった。あれほど全力で反応されるとこちらも引きずられてしまう。自分で提案しておいて何だが、恥ずかしさも込みあげてくる。さっさと結論を出してしまいたい気分だ。言うなれば投げやりな気分ですらある。思わずその感情が口をついて出た。
「むしろ俺は若がやっぱり違うなーって気付いたんじゃないのかなぁとか思うんだけど」
「何…?」
「いやほら、若が俺を特別だって言ってくれたけどさ、けど結局違うって気付いたんじゃないかなぁって」
「俺が嘘をついたとでも?」
「嘘ってわけじゃないけどさ。けど、例えば同情とかでついつい言ってたんだとしたら、実際俺と関係を持つなんて出来ないんじゃない?って」
その言葉を口にした途端、馬超の表情からすっと赤みがひいていった。それまでのものとは明らかに違う温度差。怒りに震えているのが、空気からも伝わってくるようだ。しまった、とは思ったものの、後にはひけない。それにこれは馬岱が実際感じていることだ。十日間、特に何の進展もなかった自分たち。忙しさや気恥かしさももちろんあったが、それ以上に、その原因をどこかに求めているのも確かだった。それが口をついて出た。
どうにもこの感情について、報われることなどないと長く思いこんでいたせいか、悲観的になりやすい。
「同情…? 本気で言っているのか、馬岱」
じっと見つめられた。その視線から避けるように俯く。
「本気っていうか…まぁ、事実確認」
「俺がおまえに対して同情したと?」
「だってやたら気にするからさ」
その途端、馬超が声を荒げた。
「おまえのことだからだろう!?」
「俺のこと?」
「俺一人で済む話ではないだろう、これは。だから俺は…それでいいのか、と」
「うーん。だからさ、覚えてないものは覚えてないんだし、だけど若がこの痕が虫さされなのかそうじゃないのかってのを気にするなら、もういっそ既成事実作る?っていう提案をしているわけでさ?」
「だからその…ッ! 自分のことなのだぞこれは!」
「…うーん」
「俺が同情でおまえと同じ気持ちだなどと言うものか。そんな簡単にばれる嘘をおまえにつく意味がない! おまえは今までどれだけ俺の適当な嘘を見抜いてきたのだ! わかるだろう!?」
馬超の声はどんどん大きくなりつつあった。普段からよく通る声の人である。とはいえ、落ち着いてよ、などと言う余裕も今の馬岱にはなかった。言わずにいればよかった言葉を口に出してしまったのも、妙な焦りがあったからだ。
「そりゃつきあい長いからね」
「こんな気持ちを、俺が同情で口走って、おまえにばれないわけがない。第一、嘘を言う理由がない! わからなかったのか!?」
馬超からの信頼は時に酷く重く感じるほど大きい。今まさにそれを感じる瞬間だった。
「………わからないよ、こればっかりは」
情けないけれど事実だ。女々しいと思われても仕方がない。
「何故だ!」
「だって俺、若に好きな人がいるって聞いた時、誰のことかなんてわからなかったよ。俺だなんて思いもしなかったよ。今だって信じられない気持ちの方が強いんだよ!」
だからこそ、十日間何の進展もないことに憶病にもなろうというものだ。報われるはずがないと思っていたこの感情が唐突に報われて、「めでたしめでたし」とそれで終わればよかったけれど、そうはならなかった。生きている限りその話には続きがあって、その先がある。不安が胸を占めても誰かに相談も出来ない。解消されない不安は膨れていくばかりだ。
「信じられないとはなんだ! 何故俺の言うことを信じない!」
「そ、そういうんじゃなくて!」
「そうだろうが!」
「だから違うんだってば」
「違うとはなんだ! 俺がどれだけ、その、おまえが大切か…!」
「………」
なんでだろうな、と思う。
馬岱にとって、この感情がどうにかなる日などないだろうと思っていた。が、思いがけず報われて、現在。一人でこの思いを胸に抱えていた時と、さほど変わらない気分なのはどうしてだろうか。それどころか、自然に欲張りになっていて、驚く。今だってそうだ。馬超から大切だと言われて嬉しく思う傍らで、その言葉を足りないと思う自分がいる。
「馬岱と、その、そういうことをしたかどうかもわからん状態で、納得がいくものか! 第一さっきからずいぶん適当なことを言いおって!」
「適当っていうか、提案でしょ? 若が納得いかないようだからってさぁ」
「おまえはどうなのかと聞いているのだ、俺は!」
「俺は…」
「どうなのだ! さっきから聞いていれば俺のことばかりで、自分のことは一言も言っていないのだぞおまえは!」
「そ…それはだってさ」
卑怯だ、と言われているような気がした。だが、この感情に正々堂々としていられる人なんているのだろうか。視線は自然と下へ向く。馬超の視線を受け止められない。
「なんだ!」
「だからさ…信じられないって気持ちが強いんだって…。若の言うことが嘘だとか、そんな風には思わないけど」
ごにょごにょと言葉を濁す。どう言えば一番いいのかが、判断がつかない。普段ならば、言ってほしいのだろう言葉もそうでない言葉もある程度わかるというのに。
「おまえはどうしたいのだ」
だからこそだろうか。馬超の追及は終わらない。
「………」
「俺は馬岱がそう望むのかを確認しているのだ」
そしてようやく、言葉がかみ合わないその感覚に、納得がいく。
「………ああ、そっか」
だから、顔をあげた。そこには、焦燥感に煽られて思い詰めたような顔をした馬超がいた。顔を真っ赤にしていた彼はすっかり元通りになっていて彼がどれほど怒っているかがうかがえる。
「………」
「やだなぁ、俺たちお互い相手のこと考えてたのか…」
「…そうだな」
馬岱の得た結論。ようやくここに来て、互いに意見が微妙にかみ合わないことの原因に気がついた。互いともに、互いがどうしたいのかを優先したいと思っていたのである。馬超は馬岱がきちんと望んでいるのか。馬岱は馬超に、その気があるのか。それがはっきりせずに、勝手に落ち込んだり不安に思ったり、怒ったり。
「なんかおかしいね」
「ああ」
じっと馬超がこちらを見つめてくる。睨むというほどではないが、それでもやはり逃がすつもりのない強い眼差しだ。視線をそらしても、その眼差しを肌に痛いほど感じられる。
観念したように、口を開いた。
「………それは俺だって…どうだったか覚えてない、なんてのでもやもやしたくないよ」
「…そうか」
そんなのはお互い共にだ。その状態でいいわけがない。ただでさえ、お互いの気持ちは伝えあったのだ。とっくに身体を繋げていたっておかしくないくらいの状況なのだ。それが、わからない、のでは。
「そうだよ。普段があんまりいつもの通りすぎて、あの時のことなんてもう夢だったかなとか思うくらいだったんだからさ」
「……俺は不安だっただけだ」
「…若も?」
「そうだ。…今までと完全に関係が変わるのが、怖かっただけだ。身体を繋げたら、今まで通りに接することが出来るかわからんと」
「……はは」
「笑うな」
「いや、でもそうだよね。俺たちもうずっと一緒だったもんね。小さい頃からお互いの裸なんて見慣れてるしさ」
「…うむ」
容易に想像出来る。身体を繋げたら、きっとその日から馬超の態度はあからさまにおかしくなるのだろう。周囲がそれこそ心配するほどに。やれ喧嘩したのかとか、あるいは人生相談にすら乗ってもらえるかもしれない。
だからこそ、馬岱は肩を竦めた。
「でもま、若がぎくしゃくしても、俺が適当に何とかするよ。特にみんなの前ではさ」
「………あまり冷たくあたるなよ」
「…………俺、今まで十分若に甘いと思うんだけどな」
「どうだかな」
「えー」
「馬岱」
「………」
「やはり今日は休むべきではないか?」
「……若も休むなら?」
「馬岱がそう望むのか?」
「若はどうしたいのよ?」
そのやりとりに思わず二人とも笑いだした。
「またこれか!」
「なんかさぁ」
「なんだ」
「こんなんだから、こんなことになってるのかなぁって」
「どういうことだ?」
「酒の力、借りてそういうことになってばっかりだなぁって。本当に何かあったかはおいといて、あったと仮定しての話ね」
「…むぅ」
「今なら酒も抜けてるしね」
「そうだな」
「…うん」
「……緊張してきたぞ」
「はは、俺も」

「………馬岱」

 どくん、と心臓が跳ねた。
全然覚えてないけれど、何だか聞いたことがあるような気がした。そんな風に、呼ばれたことがある気がした。それまでの呼び方とは明らかに温度の違う、熱のこもった声に。
馬岱は頷いて手を伸ばす。触れたかった。
馬超も手を伸ばす。同じ気持ちでいるのだろう。触れる掌、その指先は微妙に冷たい。
そして確かめるように、身体を寄せた。身体は熱い。
互いの熱に、それまでの不安など馬鹿らしいくらいだったと気付いたけれど、言わずにおいた。
あの不安もきっと、長く一緒にいたからこそ起きたことだ。いつか必ず通る道だったのだろうから。
だからこそ、今は感じる熱の心地よさに身を任せた。







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そして続き。