おやすみ、そして良い夢を
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寝ている。 一体何がどうしてこうなったのかよくわからないが、とにかく馬岱が、馬超の寝台で寝ている。 起こそうとして身を乗り出して、肩を揺さぶろうとして、やめた。 何だか酷く疲れているように見えたのだ。その寝顔が。 眠っている馬岱の横に腰かけて、そっと髪を撫でてみた。自分のものと違って酷く柔らかな髪は昔から好きだった。本人はくせ毛であまり好いていない様子だったが、自分の髪よりよほどいい。手触りが、とにかく優しいのだ。 そういえばこうして髪を梳くように撫でるなど、いつぶりだろうか。そもそも、こうして眠っている馬岱を見かけたこと自体久しぶりな気がした。馬岱はいつも、馬超より遅く寝て早く起きる。いつ寝ているんだ、と問えば若が寝てる間、と答える。そりゃそうだろうが、とそれ以上の追及はひとまずやめた。 言葉で馬岱にかなうはずがないので。 「………」 いつもいつも、明るい彼は起きている時はいつだって持ち前の社交性で周囲の空気を和ませる。それに何度も救われてきたものだったが、実際のところ、彼が静かな空気を好むことも知っている。 「…馬岱」 ふと名を呼びたくなって、答えるはずもないと知りながら言葉を音に乗せてみた。いつもならば「はいよ」とか簡単にかえってくる声。それが、今はない。 なんでこんなところで寝ているのだろうか、と思う。これでは自分が眠る場所がない。無論、馬岱の寝台はあいているはずだから、そっちへ行けば済む話ではある。だが、そんなところで眠れる気はしなかった。 「疲れているのだな」 ならばいっそ、朝になるまでこうして見守っているのもいいかもしれない。気配には敏いはずの馬岱がこうも熟睡しているのも、馬超にとっては嬉しいことだった。 馬岱はいつも神経を張り巡らせている。周囲の状況を見ること、そして場を和ますこと。そういうことに長けた馬岱はいつだって周囲に気を配っていて、どこかしらいつも緊張しているように思えた。とはいえ、そんな風に誰かに言ってみても否定されるに違いない。馬岱だって否定するだろう。 だが、馬超にはそう見える。たとえば、この男が、何か一つだけ、周囲のものになど気を配る余裕がないくらいの状況をつくり出すことが出来たら。 そうしたらその時は、長年共にいる従弟の新しい顔が見れるのだろうか。 だが、果たしてどうすればそんな事が出来るのか。それがわからない。諸葛亮のような者ならば何かしら思いつくのだろうか。つくづく己がただひたすらに武のみで生きてきた事を苦く思う瞬間だ。 自分のこれまでを悔やむことはもちろんある。だが戻りたいとは思わない。なのに、馬岱のことになると、後悔はとにかく波のようだ。 「いつも、すまんな」 言いながら、馬超はまだその髪を撫でていた。あんまり手触りがよくて、そしてその髪を撫でたのが久しぶりすぎて、何だか離しがたいのだ。お互いもう図体もだいぶ大きくなって、髪をなでるとか、そんなのもおかしな年齢だし。 それに、蜀に来てから妙に気になってしまって。 馬岱は過保護だ、とか、馬超に何かあればすぐ馬岱が呼ばれる現状。もちろんそうしているのは馬超が暴れたり前後不覚になったりするからなのだが、そういう時に駆り出されるのはいつも馬岱だった。昔からそうだったけれど、ここの人々におかしそうに馬超に何かあれば馬岱だな、と言われ続けて、気にしない方がおかしい。 そして言われるたびに思うのだ。やはり少し依存が過ぎているだろうか?とか。 だがそう簡単に今までの関係をなかった事に出来ないし、ごく自然に馬岱は馬超を助けるし、馬超は馬岱を頼りにする。そういう依存関係が出来あがってしまっていて。 自覚することがこんなに恥ずかしいのだと知った。 「う…」 呻く声に馬超はびくりと肩を震わせて、髪を梳いていた手を離した。が、起きる気配はない。少し身じろぐだけにとどめて、馬岱はまた眠りに落ちてしまった。どれだけ疲れているんだ、と思うと同時に、もしかして自分の寝台だからこんなに眠れるのではないか、なんてことも考える。 でも、たとえば安眠を求めて馬岱が己の寝台よりも、馬超のそれを選んだのだというなら。 こんなに幸せなことはない。ふわふわした気分になる。 優しくてあたたかくてやわらかな、それは。 どう表現すればいいのかわからない。馬超には詩的な表現は出来なかった。だが、それでもたぶん、この感情に意味を、名前をつけろ、というならおそらくは。 ――恋とか愛とか、そんな風に呼ぶものだろうから。 むず痒くてとてもではないが言葉に出来る気はしない。だがそれ以外に表現もない。 |
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