別に好きとかそういうわけじゃ

 白バイ隊っていうのは、実はすごく狭き門だ。あれは一年に一度しか訓練を受けられないし、その数も限られている。
 その上白バイ隊は機動力が高い。だから刑事課なり地域課なりが追いかけている指名手配犯を見つけ出したりそれを追跡するようなこともままあるわけだ。
 だから、無線によって指名手配犯を追跡中との一報が入った時、俺は舌打ちした。全国指名手配の相手である。よりにもよってこのあたりで見つかるか。
「追跡してるのは?」
「張遼だ」
 上司からの言葉にあーやっぱり、なんて思いながら重い腰を上げた。さっさと行け、とどやされてしまってはしょうがない。相手は凶悪な犯人である。とはいえ、張遼という男はなるべくしてなった、とか言われるような警察官の鑑とか言われる奴だ。たぶん一人でも大丈夫だろうとも思うのだが、そうもいかないのである。なにせ仕事だから。
「や〜な予感がしたんだよなぁ…」
 今日は何かが起こるのではないかと思っていたのだ。いつも何となく見ている朝のニュース番組。その中の一コーナーになっている占いコーナーで、李典の該当する項目は最下位だった。「好きな人との関係に亀裂が走っちゃうかも!」なんて、実に朝から嫌な気分にさせてくれる占い結果だった。とはいえ、李典は好きな人がいないので、そもそも成立しない話なので関係ない、はずなのだが。
 なんてことを考えながら、車に乗り込み張遼が追いかけているらしい経路を確認する。うまくいけば挟み撃ちも出来るか。このあたりの道には詳しい李典は、無線を使って挟み撃ちする、と告げると、上司の言葉を待たずに無線を切った。
 張遼が指名手配犯を見つけ出してもう数件目か。彼が白バイ隊員としてここへ来て以来、なかなかの検挙率だ。交通課の中ではすでに伝説と呼ばれているとか、酔っ払いまで素面に戻るなんて言われているほどだ。
 かたや李典は刑事課で、捜査一課に属している。その中でも李典は少し特殊な仕事をしている。
「ち、あの野郎俺が言ったこと覚えてたかな…」
 捜査官の中には、大量の指名手配犯の顔・体格を覚えて繁華街などに立ってそれを探す、というものがある。李典は記憶力が特別高いわけではなかったが、鋭い勘がある。これでしばしばこの職務に関わることが多かった。ここ最近、繁華街で首筋にぞわりと感じる嫌な予感を覚えること数回。いるんじゃないかな、と専任者に話したし、張遼は白バイ隊員ゆえに、そういう話にも関わることになりやすい。あの時、李典がそれを伝えた際にもやはり張遼は近くにいた。
(別にあいつに手柄もってかせる為だったんじゃねぇのにな)
 李典は車をまわしながらそうため息をついた。そもそも張遼は呼び寄せてんじゃないのか、というくらいの検挙率だ。まったくもって腹立たしいことこの上ない。しかも奢ることがないから余計に困る。言葉数も多くない、いつも黙々と職務をこなしている、となったら、彼を頼る者も多くて。
 かたやいつも勘がどうこうなんて言うせいで、どうにも扱いずらそうな対応をされる李典にとっては、張遼の賞賛されるばかりの姿は正直嫌味にすらとれるのだけれど。

《李典殿》

 ザ、というノイズとともに、警察無線が入った。張遼だ。
「…っ、何だよ」
《すまぬ、逃げられた。今李典殿はどのあたりに?》
「はぁ!? に、逃げられたってあんたよくそんな冷静だな!」
 とんだ失態ではないか。まぁ張遼ほどにもなれば、多少の失敗程度ではなんら問題にならないのかもしれないが、こちらとしては一大事だ。肌がひりつき、ざわつく。
《うむ》
「うむじゃねぇだろ! あ〜…っ、信じるかどうかはあんた次第だろうが、俺の方に近づいてきてる気がする。逃がすわけにはいかないからな。切るぞ」
《待たれよ、李典殿!》
 張遼の言葉を聞かずに、李典は無線を一方的に切った。パトライトを点灯だけさせた状態で、車から降りてじっと待つ。ざわざわと、相変わらず嫌な予感がしている。後ろから冷たい風が吹くような感覚だ。ぞわりと肌が粟立つ感覚。近づいてきている。
 今日、張遼が見つけ出したのは、殺人犯だった。しかも通り魔的な犯行を繰り返し、その犯行も監視カメラにおさめられているにも関わらず、長く足取りがつかめていなかった相手である。世間的には場当たり的な通り魔だと思われているが、警察組織の見解としては、バックに強力な仲間がいるのではないか、というものだった。要するに、組織犯罪対策部が出てくる必要のある――暴力団が絡んでいるのでは、というものだ。
「さぁて、運試しってな」
 そう呟いた矢先だった。狭い路地を通り抜け、噂の犯人が姿を現す。人相は多少変わったか。長い逃亡生活で、変わらない奴がいる方がおかしいのだが。
「…っ」
 相手が息を呑んだ。パトライトが備えつけられた車の前で腕組みして立っている男を見て、刑事だとあたりをつけたのだろう。
「よお、やっぱりいたな。あんたここんとこ、このあたりうろついてただろ? 人相だいぶ変わってるけど、俺の勘のが勝っちまったなぁ。さ、いい加減諦めて逮捕されてくんねーかな?」
 言いながら、李典は胸ポケットから警察手帳を取り出した。見えるようにそれを開けば、相手は後ろ手にナイフを隠しもっていたらしい。携行用のそれを持ち、刃の部分を手首の一振りで音を立てて開くと身構えた。
「あっ、おまえまーだ抵抗する気かよ。そういうのやめとこうぜ。どうせもうあと少しもすれば囲まれるしな」
 が、その言葉で時間がないと察したらしい犯人は、頭を掻く李典めがけてナイフを振り回してきた。ブン、という音とともに李典の目の前の空気が切り裂かれる。
「うおっと!」
 間一髪のところで避けたが、相手は返す手でさらにナイフを振り回す。でたらめな軌道に李典は苦戦した。李典に対して怪我を負わせるあるいは殺すつもりで来ているというよりは、やみくもに振り回しているようで。
「おい落ち着けって!」
 襲い掛かってくる男を合気道の要領で動きの軌道をかえて、バランスを崩す。もたもたとよろめく足を引っ掛けて転ばせようとした矢先だった。
「うおおおお!」
 男の、獣じみた絶叫。転びかけた男は、あさっての方向にナイフを投げた。李典に向けてではない。は、と気づいた瞬間には、彼がそのナイフの軌道に立っていた。
「ちょ…っ!」
 張遼、ととっさに叫びかけるが、言葉が全て紡がれる前に、張遼がその飛んできたナイフを、避けるでもなく手袋をつけただけの素手で掴んだ。刃の部分を、である。
「な…っ!」
 あんた何してるんだ、と叫びかけたがそれも言葉にならなかった。
「李典殿!」
 それより早く、張遼が叫んだ。李典は慌てて転んだ男に飛び掛り、身柄を確保する。
「こ、このやろ…っ!」
 李典が暴れる男をどうにか押さえつけると、張遼がナイフを遠くに投げ捨て、公務執行妨害でようやく逮捕に至った。手錠をかけられた後も、男は暴れていたが、ようやく駆けつけてきた応援に任せることにした。
「おい、あんた!」
「李典殿か」
「手!」
「む?」
「無茶しすぎだろ!? あの場面は叩き捨てるべきだろうが! あんたバイク乗るのが仕事だろ! それが手を怪我するヘマしやがって…! って、いやそれどころかあんた、よくも逃がしやがって結局手錠かけたのあんたかよ!」
「李典殿の手柄だ」
「そんなわけあるかよ。あんたが見つけてあんたが捕まえたんだからどう見たってあんたの手柄だろ。さすが交通課のエースはそうやって点数稼ぐんだな! ったく胸糞悪いぜ…」
「…しかし、李典殿がいなければ今回の捕り物もなかったことになるのだが」
「なんでだよ」
「私は李典殿の言葉を聞いていたから普段以上に注意していたし、私が逃がしたあの男も李典殿が取り押さえてくれたのだ。当然であろう」
「……やっぱりあんた、俺の言葉覚えてたんだな…」
「うむ。信頼に足る情報だ」
「…何言って」
「見当たり捜査の、担当でもないのにそこへ口出しできる李典殿の言葉だ。忘れるわけがない」
「…っ、な、んな、そ、そんな風におだてたって何も出ないからな!? さっさと手当てしてもらってこい! お、俺はもう帰る! いいか、早くいけよ! 手当て! あ、あとあれだ、労災の手続きもしろよ!?」
「ああ、そうしよう」
 張遼は短く頷いた。李典は踵を返して歩き出す。歩き出してから、そういえばハンカチのひとつでも手渡してやればよかったかと思ったが、そこで振り返って渡しに戻れるほど肝は据わっていなかった。そんなことよりも、口うるさくああだこうだと言ってしまったことにため息を禁じえない。朝方見たテレビの占いを思い出しては、ぐしゃくじゃと頭を掻いた。
(べ、別に好きな相手なんて…いねぇし!)
 そんな風に内心叫びながら、李典は車に乗り込んだ。その顔が真っ赤だったことや、ああどうせなら車に乗せてやればよかったなんて後悔ばかりしながら。
(そういやあいつ、痛いとか一言も言わないんだな…)
 そう気がついて、なぜだかやたらと切なくなって、李典はハンドルにもたれかかって、大きくため息をついた。





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警察が完全に日本のやつですが気にしないで!?