クアッドリリオンの蝶 2




 夢の話は不思議なものと相場が決まっている。
 体験したこともないような荒唐無稽なこともあり、実際体験した記憶の断片を再生することもあり、意識していることが夢に出ることもある。そこには理性のようなものは存在しないし、法則もない。
「記憶をよすがに、っていうのは実に興味深いね」
 そう言ってふんわり微笑むのは毛利元就だった。彼は世界の成り立ちから考えて、妲己側についていたが、妲己が妖蛇討伐の軍に捕らえられて行動を共にする事になってから、同じくして討伐軍に加わった。
「人は記憶出来るけど端から忘れられる生き物だ。そう考えると、何て頼りないものに縋っているんだろうと思ってね」
「なるほど?それで、あんたは何を考えてるのかね」
 話相手は賈クだった。互いに最良の手段と思えばどんな方法であれ実践に移す。神算鬼謀の将などと言われたりする者同士、妙な息の合い方をしているからか、よく一緒にいる彼らはその時も、そんな話を始めていた。
「いやぁ、あのかぐやって娘の力は一体どこまで及ぶのかと思ったら眠れなくてさ…」
 お恥ずかしい、とばかりに頭を掻いた元就に、賈クはいつものように、肩を竦める。
「ははぁ、たとえば我々の心許ない忘れゆく記憶を頼りに戻った世界が、はたしてどれほど正しく過去の世界であるか、とかかね」
「そう、それそれ!ああ、なんだやっぱり君もそういうことを考えたりしていたんだね!」
 賈クの言葉に元就は身を乗り出した。何を言ってるんだ、と言われるでもなく、話が続くのが嬉しいらしい彼は、饒舌になる。どことなく早口にもなっていた。そんな元就の高揚を、賈クは理解しながらそこで制する。
「多少頭が回る奴なら考えたことくらいあると思うがね。ただし確かめようのない話だから、考えてもしょうがないってんで、それについては思考停止が賢明だ」
「まぁね。でもこれが紐解けたら、新しい歴史にまた一歩が踏み出せるんじゃないかな?」
「あんたはこの世界の歴史家になりたいのかい?」
「この世界は私にとっては理想的だね!なんせ、三国の英傑が揃ってる。それに他にもまだいるし」
 いきいきとした笑顔であっさりこの世界を肯定する目の前の男に、賈クはやれやれとわざらしくも大仰にため息をつく。無論、この世界をただただ否定する者ばかりでないことはわかっている。新たな出会いの中には決してこの世界が出来なければ起こり得なかった縁もあったはずだ。
「そんなんだから、妙なのに好かれるんだなぁ、あんたは」
「妙なの?」
「あれだよ、あれ」
 賈クの言う妙な存在、その矛先には阿国がいた。凌統と何やら楽しそうに話す彼女は、こうして見るとただただ艶やかな大輪の花だ。だがその実、彼女にはもっと深い使命がある。おそらくはそれを賈クも情報として、仕入れているのだろう。
「ああ、阿国さんか。あれは妙っていうか…巫女さんだよ」
「巫女ねえ。とてもそれだけにゃ思えないんだが…」
「そうかな?」
「あんたも似たようなもんだからかねえ。なんだか得体が知れん…」
「あの賈クも怖がらせるなんて阿国さんはすごいね」
 阿国は気に入った相手をいつも出雲に連れていこうとする。この世界にその出雲というのが、本来の意味を成しているかどうかはともかくとして。そして彼女が、死に対して独特の視点を持っていること。あるいはあの人こそを、死神と呼ぶかもしれない。賈クはそれを知っているのだろう。もちろん元就も知っている。
「ま、話がずれたな。それで、あのかぐやの力を疑問視する所以とは?」
「いやね…前回、遠呂智が再臨した時からこっち、思ったんだ。仙人は遠呂智を正しく倒すことはできない」
「ふむ」
「あれだけの力を持った仙人たちだが、遠呂智のような力はなく、この世界を解体する事も出来ない。だけど彼らはこの世界をこのままにしていて良いとは思っていないのではないかな、とね」
 遠呂智は。
 一度目、倒した後は封印をされていた。彼にとってしてみれば眠っていた、という事になる。それを清盛が卑弥呼の力を使って封印を解いた。そうして再臨した遠呂智という存在は、さらに凶悪な強さを持って人の前に立ちはだかった。
 それらを、仙人たちの手を借りて倒したのだが、世界はなくなっていない。再臨した遠呂智を倒して以降、一度この世界に現れた伏犠、女カ、太公望といった面々は仙界へ戻っていったが、人は誰ひとりとしてその世界から出ることは出来なかった。そうして数年。ついに妖蛇が出てきたわけだが。
「ま、ここはいわば遠呂智の創った遊び場、あるいは処刑場だからね」
 どうやら遠呂智という存在はそもそもにして「封印」されていたらしい。それは妲己のところにいて元就が集め得た情報だ。常に監視され、封印され続けた遠呂智。別の世界を創り、あるべき歴史を歪めるほどの力を持つその存在を、仙界は倒すことが出来ず、だからこそ封印していたとして。
「そう!仙人たちが出来ないがゆえの、遠呂智自身が創った遊び場かあるいは自分のための処刑場。それは仙界にとっては汚点ではないかな」
「捨て置けないってわけだね」
「そうなんだよ。だからいつだって介入してくる。でも、仙人たちがいつものようにやっていてはどうにもならない。ならどうするか?って考えた時に、私なら外からが駄目なら中から壊すことを考えると思った」
「中、の定義が曖昧だね」
「どうもね、あのかぐやって娘の力を考えると、この世界というのはどういう風に成り立っているかなぁ、とね。たとえば、こう…もともとは壱、という世界があって、その世界で僕たちはやり直しを要求して、過去に戻ってるわけだけど。その戻る、というのは結局、壱の世界の過去にいくわけだけど、行って戻ってきた時には壱の世界ではない、弐の世界になっている、というのかな?」
「壱の世界の未来を知っているが過去の改変で壱の世界の未来は変わる。そうなった時そこは壱の世界か否か、ってとこか」
「だって壱の世界ではないだろう?僕たちは壱の世界の未来を知っているんだ。知った上で過去を変えて未来を変えている。となれば壱の世界は僕らの体験として実在するけど、そこには辿りつかない。これは実に興味深いと思わないかい?」
「だが過去を変えていることを知らない奴らにとってはそこは壱の世界だ」
「そうだね。だからそれは、人の主観によるんだけど」
 元就はいつもの調子で笑っている。賈クは腕組みしてそれを聞いて、相手をしている。彼らがいるのは元就に与えられた幕舎内。
「さて、それであんたは何が言いたい?」
「私たちははたしてこのまま、あの娘の力を使って過去へ戻り続けていいのか?ってことだよ」
「ま、そこは確かに不安の残るところだね。なんせ俺たちは今妲己の過去に来ているわけで、不安を感じていない奴なんて一人もいないだろうさ。さて、それはともかくとして、だ」
「うん?」
「あんたの疑問についてはまた今度、また語り明かすとしてだ。あんたは一体、何を調べている?」
「……ああ」
「この幕舎内でのこと、説明していただきたいんだがね?」
「うーん、そうだね…」

 振り返る。そこには、昏々と眠り続ける人たちがいた。
 微動だにせず、ただただ静かに眠っている彼らは、元就の軍の者だけではなかった。

「最近はどうもおかしいね。こりゃ伝染病か何かか?」
「さて、どうだろう」
 ここ最近、賈クはある情報を得ていた。それは、唐突に眠気を訴え始める者たちがいること。そして、彼らは眠りに就くと、そこからしばらく本当に目覚めなくなること。だからといって死ぬようなこともなく、ただただ、ひたすら昏々と眠り続ける。
 そしてそういった彼らを一手に引き受けているのが、毛利元就だった。
 まだその数は多くない。だが、全く目覚めず眠り続ける。それがおかしな症状だった。
 外傷があるわけではなく、かといって他の原因もわからない。
「どうも、夢を見ているみたいなんだよ」
「夢」
「眠っている彼らは、頻繁に何かを語ろうとする。とはいっても断片的だし、到底意味はわからないんだけどね」
 妖蛇が現れて、人々が次々と死に、ついにすべての人間が死ぬ時が来るのか、と思われた。それからずっと、人々は戦っている。竹中半兵衛、司馬昭、馬超。その生き残った三人を中心に。
 そんな中でさらに面倒なことが起こっているらしい。その兆候の芽を、元就が一手に握りしめている。賈クとしてはそれがどうにも不気味に思えた。


「馬岱殿が?」
 兼続の口から馬岱の名が出たことに、幸村は驚いた様子で首を傾げた。
「うむ。今左近のところにいる。これから馬超を呼びに行くところなのだ」
「…お疲れなのでしょうか」
 唐突に、左近の幕舎に現れた馬岱は、酷く憔悴した様子だった。その上、足取りもふらふらと覚束ず。左近の使っている寝台に転がりこむとそのまま眠ってしまったのだ、という。しかも、どれだけ起こそうとしても起きないとか。
 さすがに尋常でない様子に、兼続は馬超を呼びに行くことにしたのだった。そして、馬岱に頼まれた太公望のところへも。
「そうだな、そうかもしれん。幸村も気になるなら様子を見てくるといい」
「はい、そうします」
 ではな、と兼続が足早にその場を後にする。幸村は残されて、すぐに左近の幕舎へ足を向けた。
 尋常でなく疲れている様子だった、という言葉に幸村はふと考える。馬岱にはいつものらりくらりと幸村の手合わせの願いを断られている。幸村としては是非手合わせ願いたいのだが、どうも避けられている気がする、と最近ようやく気がついた。が、もしかしたら本当に疲れていて、それどころではなかったのかもしれない。
 申し訳ない気持ちになって、幸村はすぐに左近の幕舎へ向かった。

「お、幸村」
「左近殿、馬岱殿は…」
「ああ…」
 ほら、と左近が示す向こうに寝台があり、そこで馬岱が眠っていた。とはいえ、ただただ眠っているのとは違う様子で、兼続が少し慌てていたのも頷ける。
「何やっても起きやしない」
「…大丈夫なのでしょうか?」
「まぁ、疲れてるんだと思うがね。あの人も気遣いの人だから」
「…そう、ですね」
 左近と幸村が見下ろす中、馬岱は眠り続けたまま、指先が痙攣するように震えていた。



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