それはひとりというとりだ




 時折感じる、馬岱の青灰色の目の奥にある寂しさ。
 それを感じることは、決して多くはないのだけれど、それだけに、そうやって感じる瞬間は胸が詰まる。
「どうかしたのか」
 問われた馬岱はといえば、一体何のことか、という顔をする。
「え? 突然どうしたの、若」
 驚いた表示用で首を傾げる馬岱は、いたっていつも通りの彼だ。明るい表情で、逆に心配されている気さえする。
 とはいえ、どうかしたかと問われて、答えられるほどに自分の中での言葉もはっきりと輪郭を見せているわけではないから、返す言葉に窮する。
「………なにもないなら、いい」
「何よそれ、どういうこと? ちょっとわけわかんないんだけど」
 そうして言葉を濁したまま、話を切り上げようとすれば、馬岱が今度は問いかける側に変わって、何があったのかと問い続ける。いつものことだ。本当にたまに行われる、このやりとり。数で数えてみたところで、そうすごい回数この会話を繰り広げているわけではない。
 ただ漫然と、ああ前にもこんな会話をしたな、と思い返す程度だ。
 そしてそのたびに気にしていることを思い知る。
「なんでもないと言っているだろう。しつこいぞ」
「えー、だって何かあったと思ったから聞いてきたんじゃないの?」
「…気のせいだ」
「気のせいってことにしちゃわないでよー」
「………」
 気のせいだってことに。
 そうさせているのはおまえだろうが、と言おうとして馬超は口をつぐんだ。
 何故だか言葉にして問いかけてはいけない気がして、こちらから無理に話を聞いてはいけない気がして、これまでずっと言い聞かせて口をつぐんできたのだけれど。
「………馬岱」
「うん?」
 ちょっと来い、と目だけで訴える。そういう細かな合図も、さすがに長年のつきあいともなるとさらりとこなして、馬岱は自然に身体を寄せてきた。おそらくは、内緒話をするような気分で近寄ってきたのだろう。その行動に躊躇いはなくて、動きはどことなく明るくて、到底馬超が感じた寂しさなど微塵も感じさせないもので。
 そうやって近くに寄ると、ほんのわずかに身長が上な分だけ見下ろす形になる。ほんのわずかなものだけれど、その視線の位置は、少しだけ馬超の機嫌を良くした。
「何?」
「……」
 しかし馬超は、言葉にはせずに馬岱の背に手をまわした。
 さするように背を撫でて、特に何も言わずにいる。
「若ってさ」
「なんだ」
「動物みたいだよねぇ…」
 しみじみ、といった様子で馬岱がそう呟く。とはいえ、そうされる事を嫌がりもせず、じっとしている。
 手のひらから伝わってくる馬岱の熱。逆に馬岱も、馬超の指先の熱を感じているだろう。
 しばらくそうしていて、少しずつ、馬岱の身体から力が抜けていくのがわかった。じわじわと、少しだけ気を張っていたらしいことがそれでわかる。
「若の手はあったかいね」
「さんざん暑いから触るなと言われたがな」
「…だってさー、若って本当に子供みたいな体温じゃない? ここは暑いから」
「暑いから、か」
「うん」
「だから触れるなと言ってきたのだな」
「…あー、うん、まぁ、そういうこと」
 馬岱の言葉はどこか歯切れが悪い。本当は何か言いたいことがあるのだろうに、言えずにいる言葉があるのか。
 そう思うと胸にもやもやと、言い知れない言葉が浮かんでは消えていく。
 俺にも言えないことなのか。それとも、俺だからこそ言えないことなのか。言ってほしいと思うのは、我儘なのだろうか。それを正面から問うてもいいのか。無責任に言ってみろと伝えて、はたして自分に何とか出来る話なのか。たくさんのことがぐるぐると頭の中を駆け巡る。
 怖くて、聞けない。
 不利な戦場をひたすら駆けることより、馬岱の言えない言葉を聞きだす方がよっぽど怖い。だが、時折見せる馬岱の、どこかさびしい様子は、いつだって馬超の胸に痛みを呼び起こす。
「ちゃんと理由を言え」
「うん、ごめんね」
「…少しばかり、寂しかった」
「…はは。うん、そうだね」
 笑った馬岱に、馬超は何故だか抱き寄せたいほどの感情に揺さぶられた。そう出来たらどんなにいいだろうか。してもいいものだろうか。こうしてそれを悩む方がおかしいのではないか。そう考えて、ぐるぐるぐるぐる。
 そうして、気付くのだ。
 ああ、そうか。そうだ。自分は、自分も、寂しいのだ。
 馬岱に感じる、彼があえて言葉にしないのだろう何か。それを知りたいのに聞き出せない自分。彼が少しでも寂しそうに笑えばそれだけで胸が痛んで、辛い。きっと馬岱はそれを知らない。そう思ったら、苦しくて、辛くて。
「…馬岱」
「何、若」
「……呼んだだけだ」
「はは。そっか」
 幼い頃から共に育った。昔から、何かにつけて馬岱は馬超に出来ないことをやってきた。それはたとえば絵であったり、細やかな気遣いであったり。
 助けられたことも多い。
 そういう中で、馬岱はついに自分の感情まで揺り動かすようになったのか、と。
 なんだかそれが悔しかった。馬岱のしぐさや視線に、自分まで影響される。そういうことを、何てことなさそうにやってのける。
 今こんなに胸が苦しいのも、全部馬岱のせいだ。馬岱が一瞬見せた、あの表情のせい。どこか暗い眼差しのせい。一体何を思ってそういう目をしていたのか。
「…あのさぁ」
「何だ」
「……なんか若、辛そうだなぁって思ってさ」
「………暑いからな」
「そりゃそうよ。じゃ、もういい?」
「………」
 少しおどけた調子で笑う馬岱を、馬超は気がつくとしがみつくように抱きこんでいた。おっと、なんて言いながら、馬岱はやはり大人しくそうされたまま。
「だめだ」
「暑いんじゃなかったの? 若」
「…暑い」
「俺もだよ、若。あつい」
 言いながら、ふと気がつくと、馬岱の腕が馬超の背にまわっていた。服を掴むその手。それに、馬超は瞼を閉じた。
 そしてゆっくり、笑う
「…ああ、あついな…」
 その指先に感じる熱が。
 だけれども、その熱は馬超にとっては酷く落ち着くものだった。うわごとのようにもう一度、つぶやく。
「…馬岱が、あつい」
 その後は、何故だか離れる気もしなくて、本当に暑いというのに、しばらくそうしていた。離れがたい。そう思いながら、ふと気付く。
 ひとりになりたくない。
 その感情こそが、馬岱のあの眼差しの理由だろうか。そう考えて、自分も今まさにそう思っているのに気がついて、苦く笑った。



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