voice for safe and sound




「上杉の兵士諸君!」
 兼続の張りのある声が響く。こういう時の兼続の声は腹の底から力のこもった、芯があって不思議と力がわいてきた。出陣間近のこの時間は、特に兵士たちの士気をあげておく必要がある。上杉軍はいつも兼続が先に声をかけていた。だからかどうかは知らないが、謙信のいない上杉軍も決して弱くはなかった。
「おお、幸村。そちらはどうだ?」
「はい、大丈夫です」
 季節は夏も近い。そろそろ徳川の残党の始末も目処が立ち始めていた。その日は籠城する残党がついに城内の兵糧も尽きて刃を交えるだろうことが予想されていた。三成も本陣に控えているはずだ。
「しかし暑いな」
 陽射しは夏も間近のこの時期だ。体力が消耗されるのに十分なものだった。とはいえまだ夜になれば冷え込むのもこの季節特有のものだ。この大切な時期に体調を崩すようなことはしないが、ここのところこういった戦が多く兼続には少し疲れが見えている。
「…兼続殿、少しお話があるのですが…」
「ん?あぁ」
「ここでは何ですので、向こうで」
 そう言って幸村が促したのは、陣幕から少し出たところだった。このあたりは木々が鬱蒼としていて木陰も多い。しばらく無言で歩いていけば、兼続が察したのかもしれない。少し笑うのが前を歩く幸村にも気配でわかった。
「幸村」
「はい」
 呼ばれて、振り返れば少し照れくさそうに兼続が笑っていた。
「話というのはなんだ?」
 つられて笑い返せば、兼続はひとまずため息をついて、落ち着くためか深呼吸を数回繰り返す。
「こういうのは三成の役だと思っていたのだがなぁ」
 確かに三成はよく真っ青な顔色をしていることが多い。特に今は秀頼の天下の為に寝食費やして政務に励んでいるから仕方がないかもしれない。家康を倒し、ようやく全てがこれからという時なのだ。大阪城に籠城同然の暮らしをしていた秀頼を、まず母親のもとから一人立ちさせるまでにも時間がかかるだろう。
 しかし兼続だとて忙しいことにはかわりない。
「誰の役、といったこともございますまい。私からすれば、あなた方二人とも少し休まれた方がいいのです」
「はは、幸村にそう言われてしまったら、私も三成も休むしかないなぁ」
「何でしたら子守唄でも歌ってさしあげましょう」
 冗談のつもりで言った言葉に、兼続が唐突に手をうった。
「それだ」
「…は?」
「子守唄だ。歌ってくれ」
「……か、兼続殿…」
「私は少しここで休む。まだ少し時はあるだろう?」
「ええ、まぁ…」
 とはいえほとんど冗談だった子守唄に本気になられてしまうとは。幸村は困って兼続を見つめる。兼続本人はといえば、さっさと木の根元あたりに腰を落ち着けてしまっている。ほら、と兼続がさも当然のように手を伸ばしてくるに至って、幸村はお手上げだ、というように溜息をついてその手をとった。
「酔狂ですね」
「そうかな?私は幸村の声が好きなんだ」
「…そうですか?」
 自分の声、と言われてもいまいちピンとこない。自分の声は兼続ほど隅々にまでよく通る声でもない。どちらかといえば普通の、ありきたりなものだと思う。だからこそ、兼続の声にこもる力を羨ましいと感じるのだ。
「ああ。心地いいよ。幸村はいつでも一生懸命なのが、声に響いてくる。それが好きだな。私も頑張らねばと思う」
 兼続の横に座れば、それからまたさも当然とばかりに兼続が身体を倒してきた。どうするつもりかと思えば、そのまま膝を枕に寝転ばれた。思わずあいた口がふさがらない。子守唄をとは言われたが、まさか膝枕までとは思わなかったのだ。
「兼続殿…」
「はは。驚いたか?だがこれ以上は要求せんよ」
 これ以上なんてないですよ、と思わず呟いた。それから子守唄を、と言われて、さて困ってしまった。なんというか、異様な光景に違いない。
 とはいえ今、ここには自分たち以外は誰もいない。ひと払いをさせてあったし、少しの間ならば上杉軍も真田軍も、二人がいなくてもなんとかなるだろう。
「…そうだ、兼続殿。私も兼続殿の声が好きなんですよ」
「ほう。それは初耳だな」
 兼続はすでに目を閉じていて、心なしか気持ちよさそうだった。
 兼続の顔色があまり良くなかったのは確かで、実際こうして真上から覗いてみれば、その目の下に隠しようのないくまが出来ているのも事実だ。
「兼続殿の声を聞いていると、力をもらえる気がします」
「…そうか。ではいつも幸村の隣にいて、理想を語っていようか。そうすれば、幸村はいつでも元気だ。そうだろう?」
 ふと、幸村はその言葉に唇をかみしめた。
 何故だろうか。すごく自分の心にしっくりと、歯車がかっちり合わさったような感覚があった。
 兼続が隣にいたら。
「…そう、ですね。さすが兼続殿…」
「はは。この身のどこかが幸村の為になるというなら、これ以上嬉しいことはないな」
 幸村はふと己の掌を見つめた。長篠でおおくの命が散っていった。助けることはほとんど出来なかった。その時からずっと感じていた、虚しさも、今ならば感じる必要がない気がする。
 何故だかそれがとても不思議で、くすぐったくて、気持ちがよかった。
見上げれば木々の向こう、青空が広がっているのも、また気持ちがいい。
―――勝とう。
 そうしたら、兼続にちゃんと言おう。
 あなたの言う通りです。私の隣で、もっとたくさんの、未来につながるような理想を語っていてください、と。



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SCCのペーパーにのせたかねゆきでした。