雪解けと陽の光




 幸村の大阪の屋敷を、何の連絡もなく訪れた。
 無論家人はにわかに色めき立って、あたふたとし始める。本当に、何の前触れもなくやってきたのだからこれは仕方がない。だが、幸村が不在であると知った途端、三成は明らかに落胆の表情を見せた。それを見て、さらに彼らが慌てる。
「申し訳ありませぬ。しかし、夕刻には戻りましょう。もしよろしければ、お待ちいただければ…」
「いや、いい。それでは気づまりするだろう。俺の事は気にするな、幸村にも言わなくていい」
 三成はすっぱりとそう言うと、すぐに踵を返した。
 見送りの視線を感じたが、振り返ることはしなかった。それよりも、幸村に逢いたくてここまで来たというのに空振りに終わったことの方が悔しい。こんな事ならあらかじめ連絡しておくべきだった、とか。
 考えてみれば幸村はどちらかといえばよく外へ出ているのだ。休みだろうが政務だろうが、篭っている事の方が多い三成にはどうしても実感出来ないところではある。おかげで空振りしてしまったわけだが。
「………」
 しばらく、振り向きもせず足早に歩いた。屋敷が見えなくなったあたりでようやく速度を緩め、その通りを曲がったところでようやく、本当にようやくだ。大きなため息をついて立ち止まった。
 逢ってどうする気だったのかと問われると、答えに窮する。
 手合わせをしようとは、三成には言えない。明らかに幸村の方が強いからだ。少し歩くでもいいが、かといって目的地があるわけでもない。
 特別何か話したいことがあるわけでもない。むしろ政務の話はしたくない。そうとなると、さて三成の会話の幅は極端に狭まってしまう。考えれば考えるほど気が滅入った。
 ならばどうして幸村に逢いに行ったか、と言えば。
 三成はそこまで考えて、もう一度ため息をつく。
 思わず狭い路地に入り込み、影になるところで置きっぱなしの荷物の上へ座り込んだ。
 どうしたってどう考えたって、逢いたくて逢いにいったのだ。それ以外などない。三成が後先も考えずに飛びだすことなどそうそうないのだ。だからこれは、やはりどこか浮かれているのに違いない。
 これまでそんな風に逢いたくなる相手などあまりいなかった。理由もなく飛び出した理由がただ逢いたいだけとかそんな事。
 はぁ、と三度目のため息をこぼした瞬間だった。

「三成殿!」

 その声に、三成は思わず立ち上がった。顔を上げれば幸村が走ってくる姿が見える。
「ゆ、幸村…?どうしたのだ」
「どうしたはこちらの科白です!こちらに来て下さったというので…屋敷で待っていて下されば」
「……」
 言わなくていい、と言ったのだがどうやらこの様子だとちょうど入れ替わりに幸村が戻ってきたのかもしれない。今追いかければ、とか何とか。言われて幸村が走ってきた。想像に難くない。
「…それでは、気づまりするだろう。…俺はあまりいい噂もないからな」
「そのような。何かご用があったのでは?」
 さらりと問われて一番困るところを突かれて、三成は口をへの字にしたまま閉ざした。とはいえ、沈黙に耐えられずに小さな声で否定する。
「……、……いや…」
「…往来では言いにくいお話でしょうか」
 それがまた、幸村に何かあると感じさせるに十分な様子だったらしい。とはいえそんなわけもない。ただ逢いたくて逢いにいっただけだ。少し浮かれていただけだ。一種確かに往来で言いずらい話ではあるけれども。
「いや、断じて違う。が…その、…」
 言えるわけもなく。
 そうしていれば、幸村が何か思いついた。周囲を窺い、確認するとすぐに三成に向き直る。
「……そうだ、三成殿。この先に、慶次殿に教えてもらった茶屋があります。そちらに行きませんか」
「……前田慶次か」
「はい」
「………」
 こちらです、と幸村の招きに応じてついていく。幸村は三成を気にしながら先導してくれた。気を遣われている、としみじみ感じる。気分はどんどん重くなった。
 三成には気軽に誰かに教えられるような馴染みの店はない。評判の店というのもよくわからない。ついつい自分の中にあるものを探したが、ついぞ見つからないまま店についた。
 店は一階と二階とがあり、二階は個室になっている。そちらに通してもらった二人は、運ばれてきた茶と団子を間に挟んで、しばし黙りこくった。
「今日は、ずいぶんと陽射しが暖かいですね」
「あ、あぁ」
 ふと幸村が口を開いた。部屋には十分な陽の光が差し込んでいて、普段ならばまだ少し寒いくらいだというのに、少しもそう感じなかった。言われて気付く。
「ですから、つい外へ出かけてしまいました。梅は少し、蕾が膨らんでいるように見えました。三成殿は気づかれましたか?」
「…い、いや…今度、見てみよう」
「ええ、是非。春が待ち遠しいですね」
「…幸村は、春が好きなのか」
「私ですか?私は…そうですね、春も好きですが、夏が一番好きです」
「夏…暑くてかなわんではないか」
「ええ、ですが、一番何もかもが色濃く見えるので。葉の緑も、空の雲も、青空も。それに陽の光も」
「……そうか」
「三成殿はどうですか?」
「…お、俺は…その、夏は苦手だな。冬もだ。…いつが好きかとは、あまり考えたことはないが…」
「はい」
「……夏を好きになるよう、努力しよう」
「ははは、そうですね。是非」
 笑う幸村に、三成も少しだけ笑った。途端、ぱっと幸村の顔が明るくなる。
「ああ、良かった」
「なんだ?」
 心底安堵したような幸村に、三成が首を傾げる。
「ようやく少し笑ってくださったので」
「…そんなに、酷い顔をしていたか」
「そうですね、少し」
「…すまん。気を遣わせた」
 またやってしまった、と自己嫌悪に襲われていれば、幸村は不思議そうな顔をする。
「三成殿は」
「…?」
「もし、私が…そうですね、もしも、ですが。暗い顔をしていたらどうされますか?」
 幸村のその問いに、三成は即座に答えた。迷うまでもない。
「そうだな。何かあったか聞く」
「言わなかったらどうします」
「言うまで待つ」
「それと一緒です」
「………」
「こんなこと、気を遣ったなどと言われるほどの事ではありませんし、三成殿が気にされる必要もありません。私は、そうしたいからここにいるのです」
 なんでこんな風に簡単に言うのか。
 それを答えとして差し出すにはあまりにも三成には難しいというのに。幸村は、何のてらいもなく、ただただ自然にそう答える。じわりと胸の内が暖かくなった気がした。
「…おまえは」
「はい?」
 落ち着け、と内心己を叱咤する。はじめて出会った頃からそうだったのだ。どうも自分は幸村に少し甘い。普段はほとんど他人をほめることのない自分が、あっさりと褒めてしまう相手だ。
「……いや。…甘やかしてくれるな」
「………も、申し訳ありません」
「俺はな、おまえに逢いたくて政務を放りだして幸村のところに行ったのだ」
 ついにいたたまれなくなって、三成は口を開いた。政務に追われて疲れ果て、少しだけ外の空気を吸ってみればあまりにも陽の光は暖かくて、三成は衝動的に政務を放り投げて幸村のところを訪れた。
 ただただ唐突に、幸村に逢いたい、と思って。
 だから言ってしまえば、こんなのは現実逃避にほかならない。
「…なるほど」
「だから…」
「では、こちらで少し休んだら戻りましょうか」
「………あぁ」
 そう。そうであるべきだ。だが幸村の言葉に少しばかり落ち込んだ。が、幸村はさらに続ける。
「どれくらい休むかは、三成殿が決めて下さいね」
「え?」
「私はそれにおつきあいします」
「…つ、つきあうとは…、幸村?」
「ここから別の場所へ、視察へ行くのも良いですね。これだけ暖かいとなれば、川の堤防の確認も良いのではないでしょうか。他にも、何が最近の流行かを確認されるのも必要かと思います」
 さらりと言ってのけて、幸村は他に何かあったかな、などと呟いている。ぽかんとしたまま、三成は口を開いた。
「…つきあってくれるのか?」
「ええ」
 満面の笑みに、少しだけ悪戯っぽい表情。向けられた笑顔にじわじわと胸の暖かさが増していく。冷え切っていた自分の心が、どんどん雪解けしていくようだ。
「…さすが、真田だな。…さすがだ、幸村」
 そんな言い訳を用意する幸村についつい笑った。苦笑まじりの笑顔だ。自分はそんな風に言い訳などしないだろうに、三成の為の真田の策、といったところだろうか。そう考えるとおかしくて、嬉しい。
「さしあたって、どうしますか?」
 幸村の問いに、三成も同じように少しだけ悪戯っぽく肩をすくめた。
「…少し、ここでゆっくりしたい。…おまえと、話したいのだ」
「はい」
 笑った幸村に、三成も同じように笑顔を向けた。
 じわじわと、掌に陽の光が当たって暖かい。それだけではない。身体だけではなくて、心まで暖かい気がするのは、きっと。
 きっと、目の前にいるその男のせいなんだろう。
 気がつけば笑っている自分に、驚きながら。その幸せな今を満喫するため、出された茶にようやく三成は手を伸ばした。



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お題「君で変わっていく10のお題」から「君と居ると笑わずにいられない」でした。
幸村が誕生日だって聞いたから!誕生日らしいという日の間にはこれ以上更新できませんが、ちょこちょこアップしていきたいです。