あなたのおもうとおりにならないように。
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ちょっと寝ておけ、と言われて幸村は頷くしかなかった。 普段風邪をひいたり体調を崩すことがほとんどなかったので、そうなってしまったのが恥ずかしかったらしい幸村は、無言のまま言われる通り横になる。が、酷い顔だった。 「…そんな顔するなよ。斬られた傷が熱持ってるだけだ」 左近はそう言って苦笑いする。 戦いの中で幸村が怪我をするのはわりとよくある事だ。だが相手が北条で、相対したのが風魔小太郎だった。おそらくくないに毒なり何なり仕込んであったのだろう。毒といっても指先の痺れとかその程度のようだった。小太郎は氏康の意思の中で戦っている。その程度だったという事は、北条方は武田を滅ぼす気がなかった、という事だ。 信玄はその程度で良かったよと笑った。実際その通りだ。幸村のこの傷で、氏康の意志を汲み取る事も出来た。信玄はこれから同盟を結ぶ方向で話を進めようとするだろう。 くのいちも今傷の手当てをしているはずだった。幸村を守る役目の彼女はいつも大変そうだ。とはいえ文句は言わない。彼女以外にも出来ないだろう。 そういった理由で、普段は幸村の手当てはくのいちの仕事だったが、無傷だった左近が幸村の手当てを任された。後の処理があってごたついてはいるが、とりあえず武田もそこまで酷い被害ではなかったのが幸いだ。 幸村は辛そうだった。顔色も悪い。痺れがあるせいか、指先に血が巡っていないようだった。眠ろうとしてもたぶんそう簡単には眠れないだろう。実際よく我慢しているとは思うけれど。 「幸村、手を貸せ」 「は…」 言われた通り差し出してきた手を、左近が両手で掴んで包み込んでやる。 指先はずいぶん冷たかった。そうされた事に幸村が驚いている。もう何度目になるかわからない苦笑いを浮かべて、問う。 「辛いか?」 「…いえ」 「幸村、信玄公がね、アンタたまに嘘つくって言ってましたよ」 「…え?」 「成程ね。今わかった。嘘だな」 「………」 途端に幸村は黙り込んだ。図星だったのだろう。気持ちはわかる。真面目な性格の幸村のこと、傷を負ったのも情けないと感じているだろう。その上こんな風に病人のように扱われて横になるしかない現状を、恥じているのならそんな嘘のひとつも言いたくなる。 「ここにゃ俺以外いないんだから、何言ったっていいぜ」 「…すいません」 「で?」 「…傷は…痛くないんです。本当です。痺れはあって、身体が動かしずらいのは確かですが…その」 「ん?」 「申し訳ありません」 「それは嘘についてか?看病されてることか?」 「…どっちもです」 「そうか。ま、たまにはいいだろ」 「どうも、戦場で自分を制御するのがまだうまく出来ません」 「そうか」 「そのたびに迷惑をかけているとは思うのですが」 この程度で迷惑ね、と思ってつい肩を竦めた。 「そうか?頼もしいがな」 「…お館様には、いろいろ、言われました」 「そりゃあな。信玄公は、幸村のことかってるんだよ」 「……」 「だからその分、点も辛くなる」 「そうでしょうか」 「ああ」 「………」 「あの人は凄いんだろ?」 いつも幸村がそう言っている。お館様は凄い人で、その人の為に私は、と。くのいちも左近もそこらへん耳にたこが出来そうなくらい聞いた言葉だ。そんなことは左近もくのいちも知っている。だが幸村が語るともっと大きな意味にすら聞こえるから、不思議だ。 「はい」 「なら少しずつ頑張ってきゃいいさ」 「左近殿は…」 「ん?」 「私をどう思われますか」 「そうだなぁ、確かにちょっと猪だがね。幸村がいるってんでその戦力を考えて策をたてられるのは、助かる」 「……策を」 「そう。幸村の槍、俺もかってるぜ?」 「……本当ですか?」 「ああ」 「…ならば、もっと精進しなければ」 嬉しそうにはにかんだ幸村に、左近は苦笑した。軍師たる者、味方も敵も、駒として考えることはままある。幸村はそれを怒らない。むしろ喜ぶ。 「はは。頼もしいな」 「私が役に立てるのであれば。…もっと、強くなりたいのです」 「どれくらいだ?」 「お館様や左近殿が、安心して私に殿を任せられるほどに」 「…殿、ね」 いつかそういう日も来るだろうとは思う。戦の中での事だ。いずれはそうなる可能性はある。その上幸村のこの忠誠心と、強さ。この男が育てば、その腕を上げれば、それはきっと頼もしい戦力になるだろう。本人もたぶんそれを望むのだろうから。 「…俺は任せたくないんですがねぇ」 「何故ですか?」 幸村が少しむっとした様子で問う。そんな幸村に、左近は苦笑した。だって、仕方ないだろう。 ただただ、「死なせたくない」んだから。 信玄だってそう言っている。あれは任せれば当たり前みたいに頷いて撤退する軍の中、一人残って敵をひきつけ、見事に散るだろう。あれを殿にするのは、だから最後の時だ。どうにも、ならない時にだけ。 実はこっそり信玄にも頼んだよ、と言われている。 そんな時というのは、要するに信玄に何かがあった時に決まっているから。 「自分で考えるんだな」 笑って、左近は幸村の手を包み込む両手に力を込めた。 そう、いつか。 もう死ぬしかないと考えるその時に。 死なせないよ、って笑って幸村の前に立ちはだかろう。
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