その日、起こった事はねねの忍法とかそんなもの以上の強烈な出来事だった。 真田幸村と、福島正則が、廊下でぶつかった。 そう、文面にすればこれだけの事だった。勢いが両者共についていたので、その分転がる反動も酷かったが、そこはそれ、二人とも武士というやつである。大事には至らなかった。 ―――べつの意味で、大事にはなったが。「…くっ」 「…す、すいません…」 呻いたのが正則。謝ったのが幸村である。 しかし、その声は全く逆のものだった。 呻いたのは幸村。謝ったのは正則。 互いは互いの身に起きたことにまだ気づかず、よろよろとその衝撃から立ち直ろうとして、起き上がり―――そして。 「…なに?」 「え?」 なんだこりゃ、とばかり。二人は互いの顔を見つめあい、訝しみ、己の姿を見下ろして、ほんの一瞬前まで当然だったものが崩壊したことに気づく。 「なっなんだこれは!!!????」 幸村と正則の、中身が入れ替わる―――よくあるネタだけれども普通になしじゃろ、という事が今目の前で起こったのだった。 ど、どうする、などと二人は部屋にこもってからずっとそればかりを繰り返していた。いい方法も思いつかない。 「…まさかこのような事になるとは…」 俯いているのは身体は正則、心は幸村である。ようするに幸村なのだから、何の違和感もないのだけれど、自分の口からそんな丁寧な言葉が出てくるとなにやら違和感を覚える正則は、何ともいえない気持ちにさせられていた。別人を見ているような気もしつつ、しかしどうやっても今目の前にいるのは自分の身体なわけで、自分の顔と口でそんなことを言われるのはどうにもこうにも。 「…しかしこうなってしまったものはしょうがない。俺はこれから病気だと偽って屋敷に戻るぞ。おまえもそうしろ」 「…あ、すいません。それはちょっと…」 しどろもどろとその提案を却下する幸村(身体は正則)に、つい苛立って大声をあげる。 「どういうことだ!」 「す、すいません。正則殿は三成殿と…その…」 「何故ここで三成の名が出てくる!」 「あ、いえ。その…」 「そういえば真田殿は三成と仲が良かったな。ずいぶん親密なようだが」 やや皮肉っぽくそう言ってやったが、そんな皮肉は幸村には通じなかったようだ。 「そ、そうなのです。ですから、病を患っているなどと告げますと、おそらく三成殿が…」 「なんだ?あの冷血漢が心配するとでも言うのか?」 「ええと…はい」 「……だからといって見舞いに来るようなことはせんだろう」 「ど、どうでしょうか」 「どういうことだ。真田殿にはあの男はそんなに媚びへつらうというのか!?」 「い、いえ。媚びへつらうとかそうではありません」 「ではどういうことだ」 「その、…ええと」 「なんだ!」 「こ、これ以上は…出来れば」 なんでそこで顔を赤くする!と叫びかけた時だった。部屋の襖が開け放されて、そこに三成が立っていた。今一番出くわしたくない人である。二人は慌てて取り繕おうとして―――三成の機嫌が悪いのは顔を見れば一発でわかる。三成は物凄い勢いで正則と幸村の間に割って入った。 当然だが、三成の身体が幸村の方へ向き合う。 「どうした。何かあったのか」 心配げに眉根を寄せた三成に、心の中は正則な幸村が、言葉を失った。悪い夢でも見ているようだ。いやそれを言ったらさっきからなのだが。 何もいえない幸村に、三成は何かしら勘違いをしたようだった。くるりと正則に振り返る。その鋭い視線は、今にも射殺しそうなほどである。身体は正則でも心は幸村なのだから、そんな視線を向けられて幸村はこれまた黙り込むしかなかった。 「俺のことをどう言おうとも構わんが」 冷たい言葉だ。 「そんな閑なことをする前に、秀吉様から託されている仕事の一つでもこなせ」 ―――どうやら、三成は正則が幸村に対して三成の陰口を言っているとでも思ったようだった。背中でそれを聞いていた正則は、誰が閑だと!!と叫び出しそうになったが、ここは抑えるしかなかった。何せ自分は身体は幸村なのだ。 そして幸村―――身体は正則だが、その幸村も、何も言わない。もしかしたら驚いているのかもしれない。病だと偽れば三成が見舞いに来てしまうかも、などと心配をするほど二人は仲が良かったのだろうから。 「…行くぞ、幸村」 言い返さない正則に、三成は違和感を覚えた様子もなく踵を返した。いくぞといわれても困る。ほら、と先を促されて、正則(この場合、身体は幸村(この注釈もだいぶ面倒))は慌てて幸村を見遣る。助けを求めたつもりだったが、幸村は同じく困ったように笑っていた。笑っているのだが、寂しそうに見えて、ああそんな煤けたような笑顔を浮かべるな俺の身体で!と思ったが言うわけにもいかない。 正則は仕方なしに三成に従うほかなかった。 「…大丈夫だったのか」 少しいったところで、三成の足が止まった。振り返られて、正則(身体は幸村)が驚いたように肩を竦める。出来ればそっと逃げ出してやろうと思っていたのだが、出来そうもない。ああどうせだから清正あたりが通りかからないだろうかいっそおねねさまでも秀吉様でも誰でもいいから!なんて思うのだが、こういう時に限って誰も通りかからないのが常からのお決まりである。 「…何故何も喋らん」 喋らないんだ!!と叫びたかったがそれも出来ず。正則はうぐうぐと心の中でおおいなるツッコミを繰り返すばかりだった。 三成は一人で盛り上がっているのか、悲観したような顔だ。 「…おまえにそういう態度をとられると、不安になる」 言われて、正則(身体は幸村)の手をとられる。三成は普段からあまり他人に近づかない。どれだけ昔馴染みといっても、正則としては子供の頃に取っ組み合いの喧嘩をした時以来、三成とこんなに近寄ったことはなかった。なんだ?と思ってからふと気づく。 幸村が異常に言いずらそうにしていたこと。 はっきりしなくて苛々していて、つい何かあるたびに怒鳴り返したのだが。 「…何か、言ってくれぬか」 そう言われて、三成の顔が近づいてくる。なんだなんだなんなんだこれは!!と予想外の展開に驚いて、正則はとっさに、それこそ全力で三成を突き飛ばした。 なんだこれはどういうことだ。なんで三成はそんなに幸村にべたべたしようとするのだどうして突き飛ばされてこんな哀しそうな顔をしているのだ三成は!わああこんなの俺の知る三成じゃないぃぃぃぃ!! と、そこまでの意識はあった。 「真田殿」 呼ばれて、顔をあげれば正則(心は幸村)がいた。 「こちらへ」 酷く落ち着いた様子の幸村(身体は正則)に手招きされて、正則(体は幸村)は慌てて彼の方へ走り出す。多少足取りがおぼつかないのは、もうこの際どうしようもない。 「幸村」 そんな正則(体は幸村)に、三成が声をかける。が、振り返ることは出来なかった。 「どういうことだっっ!!!」 「申し訳ありません」 酷く冷えた声で、幸村(正則)が謝る。どことなく不機嫌そうに感じるのは何故だろう。だがそれよりも自分の身に起こったことが理解できずにいる正則には、そんな些細な他人の心の機微などどうでもよかった。 「み、三成がおかしかったぞ!!」 わめく正則に、しかし幸村はやはり冷えた調子で返す。 「……私にとっては、あれでいつもの三成殿です」 「い、いつもの、って。それはその…三成に、手を握られたり、接吻されそうになったりするのが、か!」 「そうです」 頷いた幸村(正則)の頬が多少赤い。自分の身体で勝手に頬を染めるな!と思うがそれも出来ない。 「だっ…り、理解できん!」 「………」 もしかして三成に無理強いをされているのでは、と思い至り、正則はそうだそうに違いない、とばかりに握りこぶしをつくった。 「い、嫌なら嫌といわねばならんぞ真田殿!」 「…嫌ではありません」 「は?」 しかし予想外の反応に、かたまる。 「…嫌ではないんです。福島殿」 「嫌ではない…というのは…」 「私は、三成殿のことが好きです」 「そ、それはその、友情とかそういうものだろう?」 「…それ以上のもの、でしょう」 「あ、あの三成のことがか?」 「はい」 「ど…どこがいいのか理解が出来ん」 「―――何処が悪いのですか」 「え?」 「三成殿の、どこが悪いのでしょう」 「…どこが、って」 「私には、悪く言われる謂れがわかりません」 そこまでいわれてしまっては、正則にはもう何も言えない。 真田幸村と石田三成が、恋仲とかなんとか。そんな馬鹿なというか、でも考えてみれば三成はしょっちゅう幸村を褒めていたなとか、そんなことが思い返される。 ああだがしかし。 「…そういうことならばさっさと元通りにならんとな」 「…そうですね」 だけどそれが出来ないから困っているのだ。 それにしても。 「…ところで真田殿。…何か怒っているのか」 「…なんでもありません。たわいのない事ですので」 「……」 首をかしげ、正則はしばし考える。なんでもないというわりに、幸村は相変わらず不機嫌そうで、これが「なんでもない」とは到底思えない。 三成のことを悪く言ったからだろうか。とはいえそれを謝る気にはなれない。 仕方なしに話題をかえた。 「…し、しかし三成の奴、真田殿を好いているというならば中身が別だということも気づけというものだな!!」 「―――そうですね」 あ。 しまった地雷だった、と気づいたのは言ってからだった。そうですねと頷く幸村の様子に、じわりと背中に嫌な汗をかく。ああなんだか秀吉様とおねねさまの痴話げんかに巻き込まれた時にこんな汗をかいたことがなかったか。 「…ですが、仕方のないことです」 「そ、そうか!」 どうにもこの雰囲気に、秀吉とねねのことを重ねてしまって、正則は先ほどから大量の汗をかいていた。こんな時いつもどうしていただろうか。秀吉様謝ってください!!おねね様の気が済むまで謝ってください!!と泣きながら懇願した記憶もある。 しかし考えてみれば、自分が誰かと恋仲で、同じ目に遭ったら、それはやはりこんな風に不機嫌になるのかもしれない。いやだがこればかりか不可抗力なのだが―――。 (不可抗力だからこそ、というものか) 「…戻りたいなぁ」 ぽつり、と心の底から呟いた。
翌日、その場に阿国が乱入したことで、その問題は簡単に解決した。 勧進の為に秀吉のもとに訪れて舞を披露しにきたらしい彼女は、にこにこと微笑むと二人を元に戻してみせた。 常々不思議な女だと思っていたが、こんなことも出来るのかと驚く二人を尻目に、あっさりおかしな入れ替わりの日々は終わりを告げた。 歓喜する二人は、ふと視線を感じて振り返る。 「あらぁ、三成様やわぁ」 「なんだあいつは」 「―――…」 肩を組んで互いが互いの身体に戻れたことを喜びあっていた幸村と正則は、陰に隠れている三成に首を傾げる。 「ふふふ、ちょおからかってこよ」 少しばかり小悪魔的に微笑んで、阿国はぱたぱたと足早に三成の方へ向かう。 聞こえてくる阿国の声と、三成の声。三成は慌てているようだった。 「…もう一度言うぞ、真田殿」 「はい?」 「無理強いされているとか、そういうことなら」 「―――それはありません」 今度はやんわりとした口調だった。だがはっきりとした否定に、正則はあーとかうーとか呟いて、ため息をこぼす。 「まぁ、安心しろ。この事は他言はせん」 「はい」 「だが何か嫌なことをされたら断るんだぞ!あいつは人を人とも思わんところがある!」 「ありがとうございます、福島殿」 変に心配される形となってしまった幸村は、苦笑している。 結局身体が入れ替わるというおかしな事態は一日で終わった。だけれども、たとえばこれが長引いた場合、その時はどうなっていただろうか。 考えるだに恐ろしいが、たとえば。
三成を見る目が変わったりしただろうか。 恋愛対象としてという意味ではなくて。もっと別の、小さな頃から反りのあわない相手だと互い同士で嫌いあっていた。 それが、なくなったりするのだろうか。 (ぞっとしないな) やはり今のままでいいか、と思うと同時に、幸村の背を押してやった。
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