S,mile

 こんなに難儀な奴も他にいないだろうなぁ…と兼続は大きなため息をついた。これみよがしのため息である。普通ならばそこで誰かが注目してくれてもいいほどの大仰で、かつ芝居がかったため息だった。
 しかしその場では、完全に無視される。

 目の前では現在、実にばかばかしい激論が繰り広げられていた。

 内容はまぁ、簡単なことだ。
 福島正則と加藤清正は、三成と立場を同じくする秀吉子飼いの将だ。
 しかし三成が武よりも頭を使うことの方が得意なことが、この三人の仲の悪さの原因である。考え方の違いというのはいっそ文化の違いに等しい。分かり合うことは大変に難しいわけだが、かといってこうやってやりあう以上、多少は努力をしようとしているのかもしれない。大目に見て。かなり寛容に見て。
 しかし言い合う内容が内容である。
 三成の良き友としては、加勢をしてやりたい心はあるのだが、その内容があまりにあまりなものだから、ついうっかり口数の多い自分が黙りこくることになっている。
 内容は。
 幸村のことなのだ。
 そもそも事の始まりはなんだったかな、と考えるにどうも自分のような気がする。正則・清正両名のいる前で幸村の話題を出したものだから、まず三成が過剰に冷たく返してきた。照れというか、弱みを握られたくなかったのだろう。
 そんなこと今更気にする必要などなく、暗黙の了解で「石田三成が真田幸村に懸想している」という噂がまことしやかに流れているのだが(それも確か自分が発端のような気がするが、置いておく)、暗黙の了解であるが為に三成はそれを隠そうとする。
 ことさら冷たい三成の態度に、まず清正がくってかかる。
 なんだその言い草は、とか、所詮戦働きの出来ん奴には真田殿のことなどわかるまい、とか。
 もちろん三成は人一倍幸村をよく見ている。清正にそう言われて黙っていられるわけもない。
 痛烈な皮肉が飛んだ。
 どういう意味だと清正が怒鳴り、三成はわざとらしいため息を漏らして切り返す。こういう時の三成の弁舌の立つことといったら、刃物よりよほど危険である。
 さらにそのあまりな反応に正則までも反応し、今や三人は真田幸村を題材に、それは見事な言い争いを繰り広げている。
 …のだが。
 実は兼続しか気づいていないことだが、先ほど幸村本人が来たのだ。
 何かあったのかとおそらく心配したのだろう。兼続がいいからあっちに行っていた方がいい、と手で制したが伝わらなかった。
 しかもちょうどその時、三成がこれみよがしに言い放った言葉の、なんとも間の悪いこと。

「そもそも真田幸村は先の戦にも負傷している。あれが戦上手と言えるのか」

 それを聞いた時の幸村の表情といったらなかった。
 兼続からしか見えない、いわば三人からは死角になる位置にいた幸村は、あからさまに意気消沈した。にも関わらず、おそらく兼続に気をつかって下手な笑みを浮かべて去っていった。
 本当は追いかけようかと思ったが、しかしこの三人に何か言ってやらねば気がすまない。
 とはいえしばらく割り込める余地はなさそうだった。
 そもそも、三成がそんなことを言うのには理由がある。幸村の安否をいつも一番に気にするのが三成だからこそだ。先の戦の傷などすでに完治してしまっている。しかし幸村は傷がもとでしばらく出仕も出来ず、三成と顔をあわせることもなかった。見舞いにいってやればいいものを、三成は酷いことを言ってしまうとヘンなところで気をつかって、一度も見舞いに行かなかった。そのわりに容態を気にして仕事がはかどらない。左近に頼まれて足しげく幸村の見舞いに向かったのは兼続である。
 友の見舞い自体は望むところであるし、行くつもりもあったからいい。
 しかしその報告をいちいち三成にいれてやらねばならなかったのがなんとも面倒くさい奴めとつい罵りたくなるのだ。
 幸村は幸村で、三成は怒っていると思い込んでいたし、実際先ほどの言葉を聞いて、「怒っていない」と思う奴もいないだろう。
 見舞いに来ない・戦下手だと話題にあげる。そこだけ切り取ってみれば、実に見事な「真田幸村を嫌う石田三成」が出来上がる。

「いい加減にしろ、おまえら」

 ようやく口を挟めば、三人は三人して兼続を睨んだ。しかしそんなもので逃げ出すような柔な精神では出来ていない。そんなものでたじろぐくらいでは越後の冬は越せないのである。
「おまえらが喧嘩をするのは構わん。しかしそれを聞いた奴のことを考えろ」
「…何を言っている、兼続」

「おまえらの口喧嘩は幸村本人に聞かれたぞ」

 途端、三人は表情をなくしてうろたえた。まったくもって馬鹿馬鹿しい以外の言葉が出ない。
「…私はもう知らん」
 すげなくそう言って、踵を返す。先ほど幸村が消えた方へ足を向けた兼続に残された三人は、しばし呆然とその背を眺めた。
 今のが戦であったなら、拮抗する合戦であっただろう。そこを不意に攻めたのが兼続の隊であったと形容するのが正しいか。まぁそんなたとえ話はどうでもよくて、もっと臓腑を抉るような言葉で三人を追い込んでやればよかったなぁ、と思うばかりである。

 さて、どうするか。





「おっと、幸村か。ちょうどいいところに」
 俯いて廊下を早歩きでいけば、曲がり角で人と衝突した。よりにもよって左近である。何も知らない左近はいつも通りの様子で幸村に話しかける。
「左近殿」
 左近が普通通りに話しかけてくる以上、幸村もそうあるべきだと考えた。
 いつものように人あたり柔らかに笑みを浮かべて左近を僅かに見上げる。
「どうかされましたか」
「ああ、実は仕事が多くてな」
 手伝ってほしい、ということらしい。左近の仕事というのは多岐にわたる。三成の仕事を補佐することもあるし、彼が自分のところで止めている仕事もある。左近がそこで止めなければ、三成に全てのしかかるのだろう。
「…私などでお役に立てますか?」
 先ほどの三成の言葉があったおかげで多少卑屈な感情があった。実際わからないわけではないが、三成は仕事においては完璧を求めるし、左近はそれを端からこなす。そこまでの完璧さは幸村には出来ないことだ。逆に足を引っ張りかねない。
「あんたは頭がいい」
「…は?」
 言われた言葉に面食らって思わず顔を上げた。左近はいつものように顎に手をあてて、ごく普通に会話を続ける。
「どうも武一辺倒って雰囲気だがな。もうちょっと自覚した方がいいんじゃないか」
「…自覚と言われましても」
「あんた、信玄公にいろいろ教わっただろ」
「え、…えぇ、お館様にはいろいろ…」
 武田時代、晩年の信玄はよくよくいろいろな人にいろいろなことを教えようとしていた。左近を快く迎え入れたのもそれが一因だった、とそう思う。
「俺もいろいろ教えていただきましたがね。あんたもその場にいたってこと、忘れるなよ」
「……は、はい」
 確かにその頃、幸村はよく信玄についてまわっていた。憧れの人だったのだ。幼かった自分はそれこそ、周りの迷惑顧みずついてまわっていた。信玄もそれを許していた。時にはごくごく小さな宴席に呼ばれたこともある。
 今にして思えば若かったこともあって、あまり思い出したくないことでもある。
 しかしそれが、信玄が彼の方法で幸村を認めていたということなのだろうか。あまり考えたこともなかった。ただもう、側にいられれば一日中楽しかったのだ。
「ま、そんなわけなんでね。自分は戦でしかなんて言わず、手伝ってくれ」
「…はい。その、左近殿」
「なんだ?」
「ありがとうございます」
「ん?別に礼を言われるようなことは言ってないが」
 よくわからん、というように首を傾げる左近に幸村は笑みを浮かべた。今度は本当に心の底から笑えたと思う。
 あの頃自分は確かによく笑っていて、いつも前を向いていた。理解できていたかどうかはともかく、あの頃の自分が今の自分の礎になっている。
 戦働きだってまだまだ未熟だと三成にそう言われたのなら、少しでも力になれるよう、努めればいいだけだ。
「左近殿、またお館様の話につきあってくださいますか?」
「…あんたの信玄公の話は長いんで嫌なんですけどね…」
 左近がやれやれといった様子で顎をかいた。

 


 左近の仕事をこなしていると兼続が勢いよく襖を開け放った。襖の開閉にこんないい音がするものか、と思うほど小気味良い音が鳴り響き、左近は思わず書き掛けの書簡に墨をこぼした。
 幸村はといえばそこまではしなかったが、ぽかんと口を開けて兼続を見つめてしまう。
「仕事中だったか」
「殿はここにはいませんよ」
「知っている」
 兼続は不機嫌な様子だ。不機嫌な兼続というのは性質が悪い。躁鬱の気が激しくてついていくのが精一杯なのである。
 この兼続をうまく操れるのは、上杉景勝ただ一人(過去には謙信もそうだったが、今は亡き人なのでどうしようもない)である。
 などという左近の内心を知ってか知らずか、兼続は部屋に入るとすぐその場に腰をおろした。
 しばらく何も言わず、俯いたきりの兼続にすっかりその場の空気を持っていかれている。こうも場の空気を席巻できる能力というのはいっそ凄いことだ。
「…兼続殿?」
 沈黙に耐えかねた幸村が兼続を覗き込む。しかし表情までは窺えなかった。
 そうしていれば、また盛大なため息がもれる。
「…幸村」
「はい」
 幸村にしてみれば先ほどの三成たちのやり取りが原因かもしれないと、思い当たることはあった。もう気にしていませんよ、あれは私が悪いのです、と言おうとしたところへ唐突に、ぼたり、と畳を打つ何かの音がした。
 ぼたぼた、と続けざまに聞こえる音。
「か、兼続殿?」
「私は自分が情けない!!」
 兼続が泣いているのを見て、思わず左近はぽかんと口をあけた。いや感情の波の激しい人だというのは知っているが、こうまでさせる、何があったのか。
 奥州の伊達政宗と口論したとてこうはならないものを。
「ど、どうされたのですか!」
「三成があんなにも不義の輩だなどと!!それを見越すことの出来なかった自分が情けない!!私の義の心など三成に如何ほども伝わっていなかったのだ!」
 そう言うと、兼続は勢いよく幸村に抱きついた。そういった突飛な行動も、兼続の涙の前にはどうでもいいことである。
 思わず左近が口を挟む。
「えー…と。殿が何か?」
「私の口からは言えん!!」
「はぁ…」
 まぁとにかく何か三成が言ったかやったか。まぁ言ったのだろう。
 それで兼続はこうまで憤っているわけだ。何もこうまでわめき散らすこともないだろうと思うがそれが兼続なのだから仕方ない。
「すまない幸村、本当にすまない!!」
「か、兼続殿が謝られることではないですよ」
「だが私は自分が情けないのだ!!」
 いまだ兼続の両目からはぼたぼたと大粒の涙がこぼれている。大の男の号泣である。それをまた、惜しげもなく晒すところが兼続らしいというか、なんというか。
「いいのです、兼続殿。先ほどのことでしょう?」
 思い返せば少しばかり胸が痛む。が、左近が言ってくれたことに自然と励まされたし、兼続がこうして自分のことのように嘆いてくれて。
「確かに怪我をしたのは不注意でしたし」
「しかし!!」
「兼続殿がこうして気にかけてくださるだけで十分です」
 だから落ち着いてください、と幸村が言えば兼続はほんの少しその勢いを緩めたようだった。
 子供のように袖口で涙を拭い、兼続は目を赤くして顔を上げる。
 それから、子供にするように幸村の頭をこれでもかと撫でた。…撫でたというよりは、かき混ぜたという方が正しいかもしれないが。
「幸村はいい奴だな」
「兼続殿もですよ」
「そうだろうか…」
「はい」
「そうか」
「はい」
 すっかり部外者な左近は二人の会話をさても面白おかしく眺めている。兼続が笑うと幸村の笑顔も豊かになっていくようだった。
 そもそもあの面倒な性質の兼続と対していて、何の気負いもないだろう幸村が凄い。
「すまない。取り乱してしまった」
「兼続殿、ありがとうございます」
「礼など言われることではないのだ!そもそもこれは…」
「ああ、まぁいいですよそれくらいで。堂々巡りになりそうなんでやめときましょう」
 思わずといった様子で左近が合いの手をいれると、そこでようやく存在を認めたような口ぶりで兼続が頷いた。
「おお左近殿。そうだな!」
「それにそこにうちの殿が大変入りずらそうにしているんですが」
 こそり、と声をひそめる左近に、幸村と兼続が振り返る。
 今まで騒いでいたから気づけなかったが、廊下に確かに人の気配があった。
「どうする、幸村?」
 兼続が問うてくるのに、幸村は苦笑した。
「ここは左近殿の部屋ですから」
「それもそうだ」
 頷いて左近をもう一度振り返る。左近はやれやれといった様子で立ち上がった。
 そうしていてふと気がついたが、兼続がずっと幸村の手を握りこんでいる。
 先ほど抱きしめられた時もそうだったが、兼続は多少感情が波を起こすとそうして誰かの手に触れていたくなるのかもしれなかった。
 本当に自分のことのように嘆いていてくれたのだ、と思うと妙に暖かい気持ちになる。
 兼続の指先は冷えていて、血が巡っていない。
 ならば触れているこの指先から、少しでも熱が伝わってくれればいいと、そう思う。

 

 左近がのっそりと腰を持ち上げて、さてと一つ息を整えた。
 それから、兼続がそうしたように左近も凄い勢いで襖を開け放つ。
 途端に、酷く驚いた様子の三成が目の前に現れた。
「どうしました、殿」
「な、な…っ左近、貴様」
 部屋には兼続と幸村がいて、兼続の目は赤く腫れている。逆に幸村はどちらかといえば元気なようだった。
 先ほど清正と正則との口論を聞かれてしまったと知って、ずっと幸村を探していたのだ。一言せめて詫びなければ、と思った三成だったが本人を前にしては言えるものも言えないような気がした。
「三成!こちらへ来い!」
 左近の部屋であることなどまったく意に介した風もなく、兼続がよく通る声で怒鳴る。言われるままに三成は兼続のもとに足を運び、兼続の指示のまま幸村の正面に座らされた。
 兼続が怒っているのは気配で伝わってくる。そちらを見ることも出来なかったが、さらに言えば正面の幸村を見ることも出来なかった。
 先ほどの口論は幸村の話から火がついて、酷いことを言ったという自覚はある。しかし、それを素直に言葉にのせるのはさらに難しかった。
「三成殿」
 呼ばれてちらりと視線を向ければ幸村の戸惑った様子。それはそうだ。何もいわないし視線もまともに合わせない。そんな風にされれば誰だって戸惑うだろう。視線のやり場に困れば自然と左近が目に入る。
 何やったんだか知りませんがさっさと謝ってくださいよ、と言わんばかりの様子に後で覚えていろ、と思ったが今はとにかく幸村だ。
「…その…」
 俯いて、視線を落とす。畳の目の数など数え出したい気分だったがそうしているうちに幸村が口を開いた。
「三成殿。先の戦ではご心配をおかけいたしました」
「………」
 何故そこで幸村から切り出すのだ、と三成は舌打ちしたい気持ちを抑える。そんなことをすれば兼続から霊験あらたかな札を貼られてしまいそうだった。
「私は、」
「もういい」
 思わずこれ以上続けようとする幸村の言葉を端から奪って、黙り込む。
 言わなければ言わなければ、と念じながら顔を上げた。
 そうすれば、目の前にある幸村の表情にまた言葉を失ってしまう。
 ほんの少し前までは兼続の方がなにやら深刻そうに見えたというのに、今の幸村の表情はすっかり不安に揺れていて、そうさせたのが自分であると思うと己の言葉の不自由さに泣けてくる。
「…すまん」
 だから小さな声でそう言えば、幸村も小さく頷いた。
「……先の戦では何故ああも突出したのだ」
「……」
「清正や正則の奴はそうしたからこそ早期の決着がついたと言うが…それでおまえが負傷していては意味がない。真田隊にさほどの損害が出ては意味がない。おまえにはやってもらうことがたくさんあるのだ。戦のたびに何かあっては…っ」
 何を言っているんだ、とは思うが止められない。
 結局言いたいことはただ一つなのだけれども。
「何かあっては…」
「三成殿」
 呼ばれてのろのろと顔を上げれば、幸村が真摯な眼差しでこちらを見つめているのがわかった。
「…っ。な、何かあっては困る。幸村」
「はい」
「だ、だからもし今後そうやって戦うのであれば一隊だけで動こうとするな。連携をとれ。俺は…本陣にいることが多いから、おまえを助けに行けん。…本陣で報告を聞く身に、おまえの負傷の報など一番心臓に悪い。だから、」
「はい」
「だから…っ」
「…はい」
「先は、すまなかった。幸村…」
 全身からどっと汗が噴出しているのではと思うほど、言った瞬間に息切れするのを感じた。
 おそるおそるもう一度顔を上げれば、幸村がはい、と頷く。
「ありがとうございます。三成殿」
「れ、礼など…っおかしいだろう!」
 幸村はその三成の言葉に、唐突に笑い出した。そうですね、と笑いながら頷く幸村に三成は思わず手を伸ばして。

「わ、わかっているのか幸村!」

「はい!」
 肩をつかめば、幸村はそれを自然に受け止めて、くすぐったそうに笑った。
 そうしていれば、兼続が割って入って三人はようやく揃って笑った。
「さて、もう仕事どころじゃないんで茶でもいれますか」
 そう言うと、幸村がすいません、と声をかける。左近はいやいや、と肩を竦めた。何があったかは知らないが、そうやって笑う三人がいればこそ左近も自然と笑みがこぼれて、何もかもよかったような気がするから不思議だ。
 じゃれあうような三人を置いて、左近は部屋を出ると大きく深呼吸をして、歩き出した。

 


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