夢を見た。
ぽつぽつと灯っていくかがり火。人の姿は見えないが、その向こうに火の灯っていく様が見える。それを綺麗と思うか恐ろしいと思うか、紙一重の光景だった。
周囲は真っ暗で、かがり火以外の光はない。辿る道筋は見えるが、さてこれは辿っていって良いものか。果たしてこの先に何があるのか。万が一にも人ではないものの仕業であるとしたら。
そう想えば自然と足は竦み、動く事は出来なかった。
ただ、あの火に惹かれる。
その光にふらふらと、まるで火中に飛び込む虫のように、飛び込んでみたい。誘惑の濃い、美しい光だった。めらめらと燃えているような、ゆらゆらと輝いているような、あの火に当たれば暖かく感じる事が出来るかもしれない。
(…俺は…)
動くべきなのか、立ち止まりその火をただ眺めるべきなのか。
三成はじっと動けずにいた。まるで金縛りにでもあっているかのような感覚に奇妙な気持ちになる。
歯軋りしてそれを追いかけたい気持ちと、動けない事に半ば安堵している自分との狭間に漂いながら、それが夢だと知れたのは、それからどれほど経ってからだったか。
気がつけば見覚えのある一室の、天井があった。ゆっくりと起き上がり周囲を見渡せば、朝のまばゆい光が障子越しに透けて室内は明るい。
今日も良い天気が続きそうだ。布団の中から出て障子を開けて、外気を吸い込めば胃が凍てつくような鋭く冷たい空気。少しむせたが、澄んだ気持ちの良い空気だ。
そして先ほどまでの真っ暗な中のかがり火が、夢だったことを強く印象付けた。
そもそも少し考えればわかったのだ。己の影すら見えない闇と、人の気配のない場所に焚かれるかがり火。
あれが本物の景色のはずがない。
動けなかった事に対する、少しばかりの後悔に、三成は爽やかな朝に渋面を作ってため息をこぼした。
そしてそういう日に限って、政務では小さな不備が目につき予定通りにいかない事ばかりで、三成の機嫌は、昼を過ぎる頃にはすっかり斜めでどうにも手のつけられない状態になっていた。

「お、幸村ァ!」
その日、城には幸村が登城してきていた。幸村の姿を見かけて臆せず声をかけたのは正則だ。横にはいつもの通りに清正もいる。
上田城での合戦の後で久しぶりに会う人に、一言礼をと訪れた幸村だったが、三成のところへ行く事を話すと、正則が露骨に嫌そうな顔をした。
「今行くと八つ当たり食らうぜ〜。やめとけよ、なぁ清正」
「そうだな。今の機嫌は正直最悪だ」
「細けぇんだよなーいちいちよぉ」
ぶつぶつと文句をたれる正則に、清正がごくごく冷静に頷く。なるほど昔からの馴染みの人間がやめろと言うほどの機嫌の悪さというわけだ。幸村は少し考えたが、せっかくここまで来たのだからと三成に会っていく事を改めて二人に告げた。いつまでも続く正則のやめとけって、という声に少し苦笑する。
わざわざ礼を言おうと思ったのは、秀吉から頼まれてやってきた三成が、実のところあの合戦を静観しろと言われていたことを知ったからだ。
頼まれてもいない戦場にやってきて、わざわざ分の悪い側で戦いを挑んでくれたとは。
秀吉が何の為にあの戦を見守れと言ってきたのかはわからない。わからないが、その為にやってきた三成が、真田の為に戦ってくれた事を感謝したかった。
先ほどまでの喧噪とはうらはらに、三成の政務で使っている部屋へは近づくごとに静寂に包まれていっている。石田三成という人の、不思議な張り詰めた糸のような緊張感。あれが空気にまで伝わっているようで不思議だった。
「…石田殿」
部屋の前で声をかければ、その中で人の気配があった。
「…誰だ」
声に載って伝わってくる感情は、不機嫌としか言いようがない。少しばかり襟を正すような気持ちで、自然と背筋が伸びた。
「真田です。覚えていらっしゃいますか」
「…真田…次男の方か。真田幸村…」
「はい」
「入れ」
短い一言で幸村はようやく障子を開けて、中へ踏み入った。
部屋の中はところ狭いと書物が転がっている。あいつは仕事の虫だと清正たちが口を揃えて言っていた事が、今まさに目の前で体現されている。それほどの量と相対しているのかと感心した。
「お久しぶりでございます」
「あぁ、あの戦以来か。今日はどうしてここへ」
「父昌幸の書状を届けに来ましたので」
「なるほど」
あの二人が言っていたほどに不機嫌ではないような気がして、幸村は少し安心した。
どちらかと言うと少し疲れが見えている気がする。確かにこの量を一人でこなそうとするならば、疲れも見えるかとも思うが。
「先だっての戦では、我が真田へのご助力、まことにありがたく」
「すまぬがそういう話ならばわざわざの礼などいらぬ」
礼を述べていた幸村の言葉を遮るようにして、三成がはっきりと言い切る。
「あの時俺は、見ていられぬと思ったから手を貸した。それだけの事だ。わざわざ礼を言われる筋合いはない。結果として、真田は秀吉様の天下に手を貸す事となった。それで十分な話だ」
「それでも」
本来ならばここまで言われて、黙っている者はいない。三成の声や言葉はいちいち刺が多い。だが幸村はそこで怯むことはなかった。
「私は嬉しく思いました。あの日、真田は存続をかけた戦をしていたのです。数は圧倒的に不利。父昌幸には秘策があり、ただでは負けぬ意気込みではありましたが、それでも勝てる見込みは多くはなかった」
「幸村」
「はい」
「俺は数の力にのみ頼るのは嫌いだ」
「……」
「あの戦、たとえ少数であっても策の力でそれを打ち破る事が出来るという証明になった」
「……石田殿」
「俺にとっても得る事の多い戦だった。だから礼はいらぬ」
「ありがとうございます」
「…だから、礼はいらぬと」
「いえ、石田殿が、そう想って下さる方で良かった」
幸村は、自然と笑みがこぼれてくるのに気がついた。本当に心の底から、嬉しいとそう思う。
この人が秀吉に命じられて来てくれてよかった。知り合うことが出来てよかった、と。
「あの戦、私はかけがえのない方々と多く知り合うことが出来ました。その事を嬉しく思います」
「…良い、笑顔だ」
三成の言葉に、幸村は一層笑みを深くした。不機嫌だと言われていた三成だったけれど、どこが不機嫌なものか。三成自身も、良い笑顔を浮かべている。それが、三成の社交辞令による笑顔だとはとても思えなかった。
「ありがとうございます」
「…そうだ。その…俺のことは、三成でいい」
「え?」
「そのように呼ばれると歯がゆい」
「…は、では…三成殿」
「あぁ」
「お忙しいかと存じますので、私はこれにて。ですがあまり根を詰めず、時には休まれて下さい」
部屋を辞そうとする幸村の背に、声がかかったのはその時だった。
「幸村」
「はい」
「…いや、…少し、休もうと思う。…が、その…」
言いたい言葉がなかなか出てこない様子の三成に、幸村はその先に続くはずの言葉を先取って、繋いだ。
「…では、おつきあいさせていただいても?」
「あ、あぁ。俺はあまりうまい店などは詳しくないが」
「はは、では良い店を一緒に探しましょう」
その後、すっかり機嫌のよくなったらしい三成が、幸村と共に城下を歩く姿を見かけて、正則がこれまた大騒ぎする事になった。
仕事の虫で、他人が手をつけた仕事に対しては文句ばかり。武辺に偏る者など嫌ってばかりいた三成だ。その日の様子はおおいに不思議な光景だったが、それはそれで良い傾向だった。


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