続く約束




 まだ幼いころの話。
 馬超は昔からわりと気性の激しい子供だった。自分の持てる力を発揮しきれずもてあましていて、いつもぎらぎらしているような。
 一族で、従兄弟で、年齢もさほど差がない以上、二人して遊ぶことが多くなるのは当たり前の展開だった。だが、だからといって小さな頃から馬超と親しくしてきたわけではない。
 なにせ喧嘩すれば勝てないし、何か勝負事をして、熱くなりすぎると力加減を忘れてこちらが怪我する事も少なくなかったし、その逆で勝ってしまうと今度は号泣するような。
 そんな子供だったわけだ、馬超は。
 子供の中で、遠慮という思考回路が育つのはもう少し先、くらいの年齢だっただけに、馬岱だってあまり負けたくなかった。だが負けないと泣かれるし、泣かれれば一族中からああだこうだと言われてしまう。
 馬超はよく泣く子供だったが、馬岱はというと、あまり泣かない子供だった。
「おまえは泣かないんだな」
「……」
 泣いたところで叱られるのだから泣かない。
 とは言わず、頷くだけに留めた。だが心の中は悔しさでいっぱいだ。その上、力加減をあまり知らない馬超との勝負は毎回、馬超が熱くなりすぎて正直身体のあちこちが痛い。
「悔しくないのか?」
 悔しいけど、とは思ったけれど馬岱は何も言わなかった。
「俺は悔しいならすぐ発散するぞ。そうしないと俺の腹の中で、なんだか嫌な気持ちで膨れてしまうのだ!」
 馬超らしい言葉に馬岱は少しだけ笑った。
 そうやって発散出来ればそれだけ気持ちも楽だろうなと思うのだが、とにかく気性が違うのだから無理な話だ。天真爛漫、そうして生きていられる方がいいのだろうが。
 だがそれまでずっと返事をしない馬岱を、馬超は不思議そうな顔で見つめる。
「どうした、馬岱」
 彼の手が伸びて、大丈夫かと問われて、はじめて。
 馬超の手を振り払った。
 ぱしん、という音がして振り払われたことに気付いた馬超が、それこそ本当に驚いたような顔をした。

「もう知らないよ!」

 それだけ叫ぶと、馬岱はわき目も振らず走りだした。行き先を考えていたわけでもなく、ただひたすら走った。馬超はおそらく振り払われたことに驚いていて、動けずにいるだろう。彼を一人にする事には多少後ろめたさはあったが、この時の馬岱はもう限界だった。
 走りに走ってどれほど来たか。あまり覚えていないくらい走った先で、岩陰に隠れて膝を寄せて座り込んだ。
「やだやだやだやだやだもうやだ!」
いつもかぶっている帽子を目深にひきずりおろして、顔を隠す。声が帽子の中でこもった。
「痛いし!こわいし!自分だけびーびー泣くし!もーやだ!一緒にいると俺だって友達出来ないのに!もうやだやだやだ!」
 馬超はこの頃からとにかく力の強い子供だった。これから先を嘱望されるほど強くて、馬岱はいつも押され気味になる。たまに勝てば向こうが悔しいと号泣するし、負ければそれこそ力任せだからあちこち痛いし、もてあまし気味なのだが大人はわかってくれない。
 自分が泣かないのは我慢しているからだし、へらへら笑っているのはその裏返しなのだけど、馬超は気づきもしないし、とにかく。
 とにかく、もういやだ。
 そう思って岩陰で帽子で顔を隠したままでどれだけいただろうか。どうも眠っていたらしい。
 ふと気づけば周囲は真っ暗だった。
「…あれぇ…」
 西涼の夜はとにかく危ない。夜行性の動物も多く、それに気候も夜はとくに冷えるのだ。
 どうしよう、と岩陰からひょっこり顔を出せば、周囲は何もなく、人の気配はおろか生き物の気配も感じられなかった。この日はたまたま満月に近い月齢で、見上げれば空には月明かりがこうこうと周囲を照らしてはいたものの、子供には夜の闇はあまり優しくないもの。
 どうしよう、と途方に暮れてもう一度しゃがみこむ。
 眠っていたせいで寒さがことさら身に染みる。かといってこの暗闇の中、元来た道へ戻るのも難しい。
 もしかして誰か探しに来てくれるかも、と寒さに震えながらじっとしていても、そんな状態ではそもそも時の経過は酷く遅くて、孤独感はさらに深くなるばかり。
「……」
 孤独に耐えかねて、やっぱり少しでも戻ろうか、と立ち上がった瞬間だった。
 ふと、どこかから声が聞こえる気がする。
「…若?」
 まさか、と岩をのぼってみれば、遠くに小さな人影がぽつりと見える。
 一人だ。
 まさか、まさか、と思いながら耳を澄ます。そうすれば、少しずつ大きくなってくる声。たしかにそれは、馬超のものだった。
「…若ぁ」
 なんで一人、と思ってはっとした。もしかしてあれ以来ずっと探していたのかもしれない。
 だけど。
「馬岱!どこだ!」
 こんな中で大きな声張り上げて、たった一人、怖くないのだろうか。火も持っていないし。
 その時にはもうすっかり、馬超に対して抱え込んでいた怒りとかそういった気持ちも消し飛んで、岩へさらに登ると、両手を振る。
「若ー!若ー!ここ!ここだよー!ここにいるよー!」
「馬岱!」
 すぐに気がついた馬超が駆けよってくる。岩へよじ登って、同じ目の高さになるとまず一撃。馬超からげんこつで叩かれた。
「いたっ」
「皆心配しているんだぞ!今まで何をしていたのだ!」
「うう…ええと…寝てたみたい」
「ここらへんは危ない!こんなところで寝ていて何かあったらどうする気なのだ!」
「…若だって一人でこんなとこまで何してんのさ!」
「俺は馬岱を探していただけだ!」
「だからって一人で危ないじゃない!」
「おまえが言うな!」
「若だって同じだし!」
 二人で声を荒げてぎゃあぎゃあと言いあって、それから馬超が馬岱の手をとった。
「かえるぞ!」
「あ、朝までここにいた方がいいんじゃない!?」
「皆心配している!」
「戻る道わかるの?」
「…そんなもの、おまえと二人なら何とかなる!」
「ならないって…」
「なる!」
「もー!どうしてそんな意固地なの!知らないよどうなっても!若のせいなんだからね!」
 呆れるほど頑固な馬超に馬岱が必死に制しながらじたばたと抵抗する。すると、振り返った馬超の表情は酷く寂しそうだった。
「……馬岱も俺などと一緒にいるのは嫌か?」
「は?」
「…いつも俺といるから、おまえも他の奴と仲良く出来んと思った」
「……そういうの、若は気にしないと思ってたなぁ」
 驚いた。
 馬超は何から何まで規格外だった。だから、馬岱の考えているような事はきっと少しも考えない、と思っていたのだけれど。人並みに寂しい、とか思うのかもしれない。途端に何だか嬉しくなった。
「…お、俺だってその…」
「そっかぁ」
「…こ、答えてないぞ馬岱」
 どもる馬超に馬岱はうふふ、と笑う。
「…俺、別に友達いないわけじゃないからね!」
「なっ!そうなのか!?」
「若みたいに不器用じゃないもんね!」
「…むぅ…」
 少し複雑そうにする馬超に、もういいか、と思った。これまでずっと馬超に抱いていた劣等感も、もう忘れていいかもしれない。人の心がわからないような相手じゃないし、本当は彼は彼なりにこちらのことも考えてくれている。それに。
「…でも、来てくれてありがと」
「…ともだちだからな!」
「うん」
「……も、もし何か出てきても俺が退治してやるぞ!」
「あはは、若なら簡単に退治しちゃいそうだよねぇ!」
「あぁ、任せろ!」
 そう言いながら、馬超の手が少しだけ震えているのも、気付いたが何も言わなかった。
「若、背中は俺が守ってあげるね」
「…う、うむ!頼んだぞ、馬岱!」
「まっかせてよー!」
 その日は月明かりの酷く眩しい夜だった。
 運良く獰猛な動物などに出会うこともなく、馬超と馬岱は集落に戻ることが出来た。無論大人たちには叱られたし、仕置きもされたが、二人揃ってだったので、物凄い苦痛、というほどでもなかった。
 懐かしい思い出だ。

「若」
 ひょいっと顔を出せば、馬超が物凄く不服そうな顔で馬岱を見上げた。
 お互いあの頃からずっと背も高くなって身体も大きくなり、戦も何度となく出撃した。そして多くのものを失って、ようやく蜀という土地で、劉備に従うことになった。
「大丈夫?」
「ああ。おまえの準備はどうなのだ」
「俺も大丈夫よ。今回も、任せて!」
 笑った馬岱に馬超はそれまで少しだけ固くなっていた表情を和らげた。
「ああ、頼む」
 小さな頃に二人で交わした約束は、あの場限りではなくて今もずっと続いている。たぶん今もこれからもずっと。
 そして今は、たとえば馬超がどこかへ行ってしまっても探しだせる自信が、馬岱にはあった。
 あの昔の月明かりよりもっと眩しく、馬超が戦場で輝くことを知っているからだ。



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ちっさい頃の世界観せまーい二人が書きたかった。