同じ背中を




 唐突に現れた世界の歪み。これでもう何回目だったろうか、なんて、最初の異変に巻き込まれた人は諦観しているが、はじめてだったり、そもそもその歪みでこちら側に来てしまった人などは、相変わらずの大騒ぎである。とはいえ、数日すればとにかくこの世界に馴染まねばならず、そして想像以上にとっくに馴染んでいる人々を前にして、違和感を覚えながら周囲の様子を、確認していくわけだけれど。
 馬岱も「今回その歪みで来た」側であり、正直まだこの世界には慣れていない。運のいい事に、馬超と合流出来たのでわりといつもと何ら変わりのない世界ではあるのだが。
 ――だが、実際は違う。
 馬岱が元いた世界では、すでに司馬懿の息子たちに魏という国の軍事力がひと束ねになりつつあるところだった。その時点で、蜀の五虎将軍は大半が死亡している。戦死、病死、それぞれ理由はあるが。
 それを隠して見知らぬ人々と共同戦線で戦をして、殿をつとめた馬岱は、戦が終わった後に大きくため息をついた。
「ちょっとあれ何なのさ?どう見たって人間じゃないよね」
 ほとんど独り言めいた馬岱の言葉は、先ほどまで一緒に戦っていた少女が掬いあげた。木の枝に器用にぶら下がって馬岱の目の前に唐突に現れた少女は、「忍び」というらしい。雰囲気が、どことなく鮑三娘に似ている。
「あれの親玉なんかもっと怖いらしいですよぅ?」
「うわっぷ!相変わらず神出鬼没だね…」
「そりゃまぁ、忍びですからねぇ」
 言うと、その少女――くのいちは、音もさせずに地面にくるりと回転して着地した。実に見事な体捌きである。
 馬岱と並ぶとずいぶん背の低い少女は、背伸びをして一つため息をついた。
「なんかぁ、目の色が左右で違うとか、しっぽがあるとか、肌の色はやっぱりあんなんだとか、あとでっかいとか…倒したのに復活してきちゃうとかー」
「何それ、不死身ってこと?やってらんないなぁ」
 やれやれ、と馬岱もため息をつく。
 これでも辛抱強い方ではあるが、勝てない勝負に挑むのは馬鹿らしい、と思う。実に。
 それにこの世界はよくわからない。死んだはずの人々は生き返っていきいきと暮らしているし、皆それを不思議にも思っていない。もしかしてここはもう死んでいる人の世界で、自分がここに来たのもそういう事なんじゃないか、と感じてしまう。出会う人間出会う人間、不安になるほどこの世界で「生きて」いる。それが、たとえば蜀という国の単位で言えば、知る限り関羽や張飛、そして――。
「わかる、わかりますぜその気持ちっ!」
「あれ、ほんと?」
「そりゃそうですよぉ。第一、幸村さまはどんな相手でも躊躇ったりしないし…」
 ぼそり、と呟いたくのいちの言葉に、思わず馬岱は、あー、と頷いた。幸村というのは、くのいちの仕える相手で、年若い武将だ。若いにも関わらず、趙雲将軍ほどに強いし、礼儀もわきまえている。にも関わらず、戦での突進ぶりはなかなか凄まじいものだった。
 先ほどはさらに、馬超の隊も共に前線で戦っていたせいで、相乗効果で勢いは確かに凄かった。この策を講じた姜維もなかなかよく見抜いているとは思う。が、しかし後ろでその様子を見てひやひやする人間もいるのである。
「そうか、そういえばキミもずいぶん頑張ってたねぇ」
「え?あ、あははー。まぁ、なんていうか、お仕事ですし」
 馬岱の言葉にくのいちが動揺して、思わずどもる。それを聞かなかったふりをして、馬岱は内心小さく笑った。この少女と自分の境遇が良く似ている気がして。
「そ、そちらさんだって、凄かったですよねぇ!さすが錦馬超でしたっけー」
「あ、そうそう。かっこいいでしょ?」
「んー?ううーん?アタシはああいうのはおなかいっぱいかなぁ…」
 馬岱の言葉にくのいちが難しい顔をする。苦いというか、なんというか。そういう顔だった。とりあえず、それで十分馬超が彼女の中で苦手な部類なのは理解する。
「ええ?若見てそんなこと言う娘、はじめてだよー!」
「マジっすか。すっごいんスね、若」
「そうだよーすごいんだよー?」
「でもそれだったら幸村さまだって負けてないにゃあー」
 幸村、の名が出たことで馬岱は、一つぽんと手を打った。
「うーんそうか、キミはああいうひとが好みかぁ…」
「なっ!何、ななななな、何言って!」
「あれ、違った?」
「ち、ちちちち、ちがっ…」
 違うとは言いつつも、彼女の表情は明らかに恋する女の子そのものだ。月英や鮑三娘、あるいは星彩といった女性陣は皆それぞれ誰かに恋していたり愛していたり、とにかくその時の様子に、似ている。本人たちの前では言えないが。
「違わないよねぇ?」
「もー…な、なんなんスかぁ…そんなばればれかなぁ…」
「そんな恥ずかしがらなくってもさ」
「ち、違いますよぅ。そうじゃなくて…アタシは、幸村さまの忍びだから」
「………」
 ふとくのいちが真面目に呟いた。照れていた表情も少し固くなる。強い意志が宿った双眸だった。
「アタシはあの人の背中を守って、戦場に立てればそれでいいんです」
 はっきりそう言い放つ彼女に、馬岱は心から呟いた。
「…格好いいなぁ、キミって」
「うにゃっ!そ、そうですかっ!?」
「うん、格好いいよぉ。優しいんだね」
「……そうじゃなくて。アタシは…アタシが、幸村さまの足手まといになりたくないだけです」
「うん」
「だから、アタシの気持ちなんて幸村さまは知らなくていいし…幸村さまの、志は、遂げさせてあげたいだけ」
「うん」
「それだけですよ。うん」
「そっか」
 わかるなぁ、とは思ったが馬岱は何も言わなかった。輝かしく戦う人間の前で、その影になりたいという考え方をする人間は少なからずいる。くのいちもそういう生き方だ。もしかしたら、忍びというものが全てそういう考え方なのかもしれないが、彼女以外の忍びをまだ知らない馬岱は、彼女を酷く気にいっていた。
「……なん…だかなぁー!」
 唐突にくのいちが頭を抱えて叫んだ。
「わっ、何、どうしたの?」
「なんでこんな真面目に語っちゃったのかなぁって思いまして!ちょっと馬岱サンもいかがですか!」
「俺ぇ?俺はいいよー!」
「なっちょっとずるくないっすか!アタシだけ真面目語りとか!」
「ずるくないよお、いいじゃない、俺はキミが大好きになったけどなー!」
「…っ、……そ、そそ、その手にはのりませんぜ!」
「あれ、駄目?」
「ダメ!」
 そう言ってわきあいあいと話している時だった。

「馬岱!」

 馬超から声がかかる。振り返れば隣には幸村もいた。二人ともすでにすっかり打ち解けた様子でもある。
「何をしている。遊んでいる場合ではないぞ」
「ごめんごめん!」
 おもむろに立ち上がった馬岱が、ちらりと振り返って笑った。
「語る必要ないって言ったのはね」
「はい?」

「俺もキミと一緒だからだよ」

 ふっと真面目な声。
 驚いたくのいちが一瞬固まった隙に、馬岱はさらりとその横を通り過ぎて、馬超と幸村の方へ何事もなかったように歩み寄る。いつもの通り、陽気に声をかけて近寄れば幸村が頭を下げた。
「馬岱殿、ありがとうございました」
「え?」
「細やかにお気づかい頂きまして、助かりました。今、馬超殿ともそう話していまして」
「ああ…え、若が無理やり言わせたんじゃないですか?」
「そのような事するわけがない!馬岱、おまえは俺を何だと思っている!」
「あ、ごめんごめん。そうじゃないんだよぉ」
 唐突な話にさっぱりついていけず、馬岱が首を傾げていれば、幸村が苦笑しながら続けた。
「私もよく友人に指摘されるのですが、どうも戦となると視野が狭くなりがちですので。あなたのような方がいると、助かります」
「…いやぁ、俺より、あの娘褒めてあげません?」
 そう言って、ちらりとくのいちの方へ視線をやれば、幸村もすぐに気付いたようだ。くのいちは相変わらず少し離れたところでやや固まっている。
「くのいちですか。もとより、感謝しております」
「………」
「くのいちがいればこそ、無理が出来るというもの。私の背は、くのいちがいなければとっくに」
「…そっか。うん、…まぁでも、たまには伝えてあげてよ」
「……馬岱殿は優しいですね」
「うーわー!ち、違うよね!その感想は!」
「違いませんよ。…やはり、劉備殿のような仁を掲げる方のそばにいると皆優しい方が揃うのでしょうか」
「…どうだろうね」
 今回の戦、姜維が策を練り、実行については幸村と馬超に任された。趙雲、それと兼続の隊は別方向から包囲を仕掛ける。馬岱はさっぱりよくわからなかったが、軍議中、幸村への他の将たちの信頼はずいぶんあつくて、とりあえずその人柄も知らないながら馬超に従った。
 見ている限り、とにかく趙雲から信頼されていて、あの二人が似ている、なんて話が出て、そうなのか、と興味はあった。
 確かにちょっと似ているのかもしれない。こういう、真摯なところとか。
「ありがとうございます。いつか、必ず」
「うん」
「…よし、行くぞ馬岱。趙雲殿と合流する。幸村殿も!」
「そうですね、兼続殿が上杉の兵を連れて西から合流予定です。そちらへまいります。くのいち!」
「は、はいっ!」
「行こう、兼続殿と合流する」
「はい!」
「幸村殿、兼続殿によろしく伝えてほしい」
「では、趙雲殿に私からも」
「無論だ。必ずお伝えしよう!」
「ええ、私も必ず。兼続殿も喜びますよ」
 幸村と馬超が実にさわやかに別れを告げる。そして行くぞ、と互いの連れへ振り返り。

「はい、幸村さま!」
「りょうかーい、若」

 それに従う二人もちらりと互いを見て、意味深に笑った。




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くのいちと馬岱が立場が近いところからスタート。そんでどっちも後ろ振り返ってくれなそうな人たちについていくんだよなぁと思ったらいろいろと誰得…みたいな話になったという…。
恐惶謹言十哲でペーパー小話としてアップしたものでした。