額の上なら友情の





 最近、馬岱は一人でよく姿をくらます。
 いつもなら人のいるところでよく笑っているのだが、最近は本当に、ふと気がつくと視界からその姿が消えていて、馬超はいつも彼を探し歩いていた。話していても、どこか心ここにあらずといった感じがして、その違和感たるや相当なものだ。いつも飄々として、何にもこだわっていないように見える彼のこと、そんなに心を占めるものとは一体何なのか。そしてこうして姿をくらますのは一体何なのか。
「失礼ながら、馬岱殿にはどなたか好いた方がいらっしゃるのでは」
 相談したのが張飛と趙雲で、二人は互いの顔を見合わせ、さてどうするどうする、と互いの視線で会話を交わすことしばらく。馬超はただただその沈黙を、そして二人の意味深な視線を緊張の面持ちで見つめていた。
 そしてついに、趙雲が折れて口を開いたのである。
「…好いた?」
「はい。なんというか…聞いていると、そのような」
「だとしたら何故俺に相談しないのだ!?」
「そりゃあおめぇ、報告出来る段階にいってねぇんじゃねぇか?」
「そうですね…」
 馬超は、二人の言葉に目を白黒させて、ただひたすらに唸った。
 馬超と馬岱。二人はとても仲がいい。馬超がいるところには大抵馬岱もいるし、馬岱に聞けば馬超の居場所も大概あててくれる。四六時中一緒にいて何ら不都合がなかった今までから考えれば、今の馬岱のいない状況というのは、馬超にとっては新鮮で、かつなんとも言えない気分になるのかもしれない。
「…馬岱が…」
 そんな驚いたような顔で、馬超はしみじみと首を傾げている。
 実際本当に誰か好きな人がいて、その人を追いかけていたりするかどうかは正直、趙雲にも張飛にもわからない。張飛はどちらかといえば馬超と親しかったし、趙雲はどちらとも親しくしているが、馬岱からそういった話を聞いたことは一度もない。
 その上で馬超も聞いていないとなれば、そもそもこの予想が全く外れているか、それとも徹底的に隠したいものなのか。そういうことではないだろうか。とはいえ、その事を察するどころかただただ納得いかない様子の馬超に、そこまで言って聞かせるのは、さすがに逆鱗に触れそうで恐ろしい。
「………」
 趙雲と張飛が馬超の様子を窺っていれば、次第に彼の身体が縮んでいくような錯覚を受けた。自分たちの目の前で、今まさに馬超が、しかも錦と謳われたその人がしょんぼりしているわけだが――。
 原因は、はっきりしている。馬岱に誰か好いた人がいるとして、そのことを全く知らない自分、というものにひとまず驚いて、その衝撃に耐えたら寂しさに襲われている。
 趙雲も張飛も、馬超の様子からそこまではっきりと感じることが出来て、こういう時に彼を元気づけるはずの馬岱がいない事をとても恨めしく思った。そもそも、恨めしく思う以前に彼のことでこうなっているのだけれど。
「…すまん。少し風に当たってくる」
 馬超はそう言うと、よろよろと部屋を出ていった。残された二人は、大きなため息をついた。

 馬岱に誰か好きな女がいるかもしれない、と聞いて、最初に思ったことはそんな馬鹿な!だった。
 何がどう、「そんな馬鹿な!」なのかはわからない。わからないというか、そもそも「知りたくない」だったのかもしれない。
 そういう相手がいたとしてもおかしな話ではないのだから、こんな反応をするのはおかしいと思う。思うのだが。
 いつも隣にいるのが当たり前すぎて、それまでそういうことを考えてこなかったのだ。
 今まで、一族を殺されてからずっとそれどころではなかったし、そう考えれば、心に余裕が出来たということだ。それは喜ばしいことだ。
 だが。
 じゃあ一体どんな相手が馬岱の心を射止めたというのか。そう考えて、今度は全く相手が思いつかない。どんな相手が馬岱の好みかも思いつかない体たらくだ。そのことに気がついて、馬超はさらに打ちひしがれたような気分であてもなくふらふらと歩きまわる。何をしているのかといえば、風に当たるとは表向きの言葉で、ただただ馬岱の姿を探しているだけなのだが。
 と、そんなふらふらした馬超の前を、慌てた様子の子供の一団が駆けていった。
 急いで急いで!なんて騒ぐ彼らの口から、ふと聞きなれた名前を聞く。
「岱兄ちゃんがいるうちになんとかしないと!」
「……岱?」
 子供たちは馬超の様子など目もくれず、一目散に駆けていく。何か目的がある足取りだ。そして、その子供の口から出た馬岱の名。聞き間違えや、別の誰かという可能性だってあるのだが。
 何とはなしに彼らの向かった先へ、馬超も足を運んだ。しばらく行くと、よく子供たちが遊んでいる開けた場所に出る。
「………」
 子供たちの声。
「ねぇ大丈夫かなぁ?」
「大丈夫、だいぶ良くなってるからね」
「本当?」
「ごはんも食べたでしょ。大丈夫だよ!」
 心配そうな子供たちの声。それにまざって聞こえる、子供たちを励ますような馬岱の声。
 彼は子供たちの中心にいて、階段に座っていた。その膝に何か乗っている。
「なんとかなる?」
「俺のいない間にみんなみててくれたんでしょ?ちゃんと伝わってるよ」
 その声に紛れて。
 か細い、にゃあ、という鳴き声。
 馬岱の膝の上には、猫がいた。
「まだみんなで様子はみててあげないといけないけどね。もうちょっとしたらぴんぴんして走り回るよ。だからほら、元気出して!」
「うん…」
 子供たちを励ます馬岱の声。それに呼応するような猫の声。
 どうも何かあって、あの猫の看病をする必要があったのだろうか。
 馬岱は子供たちに囲まれて笑っている。子供たちを励ますための笑顔だろうが、なんだか妙に優しく見えて、馬超はいたたまれずにその場を離れた。
 ここ最近、馬岱が妙にそわそわしていたのはあの猫と子供たちのためだったのだろう。
 ただ、だからこそ余計に不満が募る。もしそうならば、なぜ自分にこそ教えてくれなかったのか。子供たちの為かもしれないが、かといって何も相談されなかったことが悔しい。
 子供たちは正直だから、馬岱なら任せられると思ったのかもしれない。だからこそあんな風に、頼っているのだろう。
 わかっているのだ。馬岱はいつも笑っているし、いろいろなことを知っていていつもここぞという時に頼られる。
 いつもならそれを誇りに思える。だが今は、そんな風には思えなかった。
 ただひたすらに、「何の相談もなかった」というその事実が、馬超の感情を縛っている。
「…どうかしている」
 声に出して呟いて、だがすっきりしないまま、ぐっと眉間に皺を寄せる。馬岱はどうして自分に何も言わなかったのだろう?そしてそのことに、どうしてこんなにこだわって、妙に苦しく思うのか。
 何でも話してくれている、と思っていたのか。
「馬岱…」
「何?」
「っ!?」
 せつない気持ちで名を呼べば、唐突に返る声があって、馬超はそれこそ飛び上がるように驚いた。振り返れば馬岱が、例の猫を抱いたままでそこにいた。
 白い猫は、馬岱の腕の中で静かにしている。
「あれ、なんだ。俺がここにいるの知ってて呼んだんだと思ってたよ!」
「……っ、な、なぜここにいる!」
「え、ずっといるよ?」
「ぐ…っ」
「何か用事があったんじゃないの?」
「……、用事、というか…」
「うん?」
「…お、おまえが」
「うん」
「いないから、その」
「あ、探してくれたの?」
「…そ、そうだ!」
「そっかぁ、ごめんねぇ。ちょっとこの猫がさ」
「………」
 何でもない事のように語る馬岱に、馬超はどういう態度をとればいいかわからずにいた。馬岱の様子は何の不自然さもない。だが、馬超にとってはどうしても、納得がいかないままで。
 この猫は、子供たちが遊んでいた時に羽目を外した時に巻き添えをくって怪我をしていたのだという。大人に話すことも出来ずおろおろと泣いていた子供たちを見つけて馬岱がそれ以降何かと時間を見つけては様子を見てやっていたらしい。
 おかげでだいぶ怪我の治りも順調だという事で、ようやく子供たちにも少しずつ笑顔が戻ってきている、という。
「…そうか」
「うん。…若?」
「あ、あぁ!」
「元気ないね、大丈夫?」
「だ…っ、大丈夫だ!俺は…別に」
「…眉間に皺寄ってるけど?」
「…ぐ」
「若ってほんっとに嘘が下手だよねぇ!」
 やれやれ、といった様子で笑う馬岱に、馬超は拳を握りしめて視線を逸らした。誰のせいだ、なんて叫びそうになってなんとかかんとか口を閉ざす。
 そんな小さなことにこだわっていてもしょうがない。わかっているのだけれど、どうしても。
「…どうして黙っていた」
「…あぁ、うーん、そうだなー…。あんまりいい話じゃないからかな」
「……」
「あの子たちにさぁ、言わないでって泣かれちゃってさ」
 それはおそらく子供たちのいじましいまでの保身だったのだろう。やってしまった事の罪悪感と、それと同時に湧きあがった保身での言葉だ。そして馬岱はその気持ちを汲んで、今の今まで黙っていたのだろう。
 だが。
「…おまえは」
「うん?」
「…自分は、何でも言えと言う癖に、自分は話さないのだな」
「……ごめんね」
「…いや、すまん。こんなのは…」
 こんなのは。
 つまらない嫉妬だ。そのくせ、馬岱がこそこそしていたのがこの猫と、子供たちの事だったと知って安心している自分がいる。一体何に安堵して、何に苛立っているのか。
「若?」
「………」
「きちんと話さなくてごめんね」
「………」
「眉間の皺、とれないねぇ。困ったなぁ」
 言うと、馬岱は馬超の眉間を指先で小突いた。唐突なことにやられっぱなしだった馬超は、とっさにその手をとる。
「おっ?」
 真意がわからずにいる馬岱に、馬超はそのまま一歩、歩み寄った。
 ほんのわずかに自分より背の低い相手に、馬超は接近すると、ごく近い位置で囁きかけて、やめた。
 何を言いたいのかわからなかったというのもある。今このまま口に出して言えば、さっきよりももっとわかりやすく嫉妬丸出しの言葉になる気がして、躊躇った。
 だが、本当に近い位置にあって、なんら驚きもしない馬岱に、馬超は意趣返し、とばかりにその額に軽く口付けた。
「…えーっと?」
「おまえの眉間の皺が気になっただけだ」
 それだけ言うと、馬超はごく自然な素振りで場対から離れた。馬岱は、口付けされた額をあいた手で触れて、小さく呟いた。
「眉間…?」
 疑問たっぷりな声を無視して、馬超は踵を返した。
「次からは呼んだら来い」
「今も来たつもりだったんだけどなー…。あー、はいはい。りょうかーい」
 馬岱の声に、猫が小さく反応した。その鳴き声に、馬超は少しだけ振り返る。動物特有の勘なのか。まるで自分の後ろ暗いところを知っているぞといわれたような気がして、馬超は舌打ちしてその場を足早に後にした。



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なんか自分の感情がよくわかってないばちょさん。