words of...




 手伝ってくれませんか、と控えめに言われて、その面子が諸葛亮と趙雲だったのもあり、馬岱は断る理由もないまま、特に「何をするのか」の確認もせずに二つ返事で了承した。蓋をあけてみれば、劉備が奥方に贈るものに絵を、という事で馬岱が選ばれたのだった。
「すまんな」
 劉備に言われて、いいですよ、と軽く請け負って、さてどんな絵を描きましょうか、と話し合う。
 結局は、自分についてきてくれる同志、あるいは仲間たち。彼らを、と言われて馬岱は頷いた。実に劉備らしい選択だとも思うし、その絵を奥方に贈る、と考えるのも、劉備という人間が仁の人だと言われている事。この成都の地を実質奪ったも同然だというのに、少しの問題視する声が聞かれない。そういう現実を体現するような話だと思ったのだった。
 その人の元に、こうして身を寄せることが出来てよかったな、と馬岱はつくづく思う。
 荒れに荒れた馬超の武は、たぶん放置しておいたらどう歪んでいったか想像もつかない。だからこそ劉備直々に絵を頼まれたことは嬉しかった。
「ありがとうございます」
 諸葛亮が穏やかな声で礼を述べる。
「こういうお願いなら、喜んで!」
 陽気にこたえれば、諸葛亮は頷いた。趙雲も隣で微笑んでいる。
「殿も、奥方様に贈られる絵で関羽殿の姿を見られるようになれば、きっと喜ばれます」
「ああ、そうだねぇ。こりゃあ頑張らないとなぁ!」
 構図はもう馬岱の頭の中では出来あがっている。つらつらと悩みながら、自分についてきてくれる者たちの姿を、と言われた時にすっと脳裏に浮かんだ構図があった。
 今からでもその絵を描くのは楽しみなのだが、趙雲たちは絵師ではない人物にそれを頼んだことを申し訳なく思っているようだった。
 趙雲も諸葛亮も、優しい人だ。こんなこと気にしなくていいのにな、と思うのだが、口でそのまま伝えてもうまくいかない気がして、馬岱はいつも以上ににっこり笑って口を開いた。
「俺もね、ここの人たちだーいすきだから、頑張っちゃうよ!」
 さて、その日から馬岱は一日のうち何刻かを絵にあてるようになった。まだ陽の高い頃だと練兵だなんだと忙しい。まだ国として若い蜀は、成都とその周辺の土地を手中にする事は出来たがまだまだ、従わぬ者たちも多い。
 それに、いつ魏が攻めてくるかといった問題もあった。練兵に手を抜くことは出来ない。そうして忙しく過ごしていれば、当然絵にかける時間はどちらかといえば夜も更けた頃になるのだった。
 その日も筆を走らせていれば、何の遠慮もない様子で馬超がやってきた。
「まだ寝ていなかったか」
「若、どうしたの?」
「…絵か」
 馬岱が向き合っている紙を見つめて馬超が確認するように問う。恐らく誰かに聞いてやってきたのだろう。
 どこか不機嫌そうな風に見えるのだが、そんなところも慣れたものだ。
「うん、頼まれちゃってねぇ」
「…昼も忙しくしているというのに」
「ま、こういうの好きだからね。大丈夫だよ?」
 馬超は馬岱の言葉に、そうか、とだけ頷いた。腕組みしたまま、馬岱の作業の様子をじっと見つめる。矢のように刺さる視線で、さすがに笑ってしまいそうだ。何か言いたいことがあるのだろうが、どう伝えるべきか悩んでいるのか。
「…馬岱は」
「ん?」
「ここにきて、よかったと思っているか?」
 馬岱はきょとんとしたまま顔をあげた。振り返って馬超をじっと見つめる。勿論馬超もその視線を真っ向から受け止めた。こういう時、視線を逸らさないのは馬超の癖だ。そうして真正面から見つめた双眸が、迷った末での問いでない事はわかった。
「うん」
「…無理はしていないのだな?」
「してないよぉ?無理してそうだった?」
「…いや。ここにきてよかったと思ってくれるなら、それでいい…」
 いい、と言いながら多少濁した言葉尻に馬岱は首を傾げる。何かを薄暗く迷っている様子ではないのだけれど、そんな問いを口にのぼらせるのは一体どういうわけだろうか。
 馬岱は筆をおくと、身体ごと向きをかえて、馬超をじっと見つめた。以前、張魯のところにいた時は聞いてくる事もなかった問いだ。自分自身が納得出来ていなかったのだろうから、その問いを他人に向けなかった。
「若?」
「…不思議なだけだ」
「え?」
「馬岱が有能なのは俺が一番に認めるところだ。俺の至らぬところを補ってくれている。今もそうだろうが…他の誰かの望みにこたえている馬岱を見ているとなんというか…むずむずする」
「ええ?むずむずするの?」
「よく、よくわからんのだが!叫びたくなる!」
「え、ええ?どういうことー?」
「わからん!だが、何かを叫びたくなるのだ!」
「なんて叫びたくなるのか、わからないの?うーん、雄叫びみたいなものかなぁ?」
「…むう……」
 馬超は腕組みして仏頂面。じっと馬岱を見つめてくる。相変わらず真っ直ぐな視線だ。昔からこの視線を受け止め続けた馬岱だから、今更それにたじろいだりはしないのだけれど。
「………」
 馬岱はどうしようかな、と考える。とにかくよくわからないが、馬超は今こうして馬岱が劉備の為に絵を描くことに、あまり好意的な感情を持っていないのだろう。それはなんとはなしに伝わってくる。かといって描くのをやめる、というのは難しいし、馬岱としても理由くらいは何とか馬超の口から聞き出したい気分だった。
「…俺はさ、若。ここの人たちって、若とか俺たちを受け入れてくれて、良くしてくれてて、いい人たちだなーって思うんだけど」
「そうだな」
「うん。だからさ、そういう人たちに頼まれたら聞いてあげたいなぁって思うんだけど、若は?」
「俺だとて勿論、俺の力になれる事ならば喜んで力を貸すつもりだ!」
「うん、よかった。俺も若と一緒だよ。俺はさ、若みたいに強くないからさ、こういう方面でお願いされるのも嬉しいんだけど」
「…馬岱は十分強いぞ」
「うん、ありがとう。若にいろいろ教えてもらったもんね」
「あ、ああ!」
 馬岱の言葉に馬超は少し照れくさそうに頷く。実際本当に、馬超はめきめきと槍やその他、武器の扱いを覚えていった。その上達ぶりは大人が舌をまくほどで、馬岱はよく馬超から武器の扱いについて教えられたものだった。結局のところ、馬超が使わない武器を選んだのは、まぁ自分の向き不向きも考えた上での事だったけれど、若かりし頃独特の反抗心もあった。馬超はそれについて口に出したりはしないが、ある程度察しているとは思う。だからこうしてその事をこちらから口に出すとほんの一瞬うろたえる。
「俺は俺に出来ることなら、なんでもしようって思うんだ。だからさ」
「…違う、違うぞ馬岱。別に、おまえがこの絵を描くことに反対しているわけではないのだ。そもそも俺に承諾を得る話でもないだろう」
「…そうだけど」
「…俺は…その…。…この話、趙雲殿から聞いたのだが」
「ああ、そうなんだ」
「馬岱の絵はうまい、と言ったのは俺だ。その話を趙雲殿が覚えていて、軍師殿や殿の耳に入ったのだと思うが」
 その話に、馬岱は内心酷く驚いた。馬超の頬が少し赤らんでいる。――照れている。
 馬超が自分のいないところでそんな風に自分の話をしてくれているとは思わなかったのだ。戦場で戦っている姿を見て絵心があると思われたんだろうと適当に考えていたのだが。
「その…」
「うん」
「…俺の言葉がこうして別の人間を動かすのだな、と思ってな…」
 馬超のそんな様子に、馬岱の方こそうろたえた。
 一体どんな風に趙雲たちに馬岱の絵のことを話したというのか。考えると怖いような、それでも聞きたいような、不思議な気持ちになる。
 馬超はたたでさえ、感情が表に出やすい。激すれば言葉も表情もはっきりとその感情を帯びて、敵に恐れられる錦馬超の名を思い出させるに十分な気迫を感じる。そして逆に、自分が好きだと思うものに対しても、基本的にははっきりしている。馬岱ほど言葉には出さないのだが、やはり顔色や声が、興奮しているとわかるのだ。
「若」
「ん?」
「ここに来れて、よかったねぇ」
 馬超とはこれまでずっと共に歩んできた。その中で、幼少の頃以外に馬超が単純に楽しそうに会話をする事があっただろうか。趙雲との会話がどんなものだったかはわからないけれど、趙雲や諸葛亮の態度を考えれば予想は出来る。たぶん、馬超は二人の印象に残るくらい、語ってくれたのに違いない。それこそ、恥ずかしくなるほど。
「…そうだな」
 頷いた馬超は、ようやく少し口許をほころばせた。
「おまえの絵、きっと殿の奥方も喜ばれる」
「…よし、頑張るよ!若の期待にも、こたえてみせちゃうからね!」
「…なら、その絵は俺に一番に見せてくれるか」
「ん?うん、いいよ。でも内緒だからね?」
 そう言うと、馬岱も馬超も笑った。それから、馬岱は筆を走らせながらずっと、馬超がどんな風に趙雲たちに馬岱の絵について語ったのかを聞かせてくれた。それは恥ずかしくなるくらいに真っ直ぐな賛美の言葉ばかりで、気恥ずかしくなりながら、それでも。
 馬岱は嬉しくなりながら、劉備の周囲に輝かしく佇む将軍たちの姿を描いた。
(ばれちゃうかなぁ…)
 その将軍たちの中、一番に輝いて見えるのはやはりどうやっても、馬超その人だった。



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好きなもの語ってる時ってなんかいきいきしますよね、という話(笑)