あなたの夢を聞かせてもらえないだろうか、と。
問われて、馬超は何の澱みなくはっきりと言い放った。
「この力を、ただ正義の為に行使することだ」
聞いた相手――劉備は、その言葉に満足げに頷いた。蜀に、劉備のもとに涼州の錦馬超が降ったという話は実に衝撃的で、劉備自身も彼本人の姿を見た時、内心打ち震えたものだった。相手はあの曹操相手にあと一歩というところまで迫ったことのある人物だ。錦などと呼ばれるほど威風堂々とした姿、と言われているその人。確かに噂の通りの人だった。
そして降った当初は、どことなくその視線に不安も覚えたものだった。力の使いどころがわからなくなっているような目に見えたのだ。だから注意して見守っていたのだが、ここのところその眼差しが柔らかくなってきた気がする。
「唐突に、どうされた」
「何、夢を聞くのは私の趣味なのだ。それが実現するまでの道のりを共に考えるのが好きなのだな」
劉備の言葉に、馬超は納得したようだった。
「実現するまでの道のり…」
「そうだ。どんなに夢物語だとしても、そうして一緒に考えるのは楽しいものだよ」
馬超は何かを考えているようだった。その少しそわそわした様子に、劉備の好奇心がうずく。馬超がそんな風にするのが少し珍しく感じたのもある。話の流れ、きっと聞いてみたい相手がいるのだろうからこそ。
「誰に問うつもりか、聞いてもいいだろうか?」
「……馬岱に」
「おお!それはいい!私も是非聞いてみたい!」
出てきた名前は、彼と共に蜀に降った彼の一族の者だった。普段から親しくしているのもよく見ている。
「…実は今まで、聞いたことがなかったのです」
馬超の言葉に、劉備は笑顔を隠した。どことなく照れている様子の馬超に対して、劉備はじっと彼を見つめる。長いこと二人きりだったのだ、と酒の席で語っていたのを、覚えている。
曹操に一族を滅ぼされて、馬岱と馬超は二人だけになってしまった。それからこっち、ずっと二人だった、とも。その間どんな生活だったのか、などと考えれば身につまされて悲しくなるが、だが、だからこそ夢の話をしたりしないものだろうか。少なくとも、劉備たち義兄弟はそうしていた。何かと言えば夢の話を語ったし、それが現実にならない事を叱咤されて喧嘩した事だってある。
「…聞き出すことが出来たら、是非私にも話して聞かせてくれないか?」
どことない不安のまま、劉備がそう問いかける。
馬超は素直に頷いた。
馬岱のところに馬超が姿を現したのはそれからすぐの事だった。いてもたってもいられずにすぐに馬岱を探して歩いたのだ。彼はわりとひとところに留まらない。少し前までそこにいたと思っても、ふと気がつけば全然別のところにいたりして、案外探すのに手間取った。
そしてのほほんと小さな子たちとまぎれて遊んでいるというわけだ。
「あっれ、若。どしたの」
なかなか見つからなかったのが少しばかり苛立ちになって、表情に出ていたようで、馬岱が「機嫌悪いの?」などと聞いてくる。馬岱は他人の感情に敏い奴だ。これはいけない、と取り繕って、いざ。
「馬岱、聞かせてくれ!」
ちなみにその時の彼は、小さな子供たちと一緒になって花冠を作っていた。周囲にいるのは女の子ばかりで、馬超を見てからずっと委縮してしまっている。どうも馬超は老若男女問わず、相手に緊張感を与えるようだ。
馬岱は女の子たちの頭を軽く撫でてやりながら、首を傾げる。
「んー?」
「おまえの夢とは、なんだ!?」
前置きなど一切なく、ほとんど叫ぶように問えば、馬岱は何故だかぽかんとして、期待していた即答はなく。
「俺の夢?いきなりじゃない、どうしたの?」
「聞いてみたくなったのだ!」
勢い込んでいる馬超をよそに、馬岱は苦笑して首を傾げる。その笑顔がどことなく困ったように見えたのは気のせいだろうか。ほんの一瞬不安を覚えた。思わず拳を握る。たとえどんな話が飛び出してこようと、耐える覚悟だ。
だが、その意気込んだ様子に馬岱の周りにいた少女たちのうちの一人が泣きだした。
「わっ、ど、どうしたのどうしたの?あっ、若怖いかな?」
言いながら、馬岱が女の子を抱き寄せる。よしよし、と頭を撫でてやりながら、馬岱は困ったように馬超を仰ぎ見た。
「ごめん若、その回答、今度答えるよー」
言うが早いか、泣きだした女の子を抱いたまま立ち上がり、もう一人の子の手をとって歩き出す。待て、と声をかけようとして、その声はうまくひねり出せずに口をぱくぱくさせるだけに終わってしまった。馬超の、勢いだけが虚しく。
「………」
もやもやした感情に、馬超は舌打ちして来た道を戻っていった。誰もが声をかけるのをためらうような形相と雰囲気だ。酒をよく酌み交わす張飛ですらその姿を遠巻きに見て「怖ぇ」と呟いたのだが。
その後、怒りに任せて馬超は何故だか馬岱の部屋へやってくると、そのまま腕組みしたまま寝台へ腰をおろした。夢の話を聞かれた時、そして夢の話をするのは楽しいぞ、と劉備に言われて、実践した結果がこのざまだ。一体何が悪かったというのか。
怒りに任せてそこらへんのものに拳を打ち付けたりしていた馬超だったが、そそのうちついに虚しくなって、寝台に腕組みしたまま転がった。拳が少し痛むがそんなものどうだっていい話だ。横になった途端、大きなため息がこぼれる。
「…馬岱め」
呟いた声が予想していたより重くて自分で驚く。少し身体を持ちあげて、周囲を確認し、そしてもう一度転がった。
「…おまえの夢の話の一つや二つ、出し惜しむことなどないだろう…」
よく考えてみたら、今の今まで馬岱におまえの夢はなんだ、なんて聞いたことがなかった気がする。馬岱はいつもどちらかといえば聞き役だったし、もちろん馬岱がよく喋ることはあっても、自身の話よりは周囲の話の方が多かった。
――それが実現するまでの道のりを共に考えるのが好きなのだな。
そう言った、劉備の言葉に酷く感銘を受けた。
馬岱の夢が実現するまでの道のり。確かにそれを考えるのは楽しそうだ。楽しそうで、そして、自分が今までそれを知らなかったことが少しばかり衝撃的で。
「俺は…」
今までで一番長く共にいたのは馬岱だ。だというのにそういう話をしたことがない。小さな頃からそうなのだ。何かよっぽど言えないような思いでもあるのか。そういう夢を抱えているのか。そこまで考えて、もし自分の手に負えなかったらどうしようか、なんて考えて。
気がつけば周囲はとっぷりと暗くなり、馬超も眠ってしまっていた。
「…か」
ゆさゆさと身体を揺らされている感覚。肩のあたりを掴まれている気がする。が、何とはなしに起きることが出来ずにいれば、もう一度声が聞こえた。
「わーか、そこ俺の寝台だってば…」
起きてよ、という声に、馬超はゆるゆると瞼をあけた。横になったまま、口を開く。
「…馬岱」
「おはよ?」
「…眠ってしまった」
「そうだよ。全く若ってば暴れたでしょ?」
言われて、馬超は眠りにつく前のことを思い出す。ああそうだ。確かに暴れた。寝ぼけたままに頷けば、馬岱がこれみよがしのため息をつく。
「若、一緒に片づけてもらうからね?」
「…む、うむ…」
馬岱はいつもと少しも変わらぬ様子だ。なんだかそれが、馬超を現実と夢の境を曖昧にさせていた。このままもう一度眠りについてしまおうか。そう思いながら、近くにある馬岱の手に己のそれを重ねる。
「……今までどこにいた」
「女の子の親御さんのところに連れてって、若のこといろいろ聞かれてたよ」
「…俺?」
「若って有名人だからね」
「……そうか」
「そんで、さっきはどうしたの」
「…聞きたいと思ったのだ」
「夢?」
「そうだ」
「うーんそうかぁ…」
「今からでも聞かせてくれんか」
言いながら、馬超はそこでようやく身体を起こした。寝台に腰かけていた馬岱と視線が同じ位置にくる。
馬岱はどことなく困った様子だ。何か言葉を探しているような、そんな顔でいる。迷った末に、馬岱が窺うように尋ねた。
「聞いてどうするの?」
「…ど…どうもしないが…おまえの、夢が現実になるようにしたい」
それはそのまま馬超が劉備から聞いた言葉だった。捻りも何もない。が、あの時自分も馬岱からそれを聞いてみたい、と思ったのは事実で、馬岱の夢がかなうものならそう努力したい、と思ったのだ。馬岱はといえば、馬超の言葉に意外そうな顔で目を瞬いて、ゆっくりと表情を緩める。
「ふーん、そうかぁ…嬉しいね」
「…本気だぞ」
「でもまぁ、俺の為に何か、なんて考えなくていいよ」
「何故だ」
「だって夢の話でしょ?」
「ああ!」
「俺の夢ってね、そんな難しくないのよ」
「そうなのか?」
「そうそう。だって若自身だもんね」
「…俺?俺自身…?」
意味がわからずにきょとんとしていれば、馬岱がそんな馬超にふっと笑う。
「そうだよ。若自身。若が、俺の夢だからね」
「…よく、わからん…」
「若が楽しく過ごしてくれればそれでいいよ。若が戦場で輝いてて、生きて戻ってきて、少しずつでも皆に理解されていって」
「…………馬岱」
「それが俺の夢なんだよね。だから若は、そのままでいいよ」
「……俺は何も出来んのか」
「出来ないんじゃないでしょ。若は若のままでいてくれればそれでいいんだって。それで俺は、もうね。幸せだからさ!」
にっこり笑う馬岱に、馬超はいてもたってもいられずにその身体を力任せに抱き寄せた。
痛い痛い、と言う馬岱の言葉は無視して力いっぱい引き寄せた。この身を駆け抜けるような感覚。それが一体なんなのか、どう形容すればいいのかわからない。わからないが、とにかく感動に近い何かが身体を駆け廻っている。そして酷く気分が高揚していた。夜でなければ叫び出したいくらいには。
「…おまえというやつは…!!」
「あっはは、痛いってほんと…」
「俺は今感動しているのだ!」
夢について、今まで一度だって馬岱にそれを問うた事はなかった。逆に馬岱が馬超に問うことは何度もあった。幼かった頃、一族が自分たち以外絶えた後。いろいろ変わっていったけれど、その都度馬岱に問われていた。自分が逆を聞くことが一度もなかった事も衝撃的だった。だとすれば、自分はずいぶんと長い間、自分一人のことで手いっぱいだったわけで。
「…馬岱」
「ん?」
「…俺は果報者だな」
「ははっ、何それ」
自分の夢は、問われるたびに変わっていった。小さな頃は無邪気なもの。一族の件でこの世の終わりのような気分になった時は復讐が夢に成り変わっていた。その期間はずいぶん長かったけれど、蜀というこの地に腰を落ち着けることになって、ようやく。
ようやく、ただ、正義の為に力を使いたい、と言えるようになったのだ。
きっと今、自分の夢を語れば馬岱は頷いてくれるだろうと思う。
だがその間、馬岱はずっと、その夢一つで歩いてきたのだろうか。
――若が楽しく過ごしてくれればそれでいいよ。若が戦場で輝いてて、生きて戻ってきて、少しずつでも皆に理解されていって。
反芻した言葉は本当に、胸の内をじわじわと暖めていく。
そしてひどく満たされた気分になって、自然と、自然と笑みが広がっていった。
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